山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

伊豆山稜線歩道・手引頭

2024-05-29 11:07:15 | 山行

2024年5月26日/伊豆山稜線歩道(天城ゆうゆうの森〜仁科峠)

天城ゆうゆうの森(8:35)…二本杉峠(9:47〜55)…滑沢峠(10:20)…三蓋山(11:03)…つげ峠(11:30)…P1014・手引頭(12:00〜25)…猫越岳(13:55)…仁科峠(14:50)

手引頭のタコブナ(2024.5.26)

大ブナ峠(通称・P1014西)のブナ巨木(2024.5.26)

 所属会の5月定例山行は、伊豆山稜線歩道の二本杉峠から仁科峠を歩く。ハイライトは、昼食場所としたP1014「手引頭」周辺のブナ林、広々としたいかにも天城の森らしい雰囲気のある場所だ。山頂近くの大シャクナゲの下部は既に花を落としていたが、頭部はまだ可憐なピンクの花を十分に残していた。山頂に根を張るこの森の主のようなタコブナは、何本もの太い枝を横に長く伸ばし、威厳に満ちた存在感を示していた。いずれも天城山系随一の巨木とされている。この伊豆山稜線歩道沿いの森は、百名山の天城山周辺の喧騒に比べだいぶ静かなところも良いと思った。

P1014「手引頭」の山名板(2024.5.26)

 ところで、P1014が「手引頭」と呼ばれるようになったのはいつ頃からなのだろうか。山行にあたって私がWEBで見た範囲では、『趣味人倶楽部』というSNSサイトで伊豆在住の[Yさん]が2008年5月にガイドブックに載らない穴場として紹介しており、「手引頭」の山名板が写る写真も掲げられていた。

 もう四半世紀も前になるが、今回と逆コースの仁科峠から天城峠を歩いたことがあったが、P1014を踏み同じタコブナを見たのかどうも記憶が定かでない。例えば山と高原地図『伊豆』1996年版では、現在のツゲ峠から南面をトラバースする破線道ではなく、尾根通しで1014標高点の僅か南を通るルートが示されているし、2000年発行のヤマケイ・アルペンガイド『駿遠・伊豆の山』に載る「天城峠から伊豆山稜線歩道」も同様であるから、以前の伊豆山稜線歩道はここを通っていたのだと思うが「手引頭」の山名記載はない(いずれも調査執筆者は真辺征一郎氏)。またガイド文でツゲ峠付近の「巨大なブナの原生林」には触れているが、大シャクナゲやタコブナについては触れられていない。「手引頭(てびきがしら)」という名はいったい何に由来しているのだろうか、何やら雲霧の一党みたいだな・・・と思った。

『山と高原地図/伊豆』1996年版に載るツゲ峠〜猫越峠間のルート

 以下は、その四半世紀前の山行記。

ブナに囲まれた散歩道

 伊豆山稜線歩道は、天城湯ヶ島町の天城峠から西に向かい町境の稜線上を船原峠まで北上、さらに西伊豆スカイラインに沿って修禅寺町の達磨山、金冠山まで続いている道だ。今回は湯ヶ島町の温泉会館に車を置き、タクシーで持越林道を仁科峠まで上がり、ここから天城峠を目指した。天城湯ヶ島町は来年「植樹祭」が開催されるようで、これにあわせ西伊豆スカイラインとつながる広い道路の建設が山中で進んでいる。

「“植樹祭”のために木を切って道路を造るんだから変な話だよね」

とはタクシーの運転手の弁。まさに同感。船原峠までは比較的静寂だったこの山稜線も大きく変るのだろう。

 工事用の車両が動く脇から登山道に入る。スズタケの中の道を猫越岳へ緩やかに登る。小一時間程で展望台に着く。暖かな日差しと風もない天気のせいか霞んではいるが、北に富士山が望む。冠雪は、山頂付近にひだのように僅かに残るだけで、数週間前よりかなり少ない。すぐ下には天城牧場の赤い屋根が見えるが牛の姿はなかった。西に目をやると駿河湾、宇久須港に入る漁船だろうか小さく見える。さらにその先には御前崎が霞んで見え、目を移していくと南アルプス主稜線の山々も遠望できる。

「あのあたりが島田だね」

などと話しながら小休止する。僅かに下った所に火口湖があったが、水はほとんどなく小さな泥沼のようだった。二等三角点を過ぎ猫越峠へ緩やかに下る。

 後はもうほとんど平らな道が続く。幅は並んで歩けるほど広く、良く整備されていて、まさに“歩道”である。両側はツゲとブナの林だ。五、六メートルも横に太い枝を延ばしたブナの大木に驚かされる。展望はないが、落葉が敷き詰められた明るい平坦な道は、登山というより散歩という感じ。所々に残った紅葉がアクセントを付けていた。

 ツゲ峠に昼少し過ぎ到着、大休止で昼食を摂る。近くのブナの林の中で木登りを始めた子供を真似て、大人達もやや重くなった身を持て余しながら、しばし童心に帰る。滑沢峠を過ぎると植林も目立つようになった。ここまでに会った登山者は、反対方向からの単独者2人のみ。静かな山行だ。二本杉峠は旧の天城峠である。今、放映中の徳川慶喜の時代、開港をめぐってハリスや吉田松陰らが越えた峠だ。古い休憩舎が建っていた。さらに天城峠まで、晩秋の午後の陽に追われるように足を早めた。天城トンネルバス停から湯ヶ島に戻り、汗を流し帰路に着いた。

(1998年11月14日)



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