山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

安倍奥と井川を結ぶ道

2024-07-20 11:26:52 | エッセイ

井川峠

 安倍川と大井川の間には分水嶺として、南アルプス白峰南嶺から山伏を経て連なる山稜が横たわっていて、安倍と井川の集落とを結ぶには越えなければならない峠がいくつかあった。その内、2000年前後まで実際に使われていたのは、北から牛首(三尺峠)、井川峠、大日峠、富士見峠の四ルートである。牛首ルートは、井川最北集落の小河内に出る道で、西日影沢からの山伏周回ルートとして登山目的でも使われていたが、コンヤ沢トラバース部分の崩落で通行止めとなって久しい。井川峠は、安倍側の孫佐島や大代と井川の岩崎を結んでいる。岩崎は井川ダム建設前には大井川左岸の集落だったが、ダム建設による水没で対岸に移転した。ここに架かる井川大橋は、車の通れる吊橋として知られる。大日峠越えは、井川ダム建設以前、井川から静岡に出るための、また口坂本から生活物資が持ち子によって運び込まれるメインルートだった。そして南アルプスへ踏み入る登山者も、同様にこの峠を越えていった。現在は、この古道を辿るハイキングも行われている。富士見峠は、ダム建設に伴い昭和33年に開通した初の車道ルートである。以後、この富士見峠越えがもっぱら井川と静岡を結ぶルートとなっていくが、山の道もなお、登山目的のみならず山仕事や生活レベルの杣道として、安倍と井川を結んでいた筈である。

 【井川峠】

 '97/7定例山行で笹山に行きました。SHCの山行運営が現在より未熟な段階でしたので、時間が押してしまい、井川峠で昼食になりました。狭い峠の四方に散らばってめいめいが昼めしにありついた時です。篭を背負ったおじいさんと、壮年の男性が静岡側から登って来ました。二人は我々ハイカーには目もくれず、話しながら井川方面へ下って行きました。峠の静岡側でコンビニおむすびを食べていた私は、この事に感激しました。井川峠が今でも生活道として使われていたことにです。昭和36年、山を一緒に始めたO君とこの峠を越えて以来、この道のことはすっかり忘れていました。林道が至るところ開かれた今、自動車がすっかり普及した現在に孫佐島から井川へ歩いて峠を越えた二人に拍手を送りたい気持でした。
 という、憧れに近い思い込みは'99/7の山行でぶち破られました。Tさんと孫佐島から井川峠をめざしました。長かった。きつかった。おまけに山蛭はいるし。当分井川峠のことは棚へ入れてしまおう。
〔I・K「安倍奥雑記帳⑥」:『やまびこ』№33(1999年12月号)より〕

深沢山山頂

 孫佐島から井川峠に至る山道が通る支稜線の中間に深沢山がある。安倍川対岸の十枚山に比べ訪れる人が圧倒的に少ないのは、孫佐島から一服峠までひたすら我慢の急坂の労苦もさることながら、尾根の続きといったふうのピークの存在感と展望の無さもあるだろう。が、このルートの本当の魅力はここから先にある。ブナ、カエデの広葉樹となった尾根を辿ると、かつて木材の伐り出し場だっただろう〝木立場〟の鞍部となり、やがて山腹をトラバースしながら、濁川源流部の沢筋へと下って行く。明るい光の入る沢は、穏やかな流れを深秋にはすっかり色付いたブナ、カエデが取り囲み、キラキラと輝いていることだろう。ここは安倍奥山域の最も美しい景のひとつだと耳にしたことがある。二回、三回と流れを渡り返しながら進む先に稜線の弛みが見える。井川峠だ!あと僅かに思えるが最後がなかなかの急登だ。もうひと踏んばり「ファイトーッ!」。
(2019年11月記)

木立場

濁川源流部の渓流