山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

いつもの散歩

2024-06-09 16:25:48 | 日記

はっきりしない天気で予定の山歩きが中止となって、いつものコースの散歩。まずは6/6記事「大津落合のクスノキ」中とは別の八兵衛碑二つ。
左/野田・鵜田寺境内の八兵衛碑(明治35年・西野田講中建立)大小二つの碑が重なって建てられている。藤枝バイパス工事に伴ってここに移されたらしい。
右/尾川・尾川丁仏参道入口の八兵衛碑(明治35年・建立者不明)千葉山尾川丁仏参道入口に馬頭観音(左)や地蔵菩薩、道標などと共に建つ。丁仏参道の登り口は昔はここではなかったから、これも移されたものではないだろうか。
ちなみに落合の八兵衛碑は明治36年建立、大草は平成7年に再建だが元は明治38年建立。明治35年〜38年に何があったか?

 これも例の招魂社の大クスノキと大津谷川。離れて見てもなかなか立派に思う。

足元を見ると道端にはさまざま草花。オオキンケイギク(5/25記事)ではないが、外来種で野草化したものも多いようだ。
「おのが身を特定外来生物と知らず誇れりオオキンケイギク」知人の短歌、帰化定着してしまったものは、それはそれで良いのかな、あんまり排外主義的な態度は……。変化していくのも自然の内。

 アジサイ

 ムラサキカタバミ

南アメリカ原産、江戸末期に導入されて帰化したらしい、環境省の要注意外来生物に指定されている

 ノアザミ

 ネジバナ

 マツヨイグサ

待宵草 これも北アメリカ原産で要注意外来生物、「宵待草」は竹久夢二か

 ホタルブクロ

花、つぼみ、若苗が食用にされるそうだ、食べたことはないなぁ

 


大津落合のクスノキ

2024-06-06 15:42:19 | 日記

樹高:22m、目通り幹囲:6.8m、推定樹齢:300年以上 ※WEB『人里の巨木たち』内「静岡県の巨樹」による

 いつもの散歩コース内に大きなクスノキがある。大津谷川に架かる堂前橋の袂にあって、境内の裏側から社に覆い被さるように立つ姿は凛々しく、四方からよく目立っている。クスノキが立つ忠魂社が建立されたのは、日清(1894〜95)・日露(1904〜05)戦争の前後だろうから、たかだか100年余にすぎないが、この木はそのだいぶ前からここに立っていたわけだ。

大津忠魂社

 堂前橋を渡った対岸には橋の名の由来となったお堂があって、二体の頭部のない石仏が祀られている。また、お堂の前には小長谷八兵衛碑(1903年、落合講中建立)が建てられている。八兵衛信仰はほぼ志太郡内(大井川下流左岸域)のみというきわめて狭い範囲の民間信仰だ。小長谷(川中島)八兵衛という人が何者で信仰されるようになった経緯と意味するところは不明だが、疫病や水害を除けてくれると信じられていたようだ。大津地区にはこの落合をはじめ、大草、尾川、野田と集落ごとに八兵衛碑が祀られている。堂前橋のある場所は、落合という地名のとおり大津谷川と尾川の谷が合わさる所であるから、洪水回避(川除)のポイントとして信仰が形成されることは充分に考えられる。もしかすると、忠魂社として祀られる以前の社と対岸のお堂は一体の信仰としてあって、このクスノキはそのシンボル=神木としてあったのかもしれないと想像した。

堂前橋対岸のお堂と八兵衛碑


庭のアジサイ

2024-06-01 09:34:50 | 日記

妻の植えた庭の紫陽花
小振りだけど葉に斑入りのガクアジサイが好み

6月入り、そろそろ雨の季節か・・・で、何で6月が水無月なのか?
「最も有力な説は、田んぼに水を張る月という意味の「水な月」だという説。“な”は“の”という意味の古語で、“無”は当て字」ということらしい。


続・手引頭

2024-05-30 08:35:59 | 日記

先の記事で「もう四半世紀も前になるが、今回と逆コースの仁科峠から天城峠を歩いたことがあったが、P1014を踏み同じタコブナを見たのかどうも記憶が定かでない。」と記したが、2008年に「手引頭」を紹介していた伊豆在住の[Yさん](趣味人倶楽部)に尋ねてみた。

[takobo]
このP1014を「手引頭」と称すようになったのはいつ頃からでしょうか? また山名の謂れはどこからでしょうか? ご存知でしたらご教示をお願い致します。
四半世紀も昔、子どもを連れて来たことがありましたが、その頃はまだ手引頭とは呼ばれていなかったように思いました。

[Yさん]
30年以上前から伊豆の山を歩いてます。
当時、伊豆の山は山道以外は猛烈な笹に覆われていて、道以外の藪を歩くのは困難でした。
手引頭を知ったのは30年前の「伊豆 天城山」(日地出版)の地図に記載されてたからです。ですから山名由来については不明です。
当時、猛烈な笹漕ぎをしないと手引頭の山頂に登れませんでした。
ですから山名は一般の方々には知られてなかったと思います。
笹が枯れて歩きやすくなった頃、某写真家が石楠花や大ブナを紹介したので、これをきっかけに名前が知れ渡ったのだと思います。

[takobo]
私がWEB上で閲覧した限りでは、Yさんの2008年5月の投稿が一番古い「手引頭」の掲載でしたので、質問させていただきました。
手元にあった1996年版の『山と高原地図・伊豆』や2000年発刊のアルペンガイド「駿遠・伊豆の山」では、ツゲ峠から猫越峠が尾根通しのルートで示されていますので、かつての伊豆山稜線歩道はP1014近くを通っていたのかなと思いました。もっとも藪漕ぎをした記憶はありませんので、違うのかなぁ・・・

[Yさん]
手引頭付近の山稜線の笹藪は2002年位にはほぼなくなり、尾根を歩けるようになりました。今はアセビの藪で歩きにくいです。
2000年発行のアルペンガイド(私も持ってます)に記載されてるツゲ峠から猫越峠に向かう歩道のルートは間違ってます。
2万5千分の1の地形図を丸写ししただけなんです。2万5千分の1の地形図は町境の印に歩道ルート付け足した、いい加減なものでした。
山稜線歩道は猫越峠からツゲ峠まで標高960mの等高線に沿ってしっかりした歩道になってます。尾根道ではありません。ですからもともと藪はありませんので貴方の記憶は間違ってませんよ。もし、藪漕ぎせずに尾根を歩いたのなら笹が枯れた2002年以降になります。

腑に落ちた。「手引頭」のタコブナと大シャクナゲは、やはり今回が初見だったようだ。


オオキンケイギク

2024-05-25 14:10:45 | 日記

特定外来種のオオキンケイギク、最近は公園や歩道の植込みの中、道路の法面、堤防とあちこちで見かける。

市の環境課に駆除をお願いしたら「残念ながら既に駆除・根絶ができる段階ではありません。」と白旗状態。

「なお、オオケンケイギクを処分する場合には、根から引き抜いていただき燃えるごみとして排出いただければ幸いです。」おいおい、個人ボランティアかい・・・

でも指定管理者に連絡を入れたのか、中央公園内のものは数日後に処理されていた。

市外からも大勢訪れる中央公園内にオオキンケイギクのお花畑では、ちょっとみっともないからなぁ。