武子太郎の武子の一文

役者、タケシタロウの気ままな日記でございます!

ソルジャーズ

2010-06-20 12:39:33 | 日記
さて、大阪夏の陣も終わり、約10日間の一時退却もまもなく終わりを告げ、明後日から二週間の兵役につきます。


戦場は赤坂。

傷つき、疲れ果てた兵隊達も再び集結した。

士気も高い。

さて、またひと暴れしてやりますかね野郎共!


かわぐちかいじの沈黙の艦隊に司令官のこんなセリフがあった。


「兵士は、演習により自信をつけ、指揮官は可能性を確認するのだ」


と。

大阪公演+可能性=東京公演!

会うと、零時

2010-06-15 16:26:59 | 日記
いや~なんでだろうね~君とは電話ではいろんな時間に話すけど、なぜか会うと零時なんだよね~


…はい、ということでこれだけは見たい映画観てきました!
北野武 アウトレイジ

R-15指定。

そして劇場内には明らかにそちらの筋の方々が…

観られるんですね…映画とか…


いや~わっるいな~!

売り文句で全員ワルと言っていたけど、ほんとにセリフある人は全員ワル!

そしてやはり随所にキタノ的な笑いが込められている。

北野武も言ってだけど、暴力と笑いは紙一重ってのはほんとにずっと思ってた。

それのバランスで笑ったりひいたりするわけで。

だってツッコミって暴力やしね。

いつも思うのは、まあ特にツッコミとかが今まで多かったわけですが、ベストなツッコミは、お客がひく寸前。

一歩間違えると、

うわ、痛そうとひかれてしまう。

あ、こっからはネタバレとはいわないけど、まったく予備知識なしでアウトレイジ見たい人は読まないでくださいね


感想としては、めちゃめちゃ面白かった!

ただ、内容なし。

でもそこが逆に軽快さをもたらしているというか。

ヤクザという仁義の世界と、現代という打算の世界の融合が、面白さを醸し出す。

基本組長系は全員小心者で小ずるい。

それで頭、若頭などのNo.2系が、親や兄弟との仁義をとるか出世や保身をとるか。

そこにリアリティを持たせるために、細かいシーンには実際にあるであろう若い集の献身や中間層の暴力と縦社会。

だいぶデフォルメをしてる作品だけど、静かな狂気や格好良さ格好悪さが見事に描かれている。


この映画にストーリー求めちゃいけない!

役者でよかったのが、椎名桔平!

かっちょいー!

そして加瀬亮おいすぃー!


小日向文世、おいすぃー!


そしてエグいエグい暴力シーン。

何シーンかは、客が一斉に顔背ける。

しかし北野監督が昔言ってたのが、暴力シーンは痛く描かないと、暴力はいけないことだって思わないでしょと。


外国映画はかっこよく描きすぎて、暴力の本質を見えなくし、格好いいと思わせてしまうと。

わかる!


普通のギャング映画で見せるシーンと見せないシーンが正反対になってることで、カッコ悪く、痛そうで、エグくなっている。

長くなったけど、おもしろかったってことです。
もっかい見たい

クロムモリブデンという新たな家族

2010-06-11 22:44:37 | 日記
まあこんなこと面と向かって恥ずかしいんでこゆとこで書きます。


僕には、今年2月に新たな家族ができました。

頼れる兄ちゃん達がいて、変わり者の姉ちゃん達がいて、ほっとけない弟達がいて、しっかり者の妹がいます。

そして勿論母ちゃんと父ちゃんも。

母ちゃんは時に厳しく時にマイペースで、父ちゃんは偉大な未だ超えられない壁たる存在です。


前回は公演は稽古行く度緊張してたけど、今日久々に東京でみんなに会った時、心からほっとした。

僕の中での、今一番大事な絆です。


ああ、恵まれてんなあ…


みんなはそんな風に思われて迷惑かもだけど、僕は勝手にそう思ってます。


東京公演、My Big Fatherと共に突っ走りますよん!


今日はね、こんな感じ

エンゲキに通ずる一文

2010-06-10 23:54:13 | 日記
村上春樹
スプートニクの恋人より


ピアノに才能があり、ピアノをずーっとやってきたある女が、あっさりピアノをやめたことに対する主人公の女性の質問。
「ピアニストになるために、あなたはそれまでずっといろんなことを犠牲にしてきたわけでしょう?」

に対する女性の返答

「わたしがピアノのために犠牲にしてきたのはいろんなことなんかじゃない。

あらゆることよ。

わたしの成長過程に含まれたことのすべて。

ピアノはわたしに、わたしの肉や血をまるごと、供物として要求したいたし、それに対してわたしはノーということはできなかった。

ただの一度も」


うむ、芝居をやって痩せる理由はこれです!


自分が培ってきたものや、大事なもの、果ては食ったものまで、舞台というイキモノは捧げろと要求します。

それに逆らうことはできない。

絶対。

この女性の気持ちがすごくわかる。

それは、今まで生きてきた自分を否定することだから。


怪我?

体重?

睡眠?

関係ないね!

それでいい芝居ができるのなら、喜んで捧げます。


芝居は、ある意味ではこの世のものではない。

それに対して、何かしらの生贄をが必要となる。


何かしらの生贄を捧げることにより、初めて呪術的な力を帯びる。


どこかで生命的なパワーを費やさなければ、

それは生きた舞台にはならないのです。

舞台にはマモノが住んでるんじゃない。

舞台がマモノなわけで。


飼い慣らしてやろうじゃない、人喰い竜を!