さて、クロム終わって日常に戻ってます。
したら、今日かな?
稽古場から本番までの今までの様子がガーっとダイジェストみたいに押し寄せてきたの。
あの時誰がどういう発言してその時自分がどう思ったか、とか。
自分がどういう発言して結果こうなり、こういう反省点があるとか。
僕は舞台に立つ上で、本当に極端な話、舞台上で死んでもいいと思っていて。
もちろんそれは覚悟の話で、ここでもし自分や自分の周りの人や、劇団に何かあって公演ができなくなってもいいと、そう思えるくらいの覚悟で毎稽古参加してたし、本番やってた。
僕も13年役者をやっていて、自分や周りに色々なことが起こりました。
身内が本番中に亡くなって、それでも公演続けてる人もいたし、自分が病んでしまって舞台に立てなくなった人もいたし、公演中止もあったし、震災で不安を抱えながらやっていたこともあったし、中止になった劇団もありました。
殺陣で相手を怪我させたことも、したこともあった。
そういう諸々からきてる覚悟で、自分としては、自分への戒めでもありました。
おまえ、そんな芝居してて、本当に後悔はないかと。
今ここで何か起こっても、本当に悔いのない演技ができたと言い切れるのかと。
今回も、実際本番中に震度4の地震がありました。
僕は舞台上で気づかなかったのですが、裏やお客様は大変だったようでした。
後からそれを知ってゾッとしました。
その回が終わった後の帰りの会で、青木さんが、最後まで止めないでできてよかった。ありがとう。
と言ったんですね。
その一言がほんとに刺さって、危うく大泣きするところでした。
ああ、この人も、そういう覚悟で演出してるんだと。
そういう苦しみを知ってるんだと。
舞台中の台詞でもありましたが、演劇とはそもそも、生活に必要な媒体ではない。
世の中に必要な仕事かと問われるとわかりません。
でもだからこそ、僕は、何があっても舞台に立って、作品を成立させるんだと、そういう覚悟を持っています。
だから1秒たりとも、演じるのを放棄してはだめだし、どんなことがあろうと、自分の役として、別の世界を作り出そうとしています。
舞台中に素に戻ったり、人の演技を邪魔したり、ただなんの役でもないタケシタロウとして舞台上に立つことは、お客様と、青木秀樹に失礼なことだと思っていて。
作品の生みの親である青木秀樹には、僕ら育ての苦しみはどうあがいても勝てないんです。
もらった役を、その役の本音で台詞にのせること。
オフなシーンや、台詞がないシーンも、絶対にその役から抜け出さないこと。
初歩中の初歩ですが、今回それを強く感じ、演じ続けていました。
この舞台を、必死の思いで成立させてくれたスタッフ陣や、この作品を待っていてくれたお客様や、苦しんで苦しんで産んだ、大事な作品を作った青木秀樹のためにも、舞台上で半端なことはしたくないのです。
すごく硬い考えかもしれないし、人によってはストイックと言われてしまうかもしれないけど、舞台に立つ、ということは、そういうことな気がするの。
何かを犠牲にしてみな舞台に立っています。
複雑な思いや、苦しみや、悩みを抱えながら立ってる人もいるでしょう。
その上で、舞台に立つ、ということは、通常の重力とは違う場にいるのだということを再確認しました。
集団は、全員のアベレージではなく、一番意識が低い人のラインにあってしまうと言います。
どれだけ僕らはこだわれただろう。
どれだけ僕はこだわれただろう。
今はただ、長い長い反省と振り返りの期間に入っています。
とにもかくにも、今回この座組でやれて本当によかったし、たくさん刺激をもらいました。
この作品をくれた主催と、共に演じれた仲間と、あとは演じるだけというところまどもってきてくれたスタッフ陣と、何よりこの作品を目撃してくれたお客様に、今はただただ感謝の想いでいっぱいです。
本当に、ありがとう。