竹島研究室

竹島問題を研究する。

韓国海洋水産開発院:海洋水産動向1260号「「石島」は「独島」だ」(6)

2008-07-13 09:27:35 | 韓国海洋水産開発院
5.韓国が提示する「石島=独島」論拠

 勅令での石島が独島という立証論理を韓国学者は「石島」の語源から探している。すなわち当時鬱陵島を往き来した全羅南道7)の沿海民の言葉で「石島」という言葉の語源が出現するようになったというのだ。全羅南道の沿海民は于山島に関する文献に接することができなかった人々なので、今の独島にそれなりに名前を付けたはずなので、それが多分ドクソムだっただろうという分析だ8)。そしてそのドクソムないしドルソムを漢字で表記したのが石島というのだ。全羅道方言では 「石」をほとんどが「ドク」と呼ぶとか、一部地方では「石」と「ドク」を交ぜて呼んでいる9)という研究結果があり、その主張を裏付けている。
 1953年に崔南善はソウル新聞に「鬱陵島と独島」という文を連載した。ここで彼は鬱陵島周辺に10余個の付属島があると思った。北に孔巖、東北の方に観音島(獵項島)、東に竹嶼が主な島で身近にあって、東南へずっと落ちた海上に二つの主島といくつかの小さな島だけが底に敷かれていると言った。崔南善が言った「東南へずっと落ちた海上に二つの島」がまさに独島を示す。崔南善は「それは古代には可支島と呼ばれたが近世にはそこの居住民の間に島模様が「ドク(甕)」のようだと言って普通「ドクソム」と呼ぶと言った。また近来「独島」という字が「ドク」の字訳であるだけであり、「ドク」の字の意味とはどんな関係もない」10)と言った。これは「独島」という言葉が「ドクソム」から来たものであるのを示している。したがってドクソムないしドルソムは「石島」だけでなく「独島」の語源にまでつながるのだ。
 結果的に石島は独島(ドルソム)を文語体で表現したものであるだけであり、また独島はドクソムないしドルソムの発音と合致するので取られたという主張がこの間韓国側で提示した「石島=独島」説の根拠だった。
 こうした主張は現在までも継承されて、「石島を訓読すれば「ドクソム」、「ドルソム」になり、こうして見る時石島はまさに独島を示す」と言うとか、今も鬱陵島民は独島を「ドクソム」あるいは「ドルソム」と呼んでいるという点を強調する。1900年当時禹用鼎の鬱陵島の調査を反映してドクソムないしドルソムが石島で漢訳になって、結局は官制編成に反映されたという主張11)はこうした論理の延長線上で成立する。
 石島が独島という主張は日本人学者によっても容認されている。大西俊輝は「「石島=于山島」すなわち「石島=独島」である。.なぜなら、「石島=観音島」と見ることもできるが、観音島はわざわざ勅令を下げて行政管轄区域に含ませる必要がなかった。行政措置が必要になるためには、地理的に特別に遠く離れているとか、それとも特別に強調する必要がある時だけが可能だ」12)と言って観音島が石島になれない根拠を持って、石島が独島であるのを立証している。


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