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ゑんぢんぶろぐ

のんきそうには見えますが頭の中は不安で一杯。あまり過大な期待と責任は負わせない方が互いにとって身の為です。いやマジで。

「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年10月29日 09時55分47秒 | メモリアル
トップ画像左:「正楽寺山古墳」、右:「ドンチャ山古墳」



両方とも2014年(平成26年)に国指定史跡「百舌鳥古墳群」に指定。

大阪メトロ御堂筋線「なかもず」駅から路線の延長線上に1500m程南西に進んだ住宅街に在る「陵南中央公園」。
(過去「ウルシ」が生えていたとの情報有り。かぶれる人は要注意)
近隣に似たような公園が複数あるので(更に築山が有ったりしてめっちゃ紛らわしいw)…規模的には一番大きい、林に囲まれた鬱蒼とした公園。

『北東側の掲示板が立っている小さい入り口から入る』と、ちょうどこの二つの古墳の真ん中に出る。

・「正楽寺山(しょうらくじやま)古墳」




上記『内』入り口から入った場合、右手の林。
だいたい直径15m、高さ2m。須恵器(ろくろを使用し、窯で焼いた薄手の焼き物)が出土したとか…。



「埋葬施設内包の可能性」「2段築成」「円墳」「周濠有り」「葺石無し」…と色々と情報はあるが…サッパリ判りません←←

…ただの公園の林の中の小山です(記事全否定w)。

・「ドンチャ山古墳」




上記『内』入り口から入った場合、左手の林。

直径25mばかり、高さ3mくらいの円墳。
埴輪・須恵器が出土。葺石や埋葬施設は確認できず。

なお、意味有り気な「ドンチャ山」の名前の由来は不明←←←

かつての名称は「ドンチャ山古墳2号墳」…だったが「1号」が古墳では無かった事が判明したためw現在の呼び名に変わったwww

2009年(平成21年)の調査で、「墳丘は2段築成」「『天地返し』工法で墳丘の盛土が築かれている」などが確認された。
 ※…「天地返し」:農耕用語。深く掘り、表層と深層を入れ替える事。断面から土の色の違いで天地返しが行われた事が判る。




蛇足…Googleストリートビューだとそれぞれの古墳の「頂上からの眺め」が360°拝める…特に綺麗でも見晴らし良くも無いが←dis


東側角の入り口から林を臨む。右端が古墳。
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年10月27日 12時31分32秒 | メモリアル
「鎮守山塚古墳(ちんじゅやまづかこふん)」

「百舌鳥八幡宮」の東北東側、「光明院」の敷地内に埋もれる墳墓。5世紀頃に造られた。詳細は不明。

つか東側半分は道路で削られ(その道路から撮影)、残る西側もほぼなにがなんだか状態で…。
通りすがりに発見したからコッチもなにがなんだかだったワケだが←

航空写真を見るに、どうやら右側(東側)半分が半月状に敷地内に残っているみたい…。



レビューを見ても…同意見ばかりであまり参考にならない(オブラート)
…現在は直接その姿を見ることはできないようだ(かつては見られた旨のレビューがある)。



30mほどの円墳だったらしい…が、堺市のデータベースを見ても

「主体部等墳丘及び周辺の発掘調査の実施」「墳丘等の一部が破壊された」「34mの円墳」

で終わり。調査の結果、葺石や周濠が確認されて出土した埴輪もあったようだが…。



百舌鳥古墳群に属してはいるようだ(曖昧)。
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年10月23日 11時49分06秒 | メモリアル
「住友銅吹所跡」



「大阪メトロ長堀鶴見緑地線(長堀通)」と「阪神高速1号環状線」が交わる地点…から少し南に入った所にある公園。





今となっては洋館だか蔵だか良く解らない建物が一棟と庭園の名残の公園だけの空間だが、かつては大阪有数の銅精錬所が在った。



かつての姿は「大阪歴史博物館」や「大阪くらしの今昔館」のジオラマで見る事が出来る。



精錬所が建ったのは1600年代の半ばごろ。かれこれ400年ばかり前の事だ(驚



精製された銅のインゴット(延べ棒)は長堀川(現在の長堀通)などを通じて長崎に送られ輸出されたという(地図で見ると輸送経路はすぐに理解できる)。



名前の通り「住友財閥」のルーツで「旧住友家鰻谷本邸」にあたる。

 余談だがココから引っ越した先…「旧住友家茶臼山本邸」が現在の「大阪市立美術館の本館」である Σ(゜Д゚;)



残っている建物はかつて「住友家撞球場(ビリヤード場)」だったモノ。「同吹所」が廃業となった後、跡地に明治12年頃建築された…物の復元とされる。



中にはまだ家具が置いてある。



ビリヤード場と言われればそんな感じがしないでもない。



ポツリ残された橋がかつての庭園を想起させる。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年10月18日 13時03分04秒 | メモリアル
「松川塚古墳」

アッチコッチのレビューで「ショボい」「ボロい」と書かれる可哀想な古墳。



藤井寺市の「近鉄南大阪線」と「西名阪自動車道」の交差する所から東に少し線路沿いに移動すると…見に行ったらホントにショボくてボロかった←容赦無し
過去の写真を見ると樹木が伐採されていて坊主頭になっているモノもあるので時々は手入れされてはいるようだ。



手前には小さな畑があるんだが…正直区別がつかない。
近くには「仲津山古墳」「赤面山古墳」「古室山古墳」などが林立する。



25m四方ほどの方墳で、葺石(ふきいし。後述)や埴輪・周濠を備え…ていた、らしい。



一応、古市古墳群の一つとして2015年に国に指定された史跡。



かつては周囲に10基ほどの古墳があったらしいがココを残して消滅…。
「仲津山」や「古室山」との関係も想像できなくもないがどうやら築造の時期が異なるようでそれも望み薄。
当初は「百舌鳥・古市古墳群」の一つとしてリストに入っていたモノの…後に除外され…。
立て看板も案内も無く「Googleマップ」からもハブられ…。

…と何から何までショボい事に←追い打ち



…そこいらの青空駐車場の背景にしか見えない(表現w)。



※葺石(ふきいし)
古墳時代になって、そのような墓の墳丘(ふんきゅう)の表面に石をおくというアイディアをとり入れ、墳丘の区画をはっきりと、そして、りっぱにみえるようにと石が葺(ふ)かれるようになりました。
ーーーー近つ飛鳥博物館サイトより引用。


↑「葺石」の例↑
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年10月08日 14時52分23秒 | メモリアル
「若倭彦神社(わかやまとひこじんじゃ)」(別名「あかざ八幡」)



柏原市近鉄大阪線「法善寺」駅から東へ徒歩15分ほどの山の中腹、住宅街にひっそりと鎮座している。

祭神は「若倭彦命」「品陀和気命(ほむだわけのみこと=応神天皇)」
応神天皇については「こちら」もCLICK!っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」




このご時世…。


手水舎を見ると…やけに絵心のある解説書きw



明治末期に「鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)」に合祀されたが戦後独立して復社。

そうとは知らずに「この記事」を書いているっ「ざ・めもりあるMemorandums」:「鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)」
結構色々リンクするんだなぁ…長くやってみるもんだ。

夫婦神にあたる「若倭姫(わかやまとひめ)」を祀る「若倭姫神社」もこの地から北へ1㎞の辺りに在る。
…が、「若倭彦命」「若倭姫命」両神とも詳細が不明で…この地の豪族「若倭部の連」から取られた「架空の神」ではないかとの説も有ったり無かったり←

ついでに別名の「あかざ八幡」についても由来をgoogleセンセイに尋ねてみたが良く解らなかったモヨウ…。

「歴史のミステリー」については得意なブロガーさんが大勢いらっしゃるので興味のある向きはそちらをググれ下さい。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年09月24日 18時16分03秒 | メモリアル
「サンド山古墳(応神天皇恵我藻伏崗陵陪塚へ号)」



一応「宮内庁」の石碑が建ってはいるものの…整地もされていなけりゃ看板も無い、国の史跡でもないし、世界遺産にも含まれてはいない。
近鉄「藤井寺」駅より南東へ徒歩20分ばかり。
「応神天皇恵我藻伏崗陵」「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇惠我長野西陵)」の間、170号線寄りの住宅街の中に有る。



…一見すると住宅街に取り残された「小汚い空き地」にしか見えない辺りが何とも←←



一部には「応神天皇陵陪塚」ってのも怪しい…とする説もあるくらい可哀想な古墳。



サイズも原型も不明なこちらのすぐ近くには特殊な形で残されたキャッチーでインスタ映え←する「蕃所山古墳」があるがそれはまた別の記事で。



敷地の角っこをかすめているプチ遊歩道みたいなのは「藤ヶ丘山道ポケットパーク」なる公園。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年09月23日 23時31分25秒 | メモリアル
「穴太神社」



これで「あのうじんじゃ」と読む(ちゃんと変換されるのがエライw)。
地元民ですら「アナダって書いてアノウって読む」と説明する事から始まる難読社名。



「近鉄八尾」駅と「近畿自動車道」の間、八尾枚方線から少し住宅街に入った所に在る。参道も住宅の間を縫って。



これもこのご時世か「祈念疫病退散」と。



祭神は天照皇大御神、住吉四座大神、春日四座大神。

細かく知りたい方は各々でググる事←



ご利益は、それぞれの祭神から見るに…
海上平安、安産、武運、学問、商売繁盛、五穀豊穣…。



御神木?←

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年08月16日 22時42分31秒 | メモリアル
「城不動坂古墳(しろふどうざかこふん)」

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」



近鉄南大阪線「古市」駅の南東、踏切の脇、住宅街の端っこに埋もれている。



踏切のすぐ近くに細い坂道があり、「城不動坂古墳」へと回り込みながら繋がっている。



…看板も何もない。
道路を挟んで反対側の茂りも(分断された)同古墳の一部とする向きもあるようだが…正直解らん←



何がスゴイってこの細い坂道…googleストリートビューに載ってるって事だなww


ちなみにこの踏切、やたらと交通量が多いので特に写真を撮る際は御注意を。



場所が近い事、築かれた時期がほぼ同じである事などから葬られているのは安閑天皇と関わりがかなり深い人物では?とされている。



本丸に「安閑天皇陵」を流用したとされる「高屋城(たかやじょう)」築城の際(1400年頃)にかなり破壊されて原形をとどめていない。横穴式の石室を備えた前方後円墳だったとされる。


↑元画像はWikipediaより。©国土交通省↑


さらに2008~2009年頃、宅地開発の際に石室部分の保存・買収を試みたが断念、現在の姿に。
本古墳の詳細が判明したのは事後だったという…何とも「持ってない」古墳である…。

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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年08月02日 15時12分15秒 | メモリアル
「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」
 通称:「應神(応神)天皇陵」。

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されている。堺市の「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」に次ぐ全国第2位の規模である巨大古墳。

「誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)」「應神(応神)天皇陵」「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」

これ全て「同一の古墳」の事ね。
いつの間にか「仁徳天皇陵」も「大仙陵古墳」と呼ぶようになっている(ま、だいたい事情は分かるけど)。

※…本記事は2012年02月29日「ざ・めもりあるMemorandums」:「應神天皇陵」の改稿
  …つか、オレどこの写真撮ったんだ(超絶今更)?


補足…拝所とは反対側の「誉田八幡宮」側の入り口の太鼓橋からの眺めのようだ。



拝所へ向かう。







 関連記事
 っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「誉田丸山古墳」…「應神天皇陵拝所」へ続く小道沿いに在る。
 っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「東山古墳」…「應神天皇陵」の濠のすぐ脇に在る。






2019年7月6日第43回世界遺産委員会にて百舌鳥古墳群・古市古墳群が世界文化遺産に登録された。



デカいだけに町のアチコチから垣間見える。









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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年07月19日 23時48分37秒 | メモリアル
「強頸絶間」跡碑。

大阪メトロ谷町線「千林大宮」から東へ徒歩10分。ネットを頼りに迷宮をさまよいつつ発見。

ちなみにこのツブヤキはこの碑を探していた時のモノっ[CLICK HERE!]



これで「こわくびのたえま」と読む。
軽くググってみたが意味が解らん。オレなりに切り貼りしてみたが…

日本書紀には、難波宮の北に堀を掘り(名付けて「堀江」というが、現在の「天満橋付近の淀川」説もある)、上町台地の東側にあった旧大和川などの滞水を海へ導き、水害を防いだ記録がある。
それと同時に、淀川の治水対策として堤防も築いたという。その築堤は難工事で、川の神に「いけにえ」を差し出すことになり、武蔵の「強頸」が人柱に。
これはその伝説にもとづいた碑である。




立て看板の方も似たようなモン。ついでに大阪市のサイトも似た感じ。
こういう古文書を平易な現代文に訳すだけで興味を持つ人が増えると思うんだけどなぁ。

「強頸」が人柱にされたヒトの名前、「絶間」は(ここでは堤防の)切れ目…。
「強頸」さんが人柱になって「堤防の切れ目」を工事したので、その場所を「強頸絶間(こわくびのたえま)」と呼ぶようになったと。



なお「跡」とあるからには、本物?の「碑」があるワケで…大正時代に建立された石碑があるらしいが、私有地内に在るため非公開とか。

意味有り気な「石」が置いてある(だからフレームに入れたんだが)…途中で「京都のイケズ石」じゃないかと思い始めた。
今もって真相は不明←

「イケズ石」…狭い路地が多い京都で、車が壁を擦るなどの事故からの自衛手段として敷地の角に置いて家を守る石。

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「ざ・めもりあるMemorandums」←画像追加(20200717)

2020年07月17日 23時06分57秒 | メモリアル
「誉田(こんだ)丸山古墳」(別名:「古市丸山古墳」)

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

応神天皇陵(っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「應神天皇陵=誉田御廟山古墳」)の北側の堤沿いにあり応神天皇陵の陪塚とされる。 



羽曳野市誉田に在る直径およそ50mの円墳。
出土した(とされる)装馬具(国宝指定)が近くの「誉田八幡宮」に所蔵されている。



誉田御廟山古墳の拝所左手にある小ぶりな森←
…写真が少ないのでアチコチから画像を拝借して水増ししてみた(小声)




以下再訪画像5枚追加(20200717)←NEW!

…こうして見ると意外とデカいんだな、と実感。

↓正面道路側から一枚(トップ画像より少し右寄り)。


↓応神天皇陵拝所へ向かう小道(航空写真で見るとカーブになっている所)から一枚。


↓応神天皇陵拝所側から振り返って二枚。



↓帰り際、小道の脇から一枚。
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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年07月02日 14時26分38秒 | メモリアル
「鉢塚古墳」

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

同じ大阪府下、池田市にも著名な同名の古墳が在るのでググる際はご注意を。



藤井寺市の住宅街の真ん中に在る、60メートル規模の大きな古墳。


↑画像左下の川のような水面が「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)」の濠↑


「岡ミサンザイ古墳」の後円部側北方に在り、陪塚ではないかと推定される。
なお「ミサンザイ」は「陵(みささぎ)」が訛ったもの。



↑民家越しにチラリ↑
↓そして回り込んで別の民家の庭越しにチラリ↓



おぉ見えてきた。



柵で囲われているのでココまでが限界。
古墳というよりも「児童公園の丘」みたいな感じ。特にこの辺りの古墳はこんな感じのが多い。


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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年06月14日 20時50分37秒 | メモリアル
「鍋塚古墳」

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から徒歩20秒。まさに目の前にある小型丘陵。約40m四方で高さが約7mという意外に大きな方墳(なんか変な形してるけど←)。「仲津山古墳」の倍塚とされている。
かつてはもっと大きく、濠が張られていた可能性もある。



石段があって(トップ画像)天辺まで登るのも簡単。綺麗に整備されていて眺めもいい。



かつてはこの周辺に中小の古墳が点在し「沢田の七ツ塚」と呼ばれていたそうだが、戦後のドサクサ諸事情で消滅(埋め戻された説もあり)。本古墳が史跡認定され唯一生き残っている。



石段を上がって右手後方(北東方向)を振り返ると「土師ノ里」駅(アヤシイ影は気にするなw)。



埴輪の類が発見されてはいるモノの、発掘調査はされてないので詳細は不明とか。



南側駐車場から。ホントにただの丘←



近鉄線を挟んで反対側から撮影。
すぐ近くに「仲津山古墳」が見える(左側手前の丘が「鍋塚」、右奥の小山が「仲津山」)。


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「ざ・めもりあるMemorandums」←画像追加(20200604)

2020年06月04日 17時45分13秒 | メモリアル
「東山古墳」…記事の下部に画像を5枚追加しました(20200604)

応神天皇陵(っ「ざ・めもりあるMemorandums」:「應神天皇陵=誉田御廟山古墳」)の西側の堤沿いに造られた「方墳」。応神天皇陵の付属墳と考えられている。

っ資料室(仮):「百舌鳥・古市古墳群」

レストラン、病院、川に囲まれて非常に撮影しがたいロケーション(言い訳乙)。
色々回り込んで見たが、大型の重機も置いてあったりで画像が少ない(ヘタレ乙)。



墳丘の平面から円筒埴輪が多数発見された、らしい←



看板も何も見当たらなかった…再訪する機会があれば再度散策したい(未練乙)。←再訪。画像追加(20200604)



~~~~~~~~~~以下画像追加分~~~~~~~~~~

・「外環状線」側から

・「応神天皇陵」側から


・「古墳脇の駐車場」側から


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「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年05月22日 11時23分45秒 | メモリアル
「駒塚古墳(こまづかこふん)」



奈良県生駒郡斑鳩町、道沿いの某コーヒーショップの脇に唐突に現れる。



聖徳太子の馬「黒駒」の墓?とされ、すぐ近くの「調子丸古墳(ちょうしまるこふん)」は太子の従者の墓とされる。
伝承を基にした命名とされるが、各種レビューでも地理的、歴史的に聖徳太子と関連付けるモノが多い。



完全に通りすがりで「…あれ?この形はもしや…?」てな感じでピンと来たので周りの事まで頭が回らなかった。
…予備知識も皆無だった、のでノーマーク。…前方後円墳だったのか…。


…なんかオレの知ってる前方後円墳と形が違うような…(小声)


脇に小道があるが…↑の画像からも分かるように迂回しているだけ…orz




敷地の端っこにある何かの跡…。



この周辺は「斑鳩町指定史跡」に指定されている。



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