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裏金問題の裏で進められている本当の目的。その②派閥とは?

2024-01-23 20:32:30 | パーティー券裏金問題

昨年後半あたりからパーティー券裏金問題が騒がれてきているわけですが、それは意図的なことです。

騒ぎを起こしてメディアがそればかり報道している間に、政治家たちは秘密裏によくない法案を可決させています。

どんな法案を可決させて、そこにどんな狙いがあるのかを述べる前に、派閥について書いておこうと思います。

 

自民党の派閥は選挙制度と深い関りがあります。

かつて衆院議員は中選挙区制度で選ばれておりました。

中選挙区制度では、一つの選挙区からおよそ3~5人が選ばれていました。

なので、自民党が政権を維持しようとするならば、3人区では2人以上、5人区では3人以上と過半数をとる必要がありました。

野党のほうは1人しか出していませんでした。

こうして55年体制と呼ばれる1党優位体制が続いておりました。

そんな中、野党側、例えば社会党は様々な形で自民党と取引をして自分たちの主張を政策に入れてもらっていました。

中選挙区制度では、同じ選挙区で自民党員を複数出していくわけですが、3人なら3人、それぞれが違う主張をする必要があります。

3人とも同じ主張なら、1人でいいじゃん!ってことになります。

そこで、派閥間の主張の違いというのが注目されるわけです。

中選挙区制度というのは、自民党内の派閥の競争だったわけです。

 

ちなみに当時、新人が自民党の公認を得て立候補する、ということはできませんでした。

無所属からのスタートです。

ベテラン議員に勝ってようやく派閥に入ることができました。

そして、その派閥の選挙区で地盤を固めることができる、という結構過酷な世代交代のシステムでありました。

そんなわけで、中選挙区制の間は、派閥に比べて党本部の存在感は薄いものでした。

派閥に大きな意味がありました。

総理大臣になるためには、自分を支持してくれる人数が必要です。

派閥のメンバーの面倒を見てあげます。

面倒のみかたには主に2種類あって、

1つは、大臣、副大臣、政務官、幹事長などといった役職を与えることでした。

もう一つは、お金を与えることでした。

夏には氷代、冬にはもち代、というものです。

そうして、派閥のメンバーにお金を配分して求心力を高めていました。

 

ただ、派閥にもメリットはありました。

派閥は一つの政策集団でした。

自分たちの派閥はこういう考え方でこういう政策を行いたいという議論が盛んに行われていました。

新人は派閥で勉強をし、政策が鍛えられ、選挙や国会の運営のやり方を学ぶことができました。

そんなわけで、当時の派閥には思想がありました。

岸田総理がトップだった宏池会は、リベラル保守の本流で、憲法9条を重視し、軍事大国にはならないことを前提に経済政策を進めていく、という政策集団でした。

反対にタカ派だったのが清話会で、安倍派につながっていきます。

派閥間で議論をすることで、権力闘争になりつつも、自民党に膨らみを作ることができていました。

 

しかし、やっぱり人というものは偉くなりたいし、おいしい思いをしたいですから、派閥内でよくないお金のやりとりとか談合が行われるわけです。

そこで、リクルート事件をきっかけに、90年代、政治改革が叫ばれるようになりました。

派閥を作っている原因は中選挙区制度だ、中選挙区制度を廃止しなければならない、と言われるようになりました。

そこで導入されたのが、小選挙区制度でした。

小選挙区制になると、一つの選挙区に一人しか立候補できません。

党内の論争が不要になります。

つまり、派閥が不要になります。

どんな一人が立候補できるのか。

自民党本部の公認を得た人が立候補できました。

そうすることで、自民党vs野党、という政党間の争いを高めていこう、というのが政治改革の主眼でした。

それはそれでいいことなのですが、

立候補できるのは自民党本部の意向で決まるので、自民党本部の権力が強くなりました。

つまり、トップダウンのガバナンス改革でもあったわけです。

党本部のガバナンスを強化してトップダウン形式の政党にしてしまうと、政党の中で議論がなくなります。

党本部に対して上目使いになりました。

個人の意見がなくなりました。

個人から党人になっていきました。

議論に対する活力・意志を失わせ、ロボットのように党幹部に従う集団となりました。

 

この10年、野党は力を失い続けていて、なかなか政権を担う存在にはなれていません。

しかも、バラバラです。

そんな中、安倍一強が続いていました。

安倍一強が終わって、ポスト阿部ということになったとき、再び党内競争が活発化しました。

野党は勝てるわけがないのでほっとかれたので、党内だけでの競争が活発化し、派閥の存在感がまた強くなり現在に至るわけです。

ですが、昔の派閥が持っていた良かった点は、今では失われています。

派閥の中で議論は行われず、政策論争もされません。

思想は失われました。

たとえば、宏池会の岸田総理は、リベラルな保守を全く継承していません。

むしろ岸田総理は、防衛費の増大・軍事の拡大、戦後の日本の防衛政策・安全保障政策を大きく変えようとしています。

そして、このパー券裏金騒動の裏で、軍事に関わる大きな法律を国民に内緒で、先月12月の国会閉会後に通してしまいました。

 



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