新世界都市伝説ノート~事実の裏に潜む真実~

新世界が始まる…今までが崩れ落ちる…僕らは生まれ変わる。無限大のエネルギーを感じて…

名言?「エスカレータ並ぶのいやなんで右側に立って乗るんですよ」ひろゆき。

2023-10-18 14:41:07 | 名言

「みなさん、エスカレーターって右側歩くじゃないですか。

左側に立って行列になってるんですよ。

右側空いてるんですよ。

僕は並ぶのがいやなんで、右側に立って乗ることって結構やるんですよ。

並ばなくていいからめっちゃ楽なんですよ。

エスカレーターの右側を上がって登ってく人がいるんですけども、僕は右側に立ってるんですよ。

これって日本人の常識からすると、「みんな並んでんのになんでお前、並ばないの?」ってなるんですけど、そもそもエスカレーターって歩いちゃいけないんですよ。

なので、ルール上僕が正しいので、なにかトラブルがあっても僕のほうが正しいという結論になっちゃうんですよ。」

なんだかわかったようなわからんような…

これが論破というものなんでしょうね。

これを聞いて思ったのが、パリサイ人とイエスの逸話。

パリサイ人は厳格なユダヤ教徒。

神のルールを忠実に守っていた正しい人たち。

安息日は神の教えに基づき、絶対に休まなければならなかった。

あるとき、安息日に困っている人がいた。

パリサイ人は神様のルールに従い、助けなかった。

活動をしないのが常識だったから。

イエスもユダヤ教徒なわけですが、

「いや、そーじゃねーだろ、神様に奉仕することがわたしたちの務め。人は神様が創造したものである。安息日であっても人を助けることは神様に奉仕することになる。なので助けよーよ。ルールはガイドライン」

と言って、困っている人を助けました。

エスカレータでは歩かないというのがルールではありますが、中には駆け上がらなければならない緊急事態にある人もいるかもしれません。

そのような人がいたときに備えて、右側通路を確保しているわけです。

エスカレーターで片側に並ぶ日本人の習性。

そこには、イエスの慈悲に似たものを感じますな。

ところで、私の住む地域では、ちょっと前までは循環器の先生の数が少なかったです。

心筋梗塞などの緊急患者が病院に来たときに、処置できるお医者さんが他病院にいたりしました。

そのときは、お医者さんは自家用車で高速道路を使い、病院から病院へ移動するわけですが、もちろん緊急車両ではないので法定速度で走るのがルールなわけです。

おまわりさんに捕まることを心配しつつ、けっこう飛ばして走ってたそうです。

捕まらなかったからいいけど、もし捕まってたら患者さん確実に死んでますね。

殺人案件になりかねないですね。

法定速度50㎞のところを55㎞で捕まるみたいな、はがゆい経験をされた方も多いのでは?

警官の新人さんが、「研修に遅れるー!!」と、高速で200㎞出して捕まったニュースがありましたが、それはルールちゃんと守りましょうね、って感じですが…

ルールはガイドラインのようなものなので、ルールが全てというのはあまり人間っぽくないような気がしますなぁ…

私自身は、どちらかというと、ルール破りまくってるし、常識も守らない悪い人間です(笑)

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「仏教やキリスト教がさぼっていなければ統一教会の出番はなかった!」ひろゆき。

2023-10-17 14:00:45 | 名言

統一教会が勢力を伸ばすことができた理由について、ひろゆきさんの考えは?

「仏教やキリスト教といった伝統宗教ががんばっていたら、新興宗教の出番はなかったはずなんですよ。

寺とか神社とかが、さぼりすぎたんだと思ってるんですね。

たとえば、人生に悩んで街中でぼーっとしてる人に最初に声をかけるのは新興宗教の人。

アメリカやフランスだったらそういうときは教会へ行く。

教会ではタダめし配ってるから。

そのときに悩みも相談に乗ってくれる。

悩みがあったら宗教施設へ行くという文化がベースにないといけない。

そのために宗教ってあるはずなんですよね。

生活に困ったら寺とか神社に行こうぜってなってないんすよ。

だってめしも配ってねぇもん。」

ということですが、一応教会でもただめし配ってました。

昔、SDA(セブンスデイアドベンチスト教団)という教会に通ってたことがありますが、毎週土曜日礼拝のあとには、牧師さんの奥さんが作ってくれたお昼をみんなで食べてました。

さすがに、モーセのように毎日マナというただめしを配ることはしてませんでしたが…

アメリカ、フランスでは毎日食べさせてくれるのかな?

悩みがあるときには教会へ行くことは確かに有用だと思いますが、当たり前なことではありますが、悩みが落ち着いたあたりで、クリスチャンになるようプレッシャーをかけてきます。

教会に来てるわけですからね。

教会のみなさんはとてもやさしいのですが、「クリスチャンじゃない人はよそ者」っていう排他的な感覚があるような気がします。

実際、洗礼・バプテスマを受けた後に仲間として認められますので。

お寺は住職の質によるところが大きいような気がしますがどうなんでしょう。

神社って、行ってもそもそも神主さんがいなかったりします。

死にたいくらい悩んでいるときはどうすればいいですかね。

1人のままだと死んでしまうので、とりあえず逃げ込むことのできる誰かがいてほしい。

親も友達もいない人は、誰のところへ行けばいい?

市役所?

児相?

悩み電話相談?

スピリチュアリスト?

ヒーラー?

やっぱり宗教施設しかないのか?

寺、神社、教会のなかで言ったらやっぱり教会かなぁ。

統一教会に間違って行かないようにね。

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名言集「夢は持たなくていいです!」長渕剛。

2023-08-15 21:12:08 | 名言

「夢は持たなくていいです!

 

夢なんか、なんで持てるのよ!

 

この時代に。

 

見てよ、大人たちを

 

ちっともかっこよくない

 

あんな大人になんかなりたくない

 

そんな風に僕は思って今でも生きてるよ

 

ひょっとしたら僕はあんな大人になってやしないかって

 

いつもそう思ってさ

 

僕も死にたい夜を毎日毎日数えてる

 

だけど一つだけ言うよ

 

憧れを持つことです」

 

 

私はしばしば「それでも大人か?!」って上司から怒られますが、私は大人になったつもりはありません…

 

夢を持つか、憧れを持つかは…あなた次第です!

 

 

 

 

 

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名言集「仕事にやりがいを求めるのはそもそも間違い?!」ひろゆき。

2023-08-15 14:03:00 | 名言

質問

「大企業で仕事のやりがいがありません、どうしたらいいですか?」

 

ひろゆき

『いやなことやるから、お金もらえるんですよね。

 

人が喜んでやるんだったら、それに社長はお金払う必要ないじゃないですか。

 

自分がやりたくないことをお金をはらってやってもらうのが仕事。

 

仕事というのは誰かがやりたくないこと。

 

便所掃除したくないから便所掃除する人雇うとか、

 

部屋の掃除したくないから部屋の掃除する人雇うとか、

 

自分がやりたくないことをお金を払って代わりにやってもらうものなので、

 

やりがいがないとか、仕事がつらいというのは、当たり前なんですよ。

 

やりがいが欲しいのであれば、自分がやりたいことを始めてみてください。

 

「漫画書くのが好きだから漫画描きます」とかで、

 

「漫画描いてるのが超楽しい」、でも「売り上げの計算とか経理とか面倒くさい」ということであれば、

 

経理の人を雇って、その人に任せる。

 

自分がやりたくないことを他人に任せて自分は好きなことをやるっていうのをやりたいのであれば、

経営者になるしかないです。』

 

 

と、ひろゆきさんは仕事について語ります。

 

確かに仕事っていやですよね、めんどくさいですよね。

 

自営業だってめんどくさいですよ。

 

自営業は上からの縛りがないから、よけい大変かもしれません。

 

はたして仕事にはやりがいがそもそもないのでしょうか?

 

ひろゆきさんはそう信じているので、もちろんその価値観は正しいです。

 

私はと言えば、仕事にはなんかしらのやりがいがあると考えてます。

 

そうじゃないとやりきれないっす。

 

だって、仕事ってきついから。

 

自分は、なんかしらの役に立ってると思いたい!

 

自分の価値をなんかしらの形で売ることができているはず!

 

自分のした仕事に対し、相手から「ありがとう」などと感謝されると、自分の価値を感じやすいかもしれませんね。

 

でも、その感覚は一瞬で、すぐに大変な仕事に埋没していくことになりますが…

 

仕事にやりがいを感じるかどうかは…あなた次第です。

 

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名言集。芦田愛菜の考える「信じる」とは?

2023-08-12 21:56:01 | 名言
芦田愛菜。「世界一受けたい授業 THE LIVE 恐竜に会える夏!」
8月18日(土)、19日(日) 福岡・マリンメッセ福岡 開演=11:00/14:30

 

都市伝説の決めセリフといえば、

「信じるか信じないかは、あなた次第です」ですが、

信じるってどういうことなんすかね?

 

芦田愛菜さんは「信じる」という言葉について、以下のように考察しております。

 

『「その人のことを信じようと思います」って言葉って結構使うと思うんですけど、

それってどういう意味なんだろう?って考えたときに、

その人自身を信じているのではなくて、

自分が理想とする人物像に期待してしまっていることなんだと思います。

 

だからこそ人は、

「裏切られた」とか

「期待していたのに」とか言うけれど、

 

別にそれはその人が裏切ったわけではなく、

その人の見えなかった部分が見えただけなんだと思います。

 

その人の見えなかった部分が見えたときに、

それもその人なんだなって受け止められる自分、

揺るがない自分がいるってことが

信じるということなのかなと思います。

 

揺るがない自分軸を持つって難しいし、

人はみんな不安を抱えて生きていて、

だからこそ、

人は「信じる」って口に出すことで

成功した自分だったり、理想の人物像にすがりたいんだと思います。』

 

 

さすが慶応義塾大学法学部です、

 

インタビューに対して流ちょうに答える芦田愛菜さん、頭いいなと思います。

 

芦田愛菜さんの「信じる」とは、まるっとそのまま受け入れる、ということのようですね。

 

わたしたちは、つい物事に自分にとって都合のよい意味付けをしてしまいがちです。

 

都市伝説なんかは、疑いの気持ちを持って物事を解釈する傾向があるように思えます。

 

例えば、情報がなかなか出ないとき、「情報秘匿の裏には何かがある」と考えるのが都市伝説です。

 

それが陰謀論なわけですが、私は陰謀論だい好きです。

 

陰謀論だけに偏るのはよくないですが、事実の新しい側面が見えるような気がしてワクワクします。

 

信じても信じなくても都市伝説はおもしろい!

 

そのことは信じてます。

 

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