ある歴史講座で名張の臨地講座に参加しました。参加者は35名
最初に訪れたのは夏目廃寺跡。夏目廃寺は飛鳥時代後半(7世紀末~8世紀前半)に建てられ10世紀末頃に焼失したらしいです。
夏目廃寺伽藍の復元図
天武天皇の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が父を弔うために建立した昌福寺ではないかと言われています。
金堂跡
発堀調査で金堂跡から仏像をレリーフにした焼き物「塼仏(せんぶつ)」が大量に見つかりました。展示館には、大小5種類の塼仏709個を組み合わせた金箔の塼仏壁画が復元されています。
昼食後に毛原廃寺跡(宇陀郡・室生村)に向かいました。まったく文献に登場しない寺院にもかかわらず、礎石の大きさから金堂の規模は唐招提寺の金堂にも引けをとらない大きさと考えられ、国指定の史跡に指定されている。
地元の観光ボランテイアの方が説明してくれました
大きな礎石です
次に訪れたのは山添村にある縄文遺跡「大川遺跡」(おおこいせき)です
住居の跡や集石遺構が確認され、西日本の縄文時代早期としては集落の様子が良く判る数少ない遺跡だそうです
最後は山添村のふるさとセンターで買い物ツアーです
センター内に誇大な長寿岩(直径7m)がありました
最初に訪れたのは夏目廃寺跡。夏目廃寺は飛鳥時代後半(7世紀末~8世紀前半)に建てられ10世紀末頃に焼失したらしいです。
夏目廃寺伽藍の復元図
天武天皇の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が父を弔うために建立した昌福寺ではないかと言われています。
金堂跡
発堀調査で金堂跡から仏像をレリーフにした焼き物「塼仏(せんぶつ)」が大量に見つかりました。展示館には、大小5種類の塼仏709個を組み合わせた金箔の塼仏壁画が復元されています。
昼食後に毛原廃寺跡(宇陀郡・室生村)に向かいました。まったく文献に登場しない寺院にもかかわらず、礎石の大きさから金堂の規模は唐招提寺の金堂にも引けをとらない大きさと考えられ、国指定の史跡に指定されている。
地元の観光ボランテイアの方が説明してくれました
大きな礎石です
次に訪れたのは山添村にある縄文遺跡「大川遺跡」(おおこいせき)です
住居の跡や集石遺構が確認され、西日本の縄文時代早期としては集落の様子が良く判る数少ない遺跡だそうです
最後は山添村のふるさとセンターで買い物ツアーです
センター内に誇大な長寿岩(直径7m)がありました
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