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アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

Great Adventure Family

2004-08-24 00:26:54 | Oshin(孤児院)日記
 あんまり子ども達の様子を書いていないので、今日は子どもの生活の様子を書こうと思う。学校が始まってからスケジュールを固定する予定なので、今は日々のスケジュールがきちんと固定されていない。

6:30頃 起床
7:30頃 朝食(チヤ<ミルクティ>にトーストやクッキーを浸して食べる)
10:00頃 昼食 ダルバート キッチンの中にござを引いて食べる。食べる時だけはみんな静かである。「いだたきます」「ごちそうさま」などはない。食べ終わった子からお皿を流しに持っていく。
16:00頃 おやつ(クッキー、バナナ、など)
19:30頃 夕食 ダルバート。正直に書くと、LFNと違ってバリエーションもあり、おいしい。夕食後はもちろん歯磨き。
21:30頃 就寝


 合間の時間はほとんどフリータイムである。が、勉強の時間もある。先生役は、OSHINのスタッフがやったり、プロシャットウさんの娘シタがやったりと、そこにその日にいる人がやるという感じだ。僕も教えるが、ネパール語が分からないので、教えるのもちょっと苦戦する。アルファベットはみんな大体読めるが、発音はあまりよくない。書くのは大きな子はほとんど完璧にできる。小さな子は、まだこちらが読めないような字を書いたり、大文字と小文字を混同したりする。出来た子には赤クレヨンで○をつけてあげた。ネパールでは2重丸や5重丸や花○は(みんなの学校ではあったよね?)ないらしい。○か、very goodのサイン(ιみたいな印)をつけるのだそうだ。英単語も意外と知っていた。買ってきたアルファベット表はAならappleとリンゴの絵が書いてあるので、「A! apple!」とみんなで発音して、書き取った。


 数字も、たまに間違いがあるが、みんな100までの数字を書くことが出来た。数を英語で読むのはちょっと苦手な子がいた。発音はやっぱりあまり良くない。みんなノートや鉛筆を買ってもらって嬉しそうだ。暇な時間に自分でアルファベットを書いたりしている。昨日、CPSへの入学許可が出た。ただし、料金についてはまだ交渉が続いている。子ども達は来週から学校に通うことになった。嬉しいニュースだ。


 子ども達は毎日元気よく遊んでいる。年上の言うことを聞く社会になっている。お互いに結構強く叩きあっているが、それで大人に苦情を行ってくる子どもはいない。そんなものなのだ。それでも余りにもひどい場合には注意する。当初はルールがなかったので、子ども達は部屋を汚しても、掃除をしなかった。汚したら自分で掃除をしなさいと言った。「クレヨンを使い終わったら箱に戻す」「物はみんなで順番に使う(年上の子どもが独占しようとする/この習慣はなかなか身に付かない)」「ゴミがでたらゴミ箱に捨てる」など、いろいろとルールを教えていく。僕のネパール語の語彙はほとんどないので、会話集とジェスチャーが頼りである。子どもたちはがんがんネパール語で話しかけてくるが、適当に相づちをうっている。大体が話を聞いて欲しいか、「これやっていい?」など、僕の確認を取りたい時である。本当に僕の答えが欲しい時は彼らもなんとか意志疎通を計ろうとするので、とりあえず普段はこれでいいのである。


 部屋の中で遊ぶことがほとんどなので、それがかわいそうだ。スタッフはハウスオーナーの夫妻も、プロシャットウさんの奥さんも、年がいっているからか、もしくはそんなものだと思っているのか、外には連れていかない(たまにTVは見せるが)。僕が毎日近くの空き地に連れていく。RCDPという組織があって、そこから外国人のボランティアを派遣してもらうことになった。ボランティア希望の若者をネパール国内で斡旋する組織である。ボランティアはRCDPに手数料や食事代、宿泊代などを含めた料金を支払う。RCDPからは食事代、宿泊代として、月4000ルピー(約6400円)がOSHINに支払われる。OSHINでは、英語をきちんと話せる人を頼んだとのこと。


 (長くなってしまったので、明日に続く)

If it makes you happy

2004-08-21 19:15:06 | Oshin(孤児院)日記
 オリンピック、日本のメダルラッシュはすごいね!僕は映像を見ていないので、ちょっと悔しいけれど、新聞などで見ています。みんなも元気でるんじゃないかな。

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 子どもたちは学校にまだ行けないので、毎日時間がある(暇である)。スタッフで話し合って、OSHINの中で簡単な英語やネパール語、算数を教えることになった。僕も教えるので、壁に張る大きなアルファベットポスターや数字の数え方のポスターを買いに出かけた。子どもたちは英語はできないし、ネパール語も会話だかけで読み書きは出来ない。学校に入学するにしても今は年度の途中なので、事前にある程度のことは教えておかなくてはいけないのだ。僕もいよいよ先生デビューである。


 昨日はみんなで初めて外にでかけた。といっても院から歩いて5分の川原である。ハウスオーナーの息子娘たちも付き合ってくれて、外に出す子ども達を整列させたりしてくれた。川原は水溜りだらけで、すぐにどろどろになったが、サッカーやフリスビーをして楽しく遊んだ。やっぱり子どもは外で遊ばせたい。


 ネパールに来て1ヶ月。意外な展開に、振り返ると自分でも驚きだ。怪しげなネパール語でも駆使せざるを得ない毎日に、すっかり旅気分は抜けている。日本との生活習慣の違いに戸惑うことも多々。これから先はどうなっていくのかな?なんて考えた今日でありました。


☆最近よく使うネパール語;プギョ(お腹いっぱいです)

 解説-孤児院で毎日食べるダルバートセット(ネパールの代表的な食べ物)。プロシャットウさんの奥さんは僕に沢山食べさせようとするので、この単語が必要なのです。必須単語。「タカシィ、カリー?ダル?」「プギョ。プギョ。」


 皆様もお元気で。


 

CPSへ

2004-08-19 22:44:35 | Oshin(孤児院)日記
 昨日はかなり驚いたことがあった。大学時代のテニスサークル”FELIX”の友人と再会!いや、本当にびっくりした。カトマンズで会うなんて。一緒にいた日本人の人達とも仲良くなって、みんな後日孤児院に遊びに来ることになった。嬉しい展開だ。旅っていろいろあるものだ。

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 朝からアチュートさん、プルソットムさんとCPS(Children's Paradise School)へ向かう。この2人は本当に最近激務である。アチュートさんは本業の旅行業も忙しい。オフィスの移転、そしてトレッキング業の免許の申請と大変だ。その合間にライオンズクラブ・LFN(LFNの委員をやっている)・旅行業組合のミーティングにも参加している。プルソットムさんもLFNの仕事とOSHINを兼業でやっている。安い机や椅子を探しにいったり、ガスコンロを無料でゆずってもらうように交渉したり、寄付をお願いしにいったりと大忙しだった。こういったことに協力的な人は多いそうで、ガスコンロも1台無料で、もう1台も破格でゆずってもらうことができた。


 CPSのボスは、OSHINの活動にとても好意的だったが、既にLFNの生徒達を無料で沢山受け入れているので、全員無料でというわけにはいかなかった。例えば12人の受入をするのなら、6人分の学費は出してくれといった案を出してきた。今OSHINは5人の子どもしかいないが、最終的には少なくとも35名くらいまで子どもを増やす計画がある。そうなると新たなスクールバス(院から学校まで1時間弱くらいかかる)、机や椅子などの学校の設備費用の問題も出てくる。CPSとLFNとの契約も未来永劫続くものではない。もちろんスポンサーを探す努力をしなくてはいけない。ただ、LFNは大きなスポンサーが既にいるので、無料の子ども枠を少しゆずってもらうなど、LFN側とも少し交渉をしていくような展開になりそうだ。少し時間がかかりそうである。


 午後はビザの延長申請にイミグレーションに行った。ネパールの滞在ももう1ヶ月になる。インドから来たときの国境もそうだったが、ネパールのイミグレは愛想がいい。その後フリークストリートのスノーマンカフェでクリームキャラメルを食べる。絶品。


 明日もう一人新しい子が来るそうだ。わくわく。


それでは、また。

P.s  古本屋で「竜馬がゆく(四)」を買ってしまい、久しぶりにはまった。読むのは何度目だろう。竜馬は4巻の時点で29歳だ。続きが読みたいけれど売ってない。困った。

OPEN!

2004-08-19 00:24:04 | Oshin(孤児院)日記
 OSHINオープンしました!!!パチパチパチ。


 と、一人で興奮しているが、やってきた子どもたちを見ていると、本当に感無量であった。プロシャントウさんと一緒に、元気に遊んでいる子どもたちを眺めていたら、胸が一杯になった。嬉しかった。始まったのだ。


 子どもは5人やってきた。男の子3人、女の子2人。みんな元気いっぱいだった。でも僕が来る前はみんな結構泣いていたようだ。マウイストに親を殺された子、洪水で親を失った子・・・。みんな本当に親がいない子ども達なのだ。でもびっくりするくらい元気一杯。かわいい!


 細かいプロフィールは後でもらうことになっているが、こんな子たちである。

シャビン(男の子 9歳)
シャビナ(女の子 10歳)
ラム(男の子 10歳)
シャガル(男の子 8歳)
シュニタ(女の子 9歳)

 年齢は自称で、実際は2-3歳くらい低いと思う。


 さっそく名前を聞く。聞いて同じように発音してみるが、やっぱり間違っているらしく、僕が発音するたびにみんな大笑い。何やっても大笑い。ま、とりあえず順調なスタート。その日は夕食を食べて寝た。


 次の日、まだ学校が決まっていないので、みんな朝からフリータイムである。子どもは放っておいても遊ぶ。かまってもらえれば大喜び。子どもの世話をする女性は、昨日面接をするはずだったのだが、体調不良で延期となった。実際に子ども達を見てもらって決めるのだそうだ。食事はとりあえずLFNのプロシャントウさんの奥さんが作っている。子ども達が喧嘩を始めた時に飛んで行くのもこの人だ。子どもを叱る時は結構叩いている。子ども達同士も結構手を出す。特に年上から年下へ。僕がおもちゃなどを出した時に、最初に手にするのは年上の男の子である。さらに年上の大人の男性がくると、その人に手渡さざるを得ない。余談だが、先日は町中で女の人同士が叩きあっているのを見た。すさまじかった。


 基本的にこどもだけの外出は禁止されている。今日は近くの空き地に連れていってあげようと思ったが、雨が降っていたのでおとなしく室内で遊ぶ。庭などもないので、ちょっとかわいそうな気もする。ギターを持ってきているだが、男の子はギターが大好きで、暇になると「ギター貸して!」と言ってくる。紙風船は1時間で壊れた。ま、そんなもんだ。


 ハウスオーナーの一家も結局ここに住むことになった。増築した3階部分を一家4人で使っている。ここの子ども達2人も一緒に遊ぶので、結構賑やかである。この2人は学校に通っていて、英語が多少できるので助かる。5人は英語はほとんど出来ないので(ネパール語の読み書きも出来ない)、僕も頑張ってネパール語で会話せざるを得ない。プロシャントウさんの奥さんもハウスオーナーのご夫婦も英語はほとんどできないので、昼間はネパール語で頑張るしかないのだ。会話集が大活躍。


 ずっと一緒にいると疲れてしまうので、適当に部屋に戻って休みながら子どもと遊ぶ。でも暇だからだんだん大人も子どもも集まってきてしまう。時間がゆっくりと流れていく。


 OSHINのミーティングでは、特に教育方針のようなものは熱心に話されなかった。女性がまずは住むところがあって、食べ物がある。とにかく子ども達が愛を受けて育つことだと思う。しばらく滞在するつもりなので、日本の子どもとの違いなどをじっくり見るつもりだ。基本的な方針は以下の通り。

1.本当の孤児であること(親がいる子どもを通わせてい孤児院が沢山ある)
2.私立の学校に通わせる(公立の学校の水準がとても低いため)
3.女性のスタッフが子どもの面倒を見る


書きたいことはたくさんあるけれど、また今度。明日はCPSというLFNの子どもたちが通っている学校に行きます。OSHINの子どもたちを受け入れてもらうための相談のためです。

それでは、また。

いよいよ!

2004-08-16 01:29:24 | Oshin(孤児院)日記
 いよいよOSHINの開院があさってに迫った。暫定の事務所代わりとなっているSea & Sky Travelの事務所に行く。レターヘッドが1000部納品されていた。レターヘッドなのに、総主事を始め、関係者の名前が入っていて、僕の名前も入っている。


 OSHINの正式名称は Oshin Child Development Center Nepal (OCDC Nepal)と言う。OSHINのネーミングの由来は、ネパール語のoshin(=pure)という単語から来ている。 Sea & Sky Travelのマネージング・ディレクターであり、OSHINの会長を務めるAchyutさんが考えた。10年前にネパール国営放送で放映されたあの「おしん」のことも覚えていて、これでばっちりだと思ったそうだ。僕は今まで「おしん」と書いていたが、ここからは「OSHIN」と記すことにする。


 しかし、まだまだやることは沢山ある。明日は朝から長いミーティングがある。実はまだ女性のスタッフが確定していないのだ。明日候補者の中から絞り込む作業を行う。その他、運営方針についての細かい詰めや規則の決定、候補にあがっている子どもの選定、こどもの病気や怪我などの緊急時の体制についても話し合う。


 Oさんの知り合いで、こちらで裁縫指導をしている日本人の方が子どもを2人推薦したいとのことで、僕がその方に電話を掛け、子どもの情報を詳しく聞いた。この子どもたちを迎えいれるかどうかも、明日のミーティングで話し合うことになっている。政府の機関誌に、こういった子どもの情報が載っていると言う話を聞いた。こういった子どもたちを引き受ける場合、その子どもに親や親戚がいる場合はその人、警官、そしてOSHINの三者で契約書を交わす。 契約には、どこの段階まで学校に通わせるか(例:高校卒業後に大学に行くか、働くか)をいったところまで盛り込まれる場合もある。OSHINに入る子どもたちは2ー8才なので、ここまで細かい契約は取り交わさない。


 新しくメンバーに加わってくれそうな眼科医がいるそうだ。眼の病気はネパールでは結構深刻なようだ。発展途上国と言われる国では、栄養部足のため眼の病気が多い。白内障も若いうちから多く見られるようだ。そこで様々なNGOが「アイ・キャンプ」という眼の治療のためのキャンプを開く(ネパールのアイキャンプについて詳しく知りたい人はこちらへ)。医師が訪れ、短期集中で治療をするのだ。この方もライオンズクラブの会員で、AchyutさんがOSHINに誘った。OSHINは既に2人の医師がAdvisory Committeeに入っており(小児科医と胸の専門家)、この2人が子どもたちの定期診断を行ったり、病気の時に関わることになる。ちなみに金銭サポートをするアメリカ人は動物のお医者さんなのだそうだ。もう一人のAdvisory Committeeのメンバーは台湾人で、Sea & Sky Travelが業務提携している会社のスタッフのようだ。以前からお金や服を送ったりしていたとのこと。僕も含めて全部でAdvisory Committeeのメンバーは5人である。


 まだまだ資金は足りない。軍からお米をもらえるように要請しているとのこと。明日、決めることが多すぎてきちんと話しきれるのか不安だ。明日の決定を待って、パンフレットやWEBサイトの作成が始まる。WEBサイトは僕が日本語版をつくることになっている。


  というわけで、いよいよです。わくわくしてきた!明日はリニューアルが終わったOSHINの建物で朝からミーティングです。それでは、また。

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何度も紹介しているLFN(The Light for Nepal Children's Home)のサイトです。
http://www.lightfornepal.org.np/
英語ですが、写真だけでもどうぞ。




HAPPY HOME

2004-08-12 21:35:36 | Oshin(孤児院)日記
 びっくりしたこと。
マーケットで水の入った洗面器の中で売られていた腕時計たち。防水機能強調か。
女物の下着を売る小さな店で、女性たちを相手に弧軍奮闘するネパール人の若い男の店員。頑張れ。
サザンを大音量で流しながら走り去っていった車。これはなんか嬉しかった。

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 HOTEL HAPPY HOMEはスタッフがフレンドリーで過ごしやすい。今日はスタッフの息子何々君(名前忘れた。かわいい子)の誕生日だとかでパーティーに招かれている。今晩はただ飯だ。ホテルのレストランでご飯食べても、「お金はいつでもいいよ」。このゆるーい感じが好きである。オーナーの中国人のおばさんは日本語の勉強中で、たまに日本語を教えてあげている。ここのスタッフの人もローカルのNGOに関わっていて、事務所に連れていってもらったりした。


  古本屋で元シャプラニール・ネパール駐在員の定松栄一さんが書かれた「開発援助か 社会運動か」を買う。シャプラニール・ネパールの立ちあげの様子が記録されていて、とても面白い。シャプラの本は「シャプラニールの熱い風」もそうだったが、失敗談がきちんと掲載されているのが良い。旅に出てから、様々なNGOの活動を見ているが、ちょっと立ち寄ったくらいでは、現場の生々しい苦労や失敗などはわからないのである。僕はそういった話が知りたいのである。


 NGOや国際協力関係の本は古本屋で沢山売っているので嬉しい。日本食屋にもこの手の本があって、読むために通ったり、閉店間際に貸してもらったりしている。もう常連になってしまい、割引カードを出さなくても割引してくれるようになった。古本屋の本のラインナップを見て、あれこれ思いを巡らすのも楽しい。推理小説や雑誌が多いのは(読み捨てだから)日本の古本屋も一緒だが、浜崎あゆみ写真集なども売られている。旅行中にお金に困って売ったのだろうか?日本の国語の教科書も売っていた(駐在員の方が売ったのか?)。ハードカバーも頑張って集めているようだ(でも高い!)。司馬遼太郎など歴史物も沢山ある。


 日本食屋はいろんな出会いもあって面白い。2年半も旅をしている若いカップル(この人達の旅情報はありがたかった)、洋服のデザイン・販売の仕事をしている人(ネパールで制作したオリジナル商品を日本のお店に卸している)、駐在員のご家族、などなど。やっぱり日本語で心おきなく語れるのは嬉しいものである。「え、今イランのビザ取れないんですか?」「9月8日にカルカッタでインド-日本戦を見ようよ!」「次は○日にストがあるよ」。旅先で交わされる情報の種類は、日本と違うのである。お店に置いてある情報ノートも楽しい。この宿やレストランが良いなどの情報から( HOTEL HAPPY HOMEのことも情報ノートで知った)、見事ぼったくられました体験談、ワールドワイドな旅行記などなど、とても参考になるし楽しい。地球の歩き方もこういうノート参考にしたほうが良いのでは?トラブル多発で有名な宿が、素晴らしい宿みたいに紹介されてるんだもん。日本人詐欺師の情報もあった。バンコクやポカラでは、行方不明になっている日本人の情報を探しているチラシも見た。


 Sea & Sky Travelに行くと、おしんの封筒と領収書とはんこが完成していた。ベッドも納品されたとのこと。いよいよオープニングが近づいてきた。一番気になる点は、子どもの世話をする女性のことである。オープニングの段階では、キッチンスタッフ1名、世話係1名である。子どもたちは昼間は学校に通うが、寝起き・食事など大半の時間をこの女性たちと過ごすことになる。365日だ。本当に父母がいない子どもたちにとって、彼女らの影響がいかに大きなものとなるか、言うまでもないだろう。子どもたちのスケジュールや生活スタイルは、おそらくLFNの現在のスタイルを踏襲になるはずだ。僕もオープニングから少なくとも数日は弧児院に泊まり込むつもりである。


 





おしん

2004-08-03 23:43:57 | Oshin(孤児院)日記
 たまたま入ったお店でアジアカップの日本代表戦をやっていて、久しぶりに代表の試合を見た。俊輔はやっぱりすごいな。一つ上をいっている。音声はアラビア語だったが、アナウンサーがnakamuraを連呼しているのが分かった。でも後半に停電して最後まで見れなかった・・。今日は停電が長い。夕飯もろうそくの明かりで食べた。バングラの夜を思い出すなあ。

(写真はおしん。建物はご覧のとおり古いです。)

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 建設中の孤児院を見に行く。LFNから歩いて10分くらいのところだ。この辺りはまだ開発中のエリアで、広大な空き地や建設中の建物が多い。雨季なので、道はいたるところどろどろで、歩きづらい。そういえばまだこの孤児院の名前を書いていなかったが、この孤児院の名前はOSHIN(おしん)と言う。今日開設した銀行のレシートにもしっかりOSHINと書かれていた。なぜおしんになったのかは今度書く。ちなみに僕がつけたのではない。


 正確には2階建ての建物の屋上に、もう1階分を建て増しているところである。ここは実はおしんの委員の方の家なのである。新しく建物を建てる余裕はないので、このような形となった。御家族の方もいてチヤ(ネパールではチャイをチヤと言う)をごちそうになる。彼らはこれから別の場所に引っ越すのである。5人くらいの職人さんが煉瓦を手に作業をしていた。最上階はキッチンとなるとのこと。ネパールの家のキッチンはやっぱり何故か最上階なのだ。


 古い建物だが、部屋数は十分だ。ベッドは取りあえず2段ベッドを6つ発注している。子供は10人からスタートする予定である。オープニングの日も決まった。8月17日である。あと2週間くらいだ。


 さあ、それまでどうしようかな。




開院準備

2004-08-02 00:45:17 | Oshin(孤児院)日記
バングラの洪水は本当にひどいですね。バングラデシュのYMCAでも救援活動が始まっているようです。英語ですが、バングラデシュのYMCA同盟のHPに、写真つきで記事が載っています。毎日のように更新されています。孤児院のスタッフは、バングラデシュは復興のために15年分くらいの国家予算を使うことになると言っていました。この方はライオンスクラブに入っていて、クラブのみんなでネパール、バングラデシュの洪水被害者に寄付をしたそうです。

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今、新しく開く孤児院は大忙し。明日は銀行口座を開き、ベッドを買うとのこと。あとで1週間で始めるといっているけれど、本当に始まるのだろうか?動きがダイナミックだ。


今日は2人の子どもを確定したそうだ。洪水はもちろんバングラだけではなく、近隣のインド、ネパールにも被害が及んでいる。この2人は洪水で親を失った子どもである。この子どもたちのことは警察から聞いて知ったそうだ。現在は国の運営するリハビリテーションセンターで暮らしているが、これは一時的なもので、ずっとそこにいることはできないそうだ。


明日は孤児院の建物を見に行きます。LFNからすぐ近くだそうです。


孤児院

2004-07-30 00:59:29 | Oshin(孤児院)日記
 今日はよっしーがデリーと旅立っていった。またね、よっしー。元気でね。

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 LFNのプロシャントウさんと一緒に、ある旅行会社のオフィスへ向かった。旅行会社の社長さんは、カトマンズで別の孤児院を経営している人だ。前回ネパールを訪れた時に、この孤児院が経営難に陥っているとの話を聞いていた。今回はここを訪れるのが目的であった。


 聞くと、彼はその孤児院を離れ、別の孤児院を作ろうとしていた。そこのスタッフの神父さんが、キリスト教色を強く打ち出し始めたため、そこを離れたのだと言う。彼自身も(彼はネパール人)信仰はなく、宗教を強制したくないとの意見である。さらにその神父さんは、経営資金を自分のポケットに入れていると言っていた。神父さん側から話を聞いたわけではないので真偽は定かではないが、この手の話はいやという程聞く。


 既に孤児院用の土地は買ってあり、これから建物の建設が始まるとのこと。まだまだこれからベッドや机、キッチン設備などを買わなければならない。専従スタッフも必要である。子供は既に数人ピックアップしてあると言う。選考基準は、とにかく貧しい家庭の子供であること。以前も書いたが、スタッフの子供や親戚が孤児院に入っていたり、父もしくは母がきちんとお金を稼いでいる子供がいる孤児院が沢山あるのが、ネパールの孤児院の現状なのである。


 子供達はこの院から、私立の学校に通わせるのだという。公立の学校の評判は本当に悪い。先生は授業に遅刻するし、早くクラスを終わる。先日LFNの子供達が通う私立の学校を見学しにいったのだが(LFNの子供達は無料で通っている)、教育水準が高くてびっくりした。授業は基本的にネパール語の授業以外は英語で行われる。英語の先生の教え方も上手で、舌を巻いた。英語は幼稚園児のクラスでも教えられている。コンピューターの授業(3年生)のクラスでは、CPUやROMといったコンピューター用語とその仕組みがきちんと教えられていた。科学の実験室も図書室もある。公立の学校の授業は見ていないが、その差に相当なものがあるのは間違いない。


 孤児院は既に委員会組織が形成されていた。この旅行社の社長さんを中心に、医師2名、弁護士1名、LFNのプロシャントウさん、旅行社のスタッフなどのメンバーである。つぼはある程度押さえている。医師と弁護士がいて、別の孤児院のスタッフがいて、ホームページを作る人がいて(旅行社のスタッフ)、マネージメントをする人がいる。この他にADVISELY COMMITTEE(運営についてのアドバイスをする委員会組織)があり、金銭援助をしているアメリカ人女性など3名がいる。ちなみにこの女性は月に100ドル(上限で200ドル)を送金するのだという(今日この女性からATMのカードが届けられた。CITY BANKか何かのカードだろう)。彼女から来ていたeメールを見せてもらった。


 彼は僕にもこのADVISELY COMMITTEEのメンバーになって欲しいのだと言う。アメリカ人も、日本人も参加している組織なら外部からの信頼を得やすいいうことである。彼はそのことをはっきりと僕に言った。僕は本当に困っている組織なら、自分の出来る範囲で手助けしたいと思っていた。資金援助という形ではなく、この孤児院のことを他人に紹介するなどして。彼もそれを僕に望んだし、お金を僕には望まなかった。


 まあ、いうなれば気軽な身分ではある。自分の名前を貸すだけでも助けになるのだから、という気持ちで参加することもできるが、それはあまりにも無責任である。ひっかかっているのは、自分があまりにもネパールのことを知らなすぎることと、この組織がちゃんと信用できるのか(今だけでなく将来的にも)ということである。ここ数ヶ月、援助関係の本を沢山読み、現地でも様々な失敗談を聞いているので、慎重にならざるを得ない。本格的に参加するのなら、まだまだ知らなければいけないことが沢山ある。


 この孤児院の立ちあげの時期にネパールに立ち寄ったことは神の摂理か、否か。彼らの熱意を真剣さは十分に感じられたが。また、報告します。