ヤンバルに座る---たかえをまもれ!

ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会(高江連絡会)

選挙後に高江の工事再開の恐れ。現地参集要請!/周縁化脱出、高江の人権を守る抵抗運動の意義

2016-07-08 11:49:33 | 日記
1.はじめに

やんばる高江ヘリパッド工事強行を許さない有志の皆さんへの要請!

 選挙活動、ご苦労様です。まだ選挙期間中で忙しいと思いますが選挙後の来週から高江の工事再開の恐れが出てきています。県のほうからも現場に車やテントの撤去を求める看板を建てに来たり、車の所有者に文書を郵送してきたりしています。沖縄防衛局がさんざん県をつっついてやっと動いた形です。
来週、一週間、工事再開の可能性が出てきています。取り敢えず一週間は万全な体制で取り組んでいきたいと思います。
ご参集のほど、宜しくお願いします。


参議院議員改選選挙:
選挙サァニ 島売りアイコ シタタカ タッピラカチ トゥラサナ! 伊波洋一ヤ イッペェ ディキラサナ!
比例区は立憲4党の中のいづれかの党へ! 壊憲4党(自民・公明・おおさか維新・こころ)は駄目よ、掃きダメに!


2.沖縄をめぐる軍事同盟の進展と島内周縁化脱出のための高江の人権を守る抵抗運動
 ジャン・ユンカーマンは1990年代に「老人と海」という与那国島の海と共に生き海に帰る孤高の漁師夫婦に焦点を当てた、もはや与那国島ではここ数年の自衛隊配備騒動の結末もあって遥かな郷愁に追いやられた感のドキュメンタリー作品と、戦後70年を契機に辺野古新基地建設に象徴される基地オキナワをめぐる問題を扱ったドキュメンタリー「うりずんの雨」があります。気鋭のドキュメンタリストです。その彼ゆえのインタビューのyoutube動画記事があったので下記紹介します。インタビュー相手の、言語学者ノーム・チョムスキーは数年前に筆者がエドワード・W・サイード著「パレスチナとは何か」を読んだことを契機にその活動を知るところとなった知識人であり、一方のジョン・ダワーには「敗北を抱きしめて」という有名な著作があり、戦前戦後の日本考察と早くからの日本国憲法をめぐる積年の考察で良く知られている知識人であります。以上の構成に気を引かれ動画を拝観しましたが、短いながら内容は期待に応えるものでした。日本語字幕を抜き書きしました。まずは動画をご覧ください。
2016/07/02「ジャン・ユンカーマン監督特集」より、ノーム・チョムスキー、ジョン・ダワー両氏の最新インタビューを一部先行公開。
ユンカーマン監督作品のキーマンとも言える2人はいま、世界を、日本をどう見ているのか?
https://www.youtube.com/watch?v=xQTBKaEz0Gc


インタビューアー
 日本が集団的自衛権を認め行使する方向に動いていることについてどう思いますか?

ノーム・チョムスキー
 集団的自衛権と呼ばれていますが、その意味は憲法9条の破棄にほかなりません。すなわち、戦後の日本の主要な功績のひとつである軍事的冒険主義の正式放棄を否定するものです。日本が独自の軍事活動や外国への干渉を行う方向に動けば非常に重大な変化になるでしょう。
 現在、最大の危機スポットが沖縄です。日本は多数の米主力軍が沖縄に駐留するのは望ましいという決定を下しました。沖縄の米軍基地は象徴的な存在だと思います。
 沖縄にある海兵隊の基地は現在の街の中(普天間)でも、移転先の建設予定地(辺野古於)でも軍事的な価値はほとんどありません。むしろこの地域におけるアメリカの軍事支配や日本の従属的な地位を表すシンボル的な存在です。しかし残念なことに日本政府はそれを捨てることを嫌がっています。

ジョン・ダワー
 反軍国主義を定めたのは日本国憲法ですが、この憲法は日本に深く定着したと思っていました。しかし状況は変わりました。日本に新しい政府が誕生し、反軍国主義の気風を捨てるような圧力が増大し、言われるところの「普通の国」になろうとしている。
 日本の保守派は「日本は独立性を高めもっと普通の国になる」と主張します。しかし、日本は決して対等な国にはなれません。アメリカの世界戦略に沿った軍事的対応に貢献させられるのがおちでしょう。
 日本はいまだに従属国家であり続けながらこれまでよりもっと活発になっています。輸出用の武器を製造し、海外に派兵し、秘密工作を行い、軍事活動を秘密にする。
もちろん私の世代、あなたの世代はベトナム戦争の時代に育ったので覚えています。そういう時代に日本が反軍国主義を貫いたことを、たとえ日本が基地を提供しアメリカの戦争を様々なかたちで支援していたとしても、その反戦の精神は魅力的でした。狂った軍国主義にひた走る世界の中でそれは揺れるろうそくの明かりのようでした。いまやその炎は吹き消され、日本は軍国主義の一部になろうとしています。
』(括弧内及び太字強調は当ブログ筆者による)
以上。

高江の人権を守る抵抗運動と現状

 「辺野古に新基地は造らせない」大衆運動は直接的に日米安保条約撤廃を掲げなくても日米安保の絆にくさびを打つことになる、という戦術論があります。しかし、事態は米国の世界戦略(米日韓&NATOによる東西からの中国・ロシア封じ込めと緊張関係の継続)に沿って中国脅威論で「国民」を幻惑し国家主義を煽る日本を従えた極東軍事同盟への変質過程が進行していると言えます。上記のノーム・チョムスキー、ジョン・ダワーの解説はそのことを簡単明瞭に表したものとも言えます。
 日米安保容認ではあるが、辺野古に新基地を造らせなければ日米安保にくさびを打ち込める、あるいは「本土」との基地負担平等化が図れる云々は事態の進展に遅れた旧態の土俵上でのことであって、その恣意的(=思い入れ・思い込み)戦術論的対応は却って人々を目隠しすることになって民衆をまるごと上述の軍国主義の事態(他国との戦争状態)に巻き込むことになるものではないか。もはや米軍と自衛隊を区別することは愚かなことです。米軍はいやだが自衛隊ならまだしも良いという類いのものではないのです。私たちは、基地建設による生活環境破壊は当然のことながら、日本政府による与那国島への自衛隊配備、宮古島と石垣島への自衛隊配備&ミサイル基地建設計画はこの事態の進行の文脈の中で考える必要があります。

 翻って、高江(北部訓練場)問題はどうでしょうか。

<辺野古>はすなわちオスプレイ配備撤回でもあることを挙げて、高江の問題(東村、国頭村域に跨るヘリパッド建設工事)はオスプレイ配備撤回問題の進行によって収れんして行く、という言い方があります、いや、そういう態度があります。“収れんして行く”とはその帰趨に左右されて決まるということでしょう。 実際に工事が強行されていく事態の進行には現実的には何ら対処しないということと同義ではありませんか。また収れんとはあいまいな時間軸のなかで場合によっては現地住民や沖縄島住民のいのちと生活が危険にさらされ翻弄されることと同義です。一方では北部訓練場の意味づけ(=軍事的位置づけ)が新軍事事態の進行の中で変わって行くはずです。辺野古新基地建設ができなくても北部訓練場はなくなるかどうかは分かりません。
 最低限言えることは、北部訓練場全面返還すなわち沖縄からの海兵隊の撤退が必要です。そうでなければ、貴重な自然及びいのちと生活を保障する貯水保全環境は永遠に危険にさらされ、基本的人権は蹂躙されることになります。
 住民の会や等連絡会では何年も前から県議会への陳情や要請をしてますが、ずーっと継続審議で先送りです。県当局責任者の現地住民との話し合いさえ未だし、です。
 近代からずっと周縁化に喘いだものが、自らの内部に小周縁を抱える。周縁化に喘ぐ人々の“いにしえから現代に至る”魂の飢餓感“は自らの内部におけるそれを感じ取る思想力が問われる。沖縄の叫びが人権を守るたたかいであるとするならなおさらのことです。 高江の問題への対応があいまいで、非論理的であるなら、先島における問題は、すなわち沖縄の問題は解決できないでしょう。

 先ごろ県から高江現地に道路法違反に基づく文書による行政指導として車両及び仮設テント撤去の「注意書」が行政手続きの一環として初めてなされた。県の高江への初めての踏み入れの第一歩が、住民との対話ではなく、これです。行政手続きであるから、「注意」「戒告」「命令」「県の強制代執行」の手順を防衛局(日本政府)は期待し、その進展の如何によって次の一手を考えるであろう。すでに目論見はあるだろうが、この紙面での推量は割愛します。
 この「注意書」掲示に際して県は強制執行には至らない(のではないか)としているが、そんな単純なものではないだろう。高江現地のたたかいは道路行政マターでどうなるものでもない、基本的人権を守るたたかいなのですから。沖縄の現状に“怒りは限界を超えた”が共通の認識であるならこのことにオール沖縄会議が何らかの声明を出すことを希望します。オール沖縄会議がそれをできなければそれに参加している団体が個別にでも声明を出すことを希望します。問題の依って来たるところは魂の飢餓感から発せられているのですから。これはオール沖縄会議の運動の足並みを乱す行為ではなく、沖縄島嶼全体に目を見開き、状況を明るみに出すひとつの契機でもあるのですから。


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