日記を書くのは実に久しぶりで、なんだかとまどっている。
書きたいことがあっても、それを文章化するのにつまづくようになった。
おそらく、ストレスをうまくコントロールできなくなってきたせいだろう。
ストレスそのものが書けない原因とは思えない。
なぜなら、勤め人の頃も、ストレスはいろいろあったから。
にもかかわらず、当時のほうが今よりも頻繁に日記を書いていた。
これを「年のせい」というのかもしれない。
慢性的なストレス源は、母だ。
統合失調症はほぼ治ったと思うのだが、非常識な行動が目に付くようになった。
これは、入院中の付き添いではわからなかったことだ。
もともと思い込みの激しい母のこと、それゆえの結果にすぎないと言えば、それまでなのだが──。
退院後まもなく、こんなことがあった。
わが家では、流しのゴミ取りにストッキング様の目の細かいネットを使っている。
水切りをして、ビニール袋などに入れて捨てるだけでいいのに、母は違った。
ゴミ袋を外さず、中に溜まった生ゴミを素手でつかんでビニール袋に移していたのだ。
清々しくあるべき朝、その異様な光景に、私は思わず声を上げて母を制止した。
すると母、「なかなか取れないのよ」──当たり前だ。
ゴミをしっかり絡め取ってくれるから、愛用しているのだ。
母は、ゴミ取りネットを再利用するものと勘違いしていたのである。
また、シャワーを使った後、排水口の髪の毛も素手で取っている光景を目にして、やはり止めた。
一応書いておくと、私が掃除を怠けているわけではない。
母は、使った後は掃除をしなければ……と思ったようだ。
昔から母には潔癖症のところがあるが、素手でゴミに触れることには抵抗がないらしいのが不思議だ。
不衛生なのでやめるように注意してから、そのようなことはしなくなった(と思う)。
確認が足りない行動もある。
陽気が暖かい頃など、夕方、カーテンを閉める時に窓が大きく開いたままだったり。
窓のレバーが施錠されていない時もあったが、これについては、最近になって事情がわかった。
「閉めたはずだけど?」と訝る母の手つきは、レバーを開ける仕草だった。
道理で私が閉めたつもりの時でも開いている場合があったわけだ。
病院では共同設備の電気を消したりしないからか、消し忘れ、なかでもトイレの電気が多い。
自分で点けて入ったのに、出る時に忘れるのはおかしい気もするけれど、行動習慣はなかなか修正できないのだろう。
それでも、近頃はだいぶ減ってきたように思う。
こうした出来事は、どれも些細なことだ。
が、見過ごすには引っかかり、魚の小骨よろしく、チクチクと神経を逆なでする。
食べ方の問題にしてもそうだ。
一箸に取る量が多すぎて、口いっぱいに頬張っていたり、黙って見ていられないことがある。
といって、注意ばかりしていても楽しくない。
ご飯茶碗が重いと言っていた母は、昨秋から週1でデイケアに通っている。
本当は、もっと早くに通わせたかったのだが、母が乗り気でなかったのだ。
施設では、リハビリにかける時間はわずかだけれど、手作業や体操などがあるので、少しずつ効果が出てきた。
家でも毎日廊下を往復したり、テレビ体操をしているので、姿勢がよくなり、歩き方もかなりしっかりしてきた。
今年は週2にしたいところだけど、「ストレスになるからイヤだ」と言われては、無理に勧められない。
同じ頃、母とよく話し合って、精神科への通院をやめた。
他人に自分のことを話したがらない母は、診察では、聞かれたら答えるという感じだった。
これという検査もなく、短い会話だけで薬が処方され続けることへの疑問と、治療の先が見えないことへの不安。
そもそも、ほぼ治ったから退院させられたわけで、通院は予後観察的なものだったはずである。
このまま通院しても、薬への依存から抜けられないばかりか、老齢の身には副作用の負担が大きいだけと思い、やめることにした。
今は、内科で眠剤を出してもらっているが、それも本当は要らないのではないかと私は思っている。
母の思い込みを見ていると、錠剤の代わりにラムネのお菓子を出してみたい誘惑に駆られるのである。
書きたいことがあっても、それを文章化するのにつまづくようになった。
おそらく、ストレスをうまくコントロールできなくなってきたせいだろう。
ストレスそのものが書けない原因とは思えない。
なぜなら、勤め人の頃も、ストレスはいろいろあったから。
にもかかわらず、当時のほうが今よりも頻繁に日記を書いていた。
これを「年のせい」というのかもしれない。
慢性的なストレス源は、母だ。
統合失調症はほぼ治ったと思うのだが、非常識な行動が目に付くようになった。
これは、入院中の付き添いではわからなかったことだ。
もともと思い込みの激しい母のこと、それゆえの結果にすぎないと言えば、それまでなのだが──。
退院後まもなく、こんなことがあった。
わが家では、流しのゴミ取りにストッキング様の目の細かいネットを使っている。
水切りをして、ビニール袋などに入れて捨てるだけでいいのに、母は違った。
ゴミ袋を外さず、中に溜まった生ゴミを素手でつかんでビニール袋に移していたのだ。
清々しくあるべき朝、その異様な光景に、私は思わず声を上げて母を制止した。
すると母、「なかなか取れないのよ」──当たり前だ。
ゴミをしっかり絡め取ってくれるから、愛用しているのだ。
母は、ゴミ取りネットを再利用するものと勘違いしていたのである。
また、シャワーを使った後、排水口の髪の毛も素手で取っている光景を目にして、やはり止めた。
一応書いておくと、私が掃除を怠けているわけではない。
母は、使った後は掃除をしなければ……と思ったようだ。
昔から母には潔癖症のところがあるが、素手でゴミに触れることには抵抗がないらしいのが不思議だ。
不衛生なのでやめるように注意してから、そのようなことはしなくなった(と思う)。
確認が足りない行動もある。
陽気が暖かい頃など、夕方、カーテンを閉める時に窓が大きく開いたままだったり。
窓のレバーが施錠されていない時もあったが、これについては、最近になって事情がわかった。
「閉めたはずだけど?」と訝る母の手つきは、レバーを開ける仕草だった。
道理で私が閉めたつもりの時でも開いている場合があったわけだ。
病院では共同設備の電気を消したりしないからか、消し忘れ、なかでもトイレの電気が多い。
自分で点けて入ったのに、出る時に忘れるのはおかしい気もするけれど、行動習慣はなかなか修正できないのだろう。
それでも、近頃はだいぶ減ってきたように思う。
こうした出来事は、どれも些細なことだ。
が、見過ごすには引っかかり、魚の小骨よろしく、チクチクと神経を逆なでする。
食べ方の問題にしてもそうだ。
一箸に取る量が多すぎて、口いっぱいに頬張っていたり、黙って見ていられないことがある。
といって、注意ばかりしていても楽しくない。
ご飯茶碗が重いと言っていた母は、昨秋から週1でデイケアに通っている。
本当は、もっと早くに通わせたかったのだが、母が乗り気でなかったのだ。
施設では、リハビリにかける時間はわずかだけれど、手作業や体操などがあるので、少しずつ効果が出てきた。
家でも毎日廊下を往復したり、テレビ体操をしているので、姿勢がよくなり、歩き方もかなりしっかりしてきた。
今年は週2にしたいところだけど、「ストレスになるからイヤだ」と言われては、無理に勧められない。
同じ頃、母とよく話し合って、精神科への通院をやめた。
他人に自分のことを話したがらない母は、診察では、聞かれたら答えるという感じだった。
これという検査もなく、短い会話だけで薬が処方され続けることへの疑問と、治療の先が見えないことへの不安。
そもそも、ほぼ治ったから退院させられたわけで、通院は予後観察的なものだったはずである。
このまま通院しても、薬への依存から抜けられないばかりか、老齢の身には副作用の負担が大きいだけと思い、やめることにした。
今は、内科で眠剤を出してもらっているが、それも本当は要らないのではないかと私は思っている。
母の思い込みを見ていると、錠剤の代わりにラムネのお菓子を出してみたい誘惑に駆られるのである。
注意して改善するって素晴らしい。
本人より燈子さんがストレスに感じているって、惜しいネ。
そういえば、最近私もトイレの電気をよく消し忘れるんです。
やばいです。(苦笑)
私の母は、老いを受容しているというより、自分で自分を年寄り扱いしすぎているところがあります。
もっと年相応に、いろんなことに興味を持って、挑戦してほしいんですがねえ。
電気の消し忘れ、とほさんもですか!?
私は、水差しに水を溜めている間、ほかのことをしていて忘れるというのが近頃よく……やばいです。
お互い気をつけましょう(苦笑)
♪日記のこと
私もぜんぜん書きたくなくなりましたが、
昨年だったか?…ダンナと二人で、
私のブログを見たり読んだりしていたら、
忘れていたことが蘇ったりして、自分のブログがおもしろくて☆
ってことは、
書いて居ない時期のことは、
もう二度と思いだすことはないのだろうなぁと思い、
これから書こう!…と思いながらも、
できていません。
うーん…
♪親と同居
我が家は、私の母との同居が未だに実現できていません。
母は、今年の9月で、72、、いや、71?
何しろ、私、母と一緒に居ると、イライラしちゃうんです。
理由はいろいろとありますが、、、
ヒトコトでは云えません…(涙)
肉親として近すぎて?寛容になれないから、
という事も原因のような気が?します。
私と母との、意識(価値観ではなくて意識)が、
おんなじなら、もっとラクなのかなぁとか、
そんなことも、思います。
♪お薬のこと
心の病は、本当は脳の病だって、聞きました。
脳が原因だから、薬での治療を主にして、
行うしかない。。と、聞きました。
実は私、流産をしてから、少し、精神科に通ったんです。
どんどんやせて、10キロくらいもやせて、
でもお仕事もしていたりしていて、
くたくただったので、自発的におかしいと感じて、
通院を開始しました。
今では、通っていないし、薬も飲んではいませんが、
自分の心の性質を自覚しながら、
そんな自分の性質と、一生うまく付き合う
…ということを、心掛けることにして、
通院を自ら辞めたんです。
子供のころの虐待が元で、
気持ちの底にずっと死にたい気持ちもあります。
糖尿病患者の方々に対して、病気とうまく連れ添うようにして、
暮らしてゆきましょう。。みたいなことを、
おっしゃるお医者さま、いらっしゃるでしょう?
私の心の闇みたいなものも、
そういう対処を自分ですることにしたんです。
すみません、、勝手なことを書きました。
それでは、また☆
こちらこそ、ご無沙汰しております。
ホント、過去の日記って、読み返すと面白かったりすることがありますね。
再読すると、記憶がさらに定着するので、イヤなことはなるべく書かないようにしていますが、時間をおいても書かずにいられない場合は、覚悟を決めて記録することにしています。
そんな日記を読み返すと、しばらくは再び辛い気持ちになったりもするんですが、年月が経つにつれて、次第に客観的に読めるようになるのが不思議です。
書いていない時期のことは、私も、思い出すことはないのかもしれないなあ、と思います。
Rayさんのお母様、うちの母とほぼ同い年ですね。
一緒にいるとイライラするというのは、私もそうです(苦笑)
他人には寛容でいられても、なぜか肉親にはそうなれない自分がいるんですよね。
母はもう昔の母とは違うのだということを、いまだに受け入れられないせいかもしれません。
あるいは、遅れてやってきた反抗期、みたいな?(苦笑)
心の病は、脳の病といっていいでしょうね。
薬による治療が主だというのは、私もそうだと思いますが、適切な投薬のためには、血圧や血糖値などのように、数値化された内科的データが必要だなあと感じます。
心の闇……
人は誰でも、多かれ少なかれ、そういうものを抱えて生きているのではないかなあ。
あとは、それをうまくコントロールできるかどうか。
できなければ、周りに助けを求めちゃう。
助けを求められたら、できる限り手を貸したい。
困った時は、お互い様ですもんね。
Rayさん、勝手なことだなんて言わずに、またいつでもお立ち寄りくださいな♪