※ネタバレあり(原作にも触れています)※
ラングドンたちが助けを請う宗教史学者ティービングは、
女王陛下からナイトの爵位を賜った身でありながら、
下品な冗談を臆面もなく言ってのける風変わりなところがあり、
聖杯のためには手段を選ばない独善的な考えを持っている。
もしもラングドンが彼のそういう面を知っていたら、
蜘蛛の巣に飛び込むような真似はしなかったかもしれず、
そうなれば聖杯の真相に辿り着くこともなかったかもしれない。
旅先案内人としてラングドンたちを導いていくティービングは、
聖杯に対する飽くなき探究心に満ちているだけでなく、
とにかく元気で行動力のある老紳士だ。
彼の存在なしには話が成り立たないという設定を除いてもなお
魅力的なキャラクターで、映画にもそれが現れていたと思う。
ただ、自家用機にラングドンたちを乗せてイギリスに高飛びし、
フランス当局からの情報でイギリス警察が駆けつけた際、
ティービングが警察に凄む場面が短縮されていたのは残念。
ラングドンたちが逮捕されるかもしれないという不安感と、
機内からどう脱出するのかという期待感を高めるためには、
それなりに時間をかけて状況を膠着させる必要があるのに、
たいした駆け引きもないまま、警察はあっさりと機内へ……。
少し物足りなかった。
でも「どうしてもわたしを止めたいなら撃てばいい」のあとに
「ただし、彼(=ティービングの執事レミー)からな」という
原作にはない台詞を付け加えたのはよかった。
ティービングの飛行機を追うファーシュ警部には、
行き先を聞き出すために管制官の鼻にパンチを見舞う、
という原作にはない粗暴な行動が付け加えられている。
確かにファーシュは「強引な手法」を使うらしいけれど、
部下たちの間で密かに「牡牛」と呼ばれているほどの強面ながら
「ロボットさながらの抑制と忍耐を備えている」人物でもある。
そんなファーシュがそう簡単に人を殴るとは思えない。
周囲と摩擦を生むことが「強引」と評されているのだと思う。
顧客のプライバシーを守ろうと抗弁する管制官の話を聞くだけ聞いた後、
飛行計画を受理せずに自家用機の離陸を許可した罪で逮捕する、
と告げて難なく行き先を言わせる原作のままでよかったと思う。
ついでに、九歳のソフィーが祖父の部屋で探し物をしていて、
その現場を見た祖父が冷静さを欠いた行動をとるのも、
原作ではソフィーを冷静に諭しているだけなので余計な感じ。
ラングドンについては特に気になることはなかった。
役割のほとんどはうんちく語りと暗号解読に占められており、
最後にようやくソフィーと恋人の約束をするという具合で、
原作をそのまま映画に持ってきている感じがする。
よく考えると、冒頭でソニエールが殺されてから
最後にソフィーの家族の秘密が明かされるまで、24時間もない。
恋愛映画にするには時間的に無理があると思うし、
そもそも、祖父の死に大きなショックを受けているソフィーと
恋愛にはまるで疎い感じの学者ラングドンとでは、
原作を拡大解釈することも難しいのだろう。
ソフィーが弟と再会する感動的な場面はどこへ行ったのだろう?
祖母との対面だけであっさりと済まされた気がする……。
なんだか、口うるさい小姑みたいな感想文になってしまった。
原作と映画を比べるといっても、読んだのは日本語訳で、
映画も日本語字幕なのだから、本当に比べているとは言えない。
それでもなぜか比べたくなってしまうのは、
文庫本の帯にある「完全映画化」という文字のせいではなく、
映画が原作の見せ場を欠いたダイジェスト版に見えるからだ。
原作の先読みをこれほど後悔したことはない。
大抵の場合、割り切って見られるのに、それができなかった。
ラストは、原作でも「え……?」と物足りなく思ったところ。
映画ではもう一歩踏み込んでわかりやすくなっていたけど。
全体的に、映画化には向いていない作品なのかもしれない。
イアン・マッケラン(ティービング)が演劇の功績で
実際にナイトの称号を持っているとは~。
不思議な色気を感じるけど、ゲイであることも知らなかった。
『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役もそうだけど、
とても雰囲気のある人だと思う。
ポール・ベタニー(シラス)の瞳に赤いレンズを入れなかったのは、
偏見を助長する可能性を懸念してのことだろうか?
彼の雰囲気は原作のシラスのイメージに合っていると思った。
オドレイ・トトゥ(ソフィー)を見て、自分が年を取ったことを実感した。
頭の回転が速くて快活なソフィーらしさは伝わってきた。
ジャン・レノ(ファーシュ)には『レオン』のクールで寡黙な印象が強くて、
切れ者でも牡牛のような警部の役には違和感を覚えてしまう。
原作の設定では「何よりも贅沢を好む男」ということだけど、
映画でどのように表現されていたかはわからなかった。
トム・ハンクス(ラングドン)はどんな役でもその役に見えるので巧いと思う。
映画というものは、原作があろうとなかろうと、
まっさらな状態で見るのが一番いいのだ――と結論したい。
ラングドンたちが助けを請う宗教史学者ティービングは、
女王陛下からナイトの爵位を賜った身でありながら、
下品な冗談を臆面もなく言ってのける風変わりなところがあり、
聖杯のためには手段を選ばない独善的な考えを持っている。
もしもラングドンが彼のそういう面を知っていたら、
蜘蛛の巣に飛び込むような真似はしなかったかもしれず、
そうなれば聖杯の真相に辿り着くこともなかったかもしれない。
旅先案内人としてラングドンたちを導いていくティービングは、
聖杯に対する飽くなき探究心に満ちているだけでなく、
とにかく元気で行動力のある老紳士だ。
彼の存在なしには話が成り立たないという設定を除いてもなお
魅力的なキャラクターで、映画にもそれが現れていたと思う。
ただ、自家用機にラングドンたちを乗せてイギリスに高飛びし、
フランス当局からの情報でイギリス警察が駆けつけた際、
ティービングが警察に凄む場面が短縮されていたのは残念。
ラングドンたちが逮捕されるかもしれないという不安感と、
機内からどう脱出するのかという期待感を高めるためには、
それなりに時間をかけて状況を膠着させる必要があるのに、
たいした駆け引きもないまま、警察はあっさりと機内へ……。
少し物足りなかった。
でも「どうしてもわたしを止めたいなら撃てばいい」のあとに
「ただし、彼(=ティービングの執事レミー)からな」という
原作にはない台詞を付け加えたのはよかった。
ティービングの飛行機を追うファーシュ警部には、
行き先を聞き出すために管制官の鼻にパンチを見舞う、
という原作にはない粗暴な行動が付け加えられている。
確かにファーシュは「強引な手法」を使うらしいけれど、
部下たちの間で密かに「牡牛」と呼ばれているほどの強面ながら
「ロボットさながらの抑制と忍耐を備えている」人物でもある。
そんなファーシュがそう簡単に人を殴るとは思えない。
周囲と摩擦を生むことが「強引」と評されているのだと思う。
顧客のプライバシーを守ろうと抗弁する管制官の話を聞くだけ聞いた後、
飛行計画を受理せずに自家用機の離陸を許可した罪で逮捕する、
と告げて難なく行き先を言わせる原作のままでよかったと思う。
ついでに、九歳のソフィーが祖父の部屋で探し物をしていて、
その現場を見た祖父が冷静さを欠いた行動をとるのも、
原作ではソフィーを冷静に諭しているだけなので余計な感じ。
ラングドンについては特に気になることはなかった。
役割のほとんどはうんちく語りと暗号解読に占められており、
最後にようやくソフィーと恋人の約束をするという具合で、
原作をそのまま映画に持ってきている感じがする。
よく考えると、冒頭でソニエールが殺されてから
最後にソフィーの家族の秘密が明かされるまで、24時間もない。
恋愛映画にするには時間的に無理があると思うし、
そもそも、祖父の死に大きなショックを受けているソフィーと
恋愛にはまるで疎い感じの学者ラングドンとでは、
原作を拡大解釈することも難しいのだろう。
ソフィーが弟と再会する感動的な場面はどこへ行ったのだろう?
祖母との対面だけであっさりと済まされた気がする……。
なんだか、口うるさい小姑みたいな感想文になってしまった。
原作と映画を比べるといっても、読んだのは日本語訳で、
映画も日本語字幕なのだから、本当に比べているとは言えない。
それでもなぜか比べたくなってしまうのは、
文庫本の帯にある「完全映画化」という文字のせいではなく、
映画が原作の見せ場を欠いたダイジェスト版に見えるからだ。
原作の先読みをこれほど後悔したことはない。
大抵の場合、割り切って見られるのに、それができなかった。
ラストは、原作でも「え……?」と物足りなく思ったところ。
映画ではもう一歩踏み込んでわかりやすくなっていたけど。
全体的に、映画化には向いていない作品なのかもしれない。
イアン・マッケラン(ティービング)が演劇の功績で
実際にナイトの称号を持っているとは~。
不思議な色気を感じるけど、ゲイであることも知らなかった。
『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役もそうだけど、
とても雰囲気のある人だと思う。
ポール・ベタニー(シラス)の瞳に赤いレンズを入れなかったのは、
偏見を助長する可能性を懸念してのことだろうか?
彼の雰囲気は原作のシラスのイメージに合っていると思った。
オドレイ・トトゥ(ソフィー)を見て、自分が年を取ったことを実感した。
頭の回転が速くて快活なソフィーらしさは伝わってきた。
ジャン・レノ(ファーシュ)には『レオン』のクールで寡黙な印象が強くて、
切れ者でも牡牛のような警部の役には違和感を覚えてしまう。
原作の設定では「何よりも贅沢を好む男」ということだけど、
映画でどのように表現されていたかはわからなかった。
トム・ハンクス(ラングドン)はどんな役でもその役に見えるので巧いと思う。
映画というものは、原作があろうとなかろうと、
まっさらな状態で見るのが一番いいのだ――と結論したい。
みかんずさんの仰る通り、結末が文字通り微妙で……。
そして、冒頭でわざわざ「ネタバレあり」と断っておきながら、
完全ネタバレでは書けなかったという微妙
そもそも感想文とはネタバレで書くものだと思っているんですが、
どっちつかずの紹介文みたいになってしまいました(o__)o
気をつけねば~
レンタル半額の時ってのが余計だよっ(笑)。
最近は、レンタル100円の日しか狙わなくなりました。(苦笑)。
よければ、レンタル半額の時とかに
借りて検証してみてください。(苦笑)
>ちなみに、日本語吹き替え、字幕可否はどう考えればよいでしょうか(*^^*ゞ
わあ、せっかくのDVDなのに試すの忘れた~!(爆)
あ! じゃあ、とほさん、吹き替えよろしく……(^^*ゞ
字幕はよかったと思います……って私ほとんど英語できませんてば~(笑)
まあ、適当に省いているところもあったみたいな気が……(^_^;)
でも、字幕上では無理がない感じでした。
霜ネタのジョークも日本語として通じたし(爆)
みかんずさん
>本を読んだとき最後が微妙だったので、
>映画はまだ見ていません。
>映画も微妙ですか?
本はまさしく微妙な感じでしたね~
別にそれがよくないというわけではないんですけど、
それまでの勢いからするとちょっと違うなあ、と。
映画のラストは本の最後のイメージが具現化された感じで、
それでも何か微妙な印象が残りました。
ところで、明解なラストや、追加された粗暴なシーンなどを思い返すと、
本の内容がアメリカ的に変換されたのかな?という気がしないでもなく。
つまり、白黒ハッキリさせて、想像の余地が減らされた感じを受けました。
>出演者はみな好きなんですけどね。
私も同じく^^
だから微妙なのかなあ?
映画はまだ見ていません。
映画も微妙ですか?
出演者はみな好きなんですけどね。
了解しました。
ちなみに、日本語吹き替え、字幕可否はどう考えればよいでしょうか(*^^*ゞ