燈子の部屋

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父の病状

2004-02-04 00:00:00 | 家族
先々週の土曜日、一人では心細かったので夫にも付き添ってもらい、
父の入院している病院に出かけた。
約束どおり午前中に行ったのに、忙しいのかなかなか主治医が現れない。
その間、病室で父の様子を見ることにした。
父は入院直後から比べると格段に痩せ細っていた。
身長が170センチ以上もあったとは思えないほど小さく見える。
私たちが行く一週間ほど前、母方の叔母夫婦が見舞いに来てくれたのだが、
そのとき叔母は掛け布団の上から父を撫でたと後から電話で話してくれた。
でも、私には声をかけるだけが精一杯で、どうしても触れることはできなかった。
もしこれが母だったら絶対にそんなことはないのに。
叔母が来たときは父に反応があったそうだが、私のときはなかった。
父は、視界に入ってきた私を黒いガラス玉のような目で見ただけで、
自分の意志で視線を動かすことはなかった。
父の意識には波があるようだった。

いつまでも立ちんぼうで病室にいるのは疲れるので、ロビーで待つことにした。
40分以上過ぎていい加減待ちくたびれた頃、やっと呼び出しがかかった。
初めに内科の主治医からこれまでの経過説明を受けた。
父は感染性心内膜炎と疑われて抗生物質の投与を受けていたのだが、
ようやくその効き目が表れてきたのか、平熱になってきた。
そこで今度は壊死の手術をしようということになったのであろう。
だが、主治医はなかなか本題に入らず、栄養摂取方法の話になった。
父は現在点滴で栄養を摂っているが、いつまでもそれではよろしくないという。
確かに、点滴では内臓を使わないから、普通に考えてもそうだと思う。
でも、主治医が言いたいのはそれだけではなかった。
点滴はコストが高い、ということだ。
父は悪いながらも安定した状態にあるわけだが、
いずれ炎症が治まり、長期療養に変わる場合、コストを下げなければ
受け入れ先を見つけることが困難になるかもしれない、というのだ。
この病院では今まさに長期療養のための病棟を建設中だそうで、
それがなんとも間の悪いことに、完成するのは年末なのだという。
そこで主治医は点滴に変わるものとして二つの方法を説明し始めた。
一つは、鼻から胃にチューブを通す方法であり、
もう一つは、お腹の外から胃に穴を開けてチューブを通す方法である。
聞いているだけでも痛くなるが、どちらも一長一短というところだ。

まず、前者の方法は容易だが、鼻から常にチューブが通っているのは、
見た目もさることながら、身動きが制限されて苦しそうに思われる。
また、チューブが詰まることがあれば交換しなければならないので、
感染症の危険が常につきまとう。
後者の方法は、胃に第二の口がついたようなもので、
食事のときだけキャップを開ければよく、詰まることも少ない。
これなら本人も看護するほうも楽だと思われるが、手術自体にリスクがある。
胃を膨らませ、胃の外壁とお腹の内壁がぴったり合ったところで、
胃カメラで見ながらお腹の外側から胃に穴を開ける。
このとき、胃とお腹の間に大腸などが入り込んだりする可能性があるという。
胃カメラにはライトがついているので、手術室を暗くして胃の内側から照らせば、
大腸の陰を捉えることができて貫通を避けられるというが、
どう考えてみても鼻からチューブよりはこちらのほうがリスクが高い。
また、チューブの詰まりにより交換が必要になったとき、
いったん外すとお腹と胃の穴がずれてしまうこともあるそうだ。
しかし、生活の質ということを考えると、やはり胃に直接のほうがよい。
私は自分ならどちらがいいかと考えて、やはり後者を選ぶだろうと思った。
眠っている間にチューブを外してしまうリスクはどちらにもあるのだが。
私は後者の「胃ろう造設術」という方法を取っていただくことにした。
これは何も今すぐ手術というわけではない。
家が遠い私たちのため、足を運ぶ回数をできるだけ減らしてあげよう、
という主治医の配慮で、いろいろな説明を一度に聞かされているのだ。

この話のあと、ようやく壊死の話になった。
私も夫もいつになったら本題に入るのかと思っていた。
父はしばらく前から左手中指の第一関節に壊死を起こしており、
その手術について、私が整形外科医から説明を受けることになっていたのだ。
実は右手の指も二本ほど軽い壊死を起こしかけていたそうだが、
なんとか薬で治めることができたそうだ。
左手のほうは、医師によれば「真っ黒」だそうで、もう切るしかないらしい。
私としては「患者にとって最善の方法を取ってください」と
お願いするよりほかに言えることはなかった。
「胃ろう造設術」と壊死の手術について、それぞれ同意書を受け取ると、
後で郵送することにして私たちは帰ってきた。
帰宅してすぐ叔母に電話をすると、壊死の状態は見なかったのかと聞かれ、
見なかったと答えると、「見なきゃダメじゃないの」と言われた。
私は思わず「そんなの見たくないですよ!」と言ってしまったのだが、
よく考えてみると、そのときは見ることなど思いもよらなかったのだ。
それは、私と叔母の想像力の違いなのかもしれない。
私は医師の話だけで十分見た気になってしまったのだ。
それに、私には医師の説明を疑う理由も必要もなかった。

この電話の後、私はしばらく考え込んだ。
人の指を切るというのに、自分の目で確かめようとしなかった私。
結果として私はその同意書を三日間も温めることになった。
迷っていたわけではないが、いい気持ちがしなかったのだ。
私は薄情な面倒くさがり屋なのかもしれない。
そう思ったとき、それこそ私が父に抱いているイメージだということに気づいた。
父の見舞いに来ない父方の叔母を薄情だと言う資格が私にあるのだろうか。

(ふん。薄情で結構さ)

私は同意書を書いて主治医に送った。
これから先、また同じようなことがあるとしても、
いちいち落ち込んでいられるもんか。
でも、後悔だけはしないようにしたい。


(次を読む)

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