燈子の部屋

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占い

2004-12-01 15:33:26 | テレビ
今、「ズバリ言う」六星占術家が人気だとか。

芸能人を相手に大上段からきついことを言うのは、ショーとしてはアリかも、と思う。
気圧されて改名した芸人さんも、それまでより仕事が増えたのなら得をしたと言えるし、
映画のタイトル変更だって、話題に上って客足が増えるなら、効果はあったことになる。
(変更の有無による客足への影響はどう計るのか知らないけれど。)
要するに、占術家とゲストの双方が納得ずくであれば、なんにも言うことなし。

ただ気になったのは、世間一般の普通の相談者にもあんな調子なのか、ということ。
「このままだと地獄におちるわよ」などと言うのは、
たとえテレビ用の言い方だとしても、決して気分のよいものではない。
メディアで取り上げられないところでは、
いったいどういう風にアドバイスしているのだろう。

私は、占いは好きだが、あまり気にしないほうだ。
情報番組の締めにはよく血液型だの星座だのといった占いがくっついているけれど、
あれはお菓子のおまけみたいなものだと思っているから、気が向けば見る程度。
大抵はその前にチャンネルを変えるか、テレビを消すかしてしまう。
ときたま験をかつぎはしても、占いの結果をやたらと深刻に考えたりはしない。

学生の頃はよくタロット占いをしていた。
ほとんどはゲームのように楽しむだけだったけれど、
ときには、もやもやしている自分の考えを整理したり、
いろんな方面から考えてみたりするのに便利なツールとして用いたりしていた。
そんな風だから、たぶんこれからも占いとはうまく付き合っていけるように思う。

心配なのは、そうでない人のこと。
なぜ気になるのかというと、私には苦い経験があるからだ。

私の母は、占い師や、いわゆる霊能者という人に弱い。
もちろん、さすがに誰でも信じるというわけではない。
母は、自分にも多少霊感があると思っているので、
「この人は本物だ」と思える人の言うことなら信じるのだ。
でも私は、それは霊感などではなく、年を経れば必ず誰もが得るに違いない、
長年の人生経験のなかで培ってきた「人を見る目」だと思う。
しかし、ときにはそれがちゃんと働かないこともある。

ずっと昔、母が家庭問題などを相談しにある占い師にみてもらったところ、
「整形したから運命が変わった」と思い込むようになってしまった。
私もその場にいたけれど、その占い師が正確にはなんと言ったのか、
今となってはもう思い出せない。ただ、そんな風ではなかった気がする。
あやふやだが、「あなたが自分を変えたから、運命も変わってしまった」
という類のことを言われたに過ぎなかったように思う。
しかし母はそれを自分のコンプレックスと結び付けてしまった。
整形さえしなければ、諸々の問題は起きなかった、と考えてしまった。

母は、たまにではあるけれど、「元に戻したい」といまだに言ってくる。
それは簡単な施術らしいので、望みを叶えられないことはないのだが、
万が一のことがあっては怖いので、その都度、却下!している。
戻したところでこれまでの人生をやり直せるわけでもない。
これから先、もしまた何かあったら、今度はどこに原因を求めるものやら…。

言葉の力というものは本当に驚くべきもので、
とりわけそれが自分の尊敬する人や信じている人、愛している人、
あるいは自分よりも立場の強い人などから発せられると、
思いがけない効果をもたらすことがある。
それがよい結果に繋がるのであればよいけど、
取り返しのつかないような事態になる場合もある。

くだんの占術家は、自分の持つそういう特別な力を、本当に理解しているのだろうか。
誰でにも同じようなあの態度、あの物言いで接しているのだとしたら、
私はその神経を疑う。

力というものに強い人もいれば弱い人もいる。
弱い人に怖い思いを抱かせるようなことを言うのは、ご託宣ではなく脅しだ。
占いというものは、相談した人が最終的に自分でどうするか決められるように、
適切なアドバイスをしなければならないと思う。
選択の余地がないかのように言い放つのは、よい占いとは思えない。
そのような占いに縛られて、苦しんでいる人がいなければよいが、と思う。


(次を読む)


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