燈子の部屋

さまざまなことをシリアスかつコミカルかつエッセイ風に(?)綴る独り言的日記サイトです

占いの思い出

2005-02-09 15:35:34 | 日々つれづれ
独身の頃、母のお供で何度かプロの占い師にみてもらったことがある。
私と違い、母は占いを信じるほう。
最初に訪ねたのは方位学だったと思う。
よいと言われた方角に越したけれど、結局また引っ越すことになった。

次は易。離婚すべきかどうかについて相談した。
でも、周囲の誰もが反対したように、ここでも反対された。
というのは、母にまだ迷いがあったのと、
世知辛い話だが、遺族年金をふいにするのは勿体無い、というわけで。
結果としてそれは間違っていなかったと思う。
お正月に泊まりに来た母は、こじんまりとしたミニ仏壇を喜んでくれたし、
遺族年金のお陰で母の入院費が助かっている。

実はこの時、何年生まれの男性とは相性が合わない、と言われた私。
当時、まだ夫と知り合っていなかったけれど、夫はまさにその年の生まれ。
当たらなくてよかった、と今のところは言っておく。

これとは反対のことを言われたのが田舎のお寺でのこと。
夫と付き合っていた私が結婚を考えた時、生まれ年を気にした母に反対され、
それなら、と昔から「よく当たる」と評判のお寺に出かけたのだ。
私としては、誰に何を言われようと結婚するつもりでいたのだが。
結果は、和尚さんからどどんと太鼓判を押されることになった。
それを夫に伝えると、「いい和尚さんだね」と言うので、思わず笑ってしまった。

これも占いと言うのかどうか、霊能者のところへ行ったこともある。
龍の背に乗って天空を飛んだという世にも珍しい経験を持つその人を、
母はえらく気に入ってしまい、週に何日かお手伝いに通うようになってしまった。
お手伝い、というのは、お茶出しなどの雑用をするのだけど。
母は、その人の霊能力を信じる一方で、人間的魅力についてはよく愚痴をこぼした。
どうやら悪気なしにキツイことを言ってしまうタイプの人だったらしい。
私は母に深入りしてもらいたくはなかったけれど、結果的に散財する破目になった。
どうしたのかというと、掛け軸を買うことになってしまったのだ。
それは、十界が描かれたありがたい曼荼羅。ただし、肉筆ではなく印刷。

それなのにお値段はなんと…19万円!

いくらなんでも高過ぎる!と私が言うと、母は見るからにしょんぼりとして、
まるでこの世の終わりが来たかのように落ち込んでしまった。
結局、出そうと思えば出せない金額ではなかったので、人生何事も勉強だと思って買った。
今では、掛け軸の相場くらいは調べておくべきだった、と反省している。
襖1枚分の大きさとはいえ、印刷物なら1万円もしないのではないか。
「お金で済むなら…」という心理が買わせたのに違いない。
その後、ほどなくして母は霊能者のお宅に通うのをやめた。
人としてどうしても尊敬できないからだった。
その掛け軸は、今はたぶんレンタル倉庫の奥深くにしまわれているはずだ。

人生には迷いがつきものだからこそ、占いも流行る。
考えようによっては、迷う閑があるのは贅沢なことかもしれない。
でも、迷い悩んだ末に決断し行動するのは、結局自分自身だ。
誰も人生を代わってなどくれない。
占いによって違う見方や選択肢に気づくのはよいけれど、
占いの結果を鵜呑みにして行動するのは馬鹿げている。
決断には往々にして何らかの制約が伴うにしても、
占いではなく自分の考えをもとに行動したいと思う。
そうすれば、もしうまくいかなくても、誰も恨まずに済む。

…和尚さんの占い、このまま外れないでくれるといいんだけど。


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