☆札幌ライブカメラは、札幌市中央区北1条西8丁目STV札幌テレビ放送会館の屋上鉄塔(地上70m)今朝7:57。

★今朝は、多少の雲は有るものの陽が差してきた。昨日頃から、朝晩は急に気温が下がり、今朝の気温は18度になった。もうこの位の20度を切ると、涼しいというよりは肌寒く感じる。季節は、早くも秋に向かっているのだろう。
熱戦が続いていた甲子園の高校野球、昨日の決勝戦は10-9で中京大中京の優勝で終わった。昨日の試合は、一時は10-4で勝負あったかと思った。しかし9回に日本文理は、ツーアウトランナーなしから集中打で5点を返した。最後まで、目が離せない良い試合だった。その甲子園も終了し、楽しみが一つ減った。涼しくなったので、再度草刈りや畑仕事を再開したいと思っている。
今「死ぬときに後悔すること25」大津秀一 著が発刊以来売れ、5万部に達したそうだ。
ほとんどの人は死を前に後悔するという――
では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
その本は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
1000人の死を見届けた終末期医療の医師が書いた人間の真実。
人は死ぬ間際にこんなことを後悔しているという。
●たばこを止めなかったこと
●感情に振り回された一生を過ごしたこと
●遺産をどうするか決めなかったこと
●故郷に帰らなかったこと
●仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
●会いたい人に会っておかなかったこと
●愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
・・・など
何れも参考にしたいものである。
~心に響く366の寸言~
【五 計】
生計・身計・家計・老計・死計の五つを
宋の朱新仲(翌/しゅしんちゅう)は人生の五計という。
窮極我々の人生はこの五計を出ない。
“生計”は人生如何(いか)に生くべきかという、
特に身心健康法のこと。
それを基にしてどういう社会生活・家庭生活を営むかが
“身計・家計”である。
現代のように汚染された大衆文明社会にあって、
人生の計を立ててゆくことは非常に難しい。
個人の努力と同時に
社会学的にも真剣に考慮されねばならぬ問題だ。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★8月25日 松下幸之助[一日一話]
<なすべきことをなす>
治にいて乱を忘れずということがある。太平のときでも、乱に備えて物心ともの準備を怠ってはならないということで、指導者としてきわめて大切な心がまえである。
とはいえ、人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまいがちである。そういうことなしに、常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらなしていくことが大切である。指導者の要諦とは、見方によっては、この“なすべきことをなす”ということに尽きるとも言えよう。
★2009年8月25日(火曜日)致知今日の言葉より
・神様は決して無駄に人をつくってはいない
by 三浦 綾子(作家)
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947

★今朝は、多少の雲は有るものの陽が差してきた。昨日頃から、朝晩は急に気温が下がり、今朝の気温は18度になった。もうこの位の20度を切ると、涼しいというよりは肌寒く感じる。季節は、早くも秋に向かっているのだろう。
熱戦が続いていた甲子園の高校野球、昨日の決勝戦は10-9で中京大中京の優勝で終わった。昨日の試合は、一時は10-4で勝負あったかと思った。しかし9回に日本文理は、ツーアウトランナーなしから集中打で5点を返した。最後まで、目が離せない良い試合だった。その甲子園も終了し、楽しみが一つ減った。涼しくなったので、再度草刈りや畑仕事を再開したいと思っている。
今「死ぬときに後悔すること25」大津秀一 著が発刊以来売れ、5万部に達したそうだ。
ほとんどの人は死を前に後悔するという――
では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
その本は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
1000人の死を見届けた終末期医療の医師が書いた人間の真実。
人は死ぬ間際にこんなことを後悔しているという。
●たばこを止めなかったこと
●感情に振り回された一生を過ごしたこと
●遺産をどうするか決めなかったこと
●故郷に帰らなかったこと
●仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
●会いたい人に会っておかなかったこと
●愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
・・・など
何れも参考にしたいものである。
~心に響く366の寸言~
【五 計】
生計・身計・家計・老計・死計の五つを
宋の朱新仲(翌/しゅしんちゅう)は人生の五計という。
窮極我々の人生はこの五計を出ない。
“生計”は人生如何(いか)に生くべきかという、
特に身心健康法のこと。
それを基にしてどういう社会生活・家庭生活を営むかが
“身計・家計”である。
現代のように汚染された大衆文明社会にあって、
人生の計を立ててゆくことは非常に難しい。
個人の努力と同時に
社会学的にも真剣に考慮されねばならぬ問題だ。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★8月25日 松下幸之助[一日一話]
<なすべきことをなす>
治にいて乱を忘れずということがある。太平のときでも、乱に備えて物心ともの準備を怠ってはならないということで、指導者としてきわめて大切な心がまえである。
とはいえ、人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまいがちである。そういうことなしに、常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらなしていくことが大切である。指導者の要諦とは、見方によっては、この“なすべきことをなす”ということに尽きるとも言えよう。
★2009年8月25日(火曜日)致知今日の言葉より
・神様は決して無駄に人をつくってはいない
by 三浦 綾子(作家)
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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