たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎11/5(木)世界文化遺産・日本三景・国重要文化財の宮島への旅

2009-11-11 12:52:19 | 旅行
★昨日から降っている雨も、今日も降り続いている。今日は、風も出て時折雨も強く降っている。昨夜は、義母宅を訪問し宿泊する。今朝帰宅する途中に、日本一の清流「高津川」も増水し濁っていた。匹見から流れる川は、そんな濁りはなかった。津和野か、吉賀方面の雨が多かったのではと思われる。
昨日まで東北の旅を振り返ったが、今日は宮島への旅を整理して見よう!宮島へは、叔母宅よりJRを利用し約1時間少々で着いた。紅葉は、色付き始めたと言う感じだったが終日沢山の観光客だった。たぶん天気が回復すれば、今週の週末当たりが見ごろになるだろう。ツアーのお客さんや外国からの人、それに北海道からの修学旅行生の姿も有った。この旅行生達は、千歳空港から関空を利用したそうだ。北海道からと言うと、結構遠いし経費も掛かるので中々豪華だと思った。お昼前から、16時過ぎまでいた。しかしまだ、全てを見れずゆっくりしょうと思えば丸1日は必要だ。次回は、<6時間コース>
桟橋→伝統産業会館→御笠浜→厳島神社→西松原→水族館→大元公園→歴史民俗資料館→ 大願寺→宝物館→多宝塔→大聖院→紅葉谷公園→ロープウェー→五重塔→千畳閣をと思っている。では、今回の宮島観光を画像にて・・・
☆宮島口駅(みやじまぐちえき)は、広島県廿日市市宮島口一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線・JR西日本宮島フェリー宮島連絡船(JR宮島フェリー)の駅。

☆宮島行きフェリー
・出発間近の宮島行きフェリーに乗船

☆フェリーみせん丸にて宮島に到着。みせん丸(みせんまる)は、JR西日本宮島フェリーの宮島航路に就航する船舶である。西日本旅客鉄道(JR西日本)が最初に新造した鉄道連絡船である。現在のみせん丸は4代目である。船名に「みせん」は、宮島にある山、弥山に由来する。・総トン数:218t ・全長:34.7m ・全幅:9.5m
・定員:800名 (車両搭載時 460名) ・自動車:15台(4m未満) ・速力:10.6kt

☆瀬戸内海に浮かぶ大鳥居
・国重要文化財
厳島神社の大鳥居は、木造で鳥居の種類としては両部鳥居(四脚鳥居)です。高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、木部は丹塗り(光明丹[こうみょうたん])、主柱は楠の自然木を、袖柱[そでばしら]は杉の自然木を使っています。現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、明治8年(1875)に再建されました。笠木は箱になっており、拳大の石が約7t詰められています。根元は海中に置かれているだけで、自重で立っています。主柱の基礎は、千本杭[せんぼんくい]の工法が用いられ、45cmから60cmの松杭がそれぞれの柱に約30本から100本打ち込まれています。楠は、比重が重いことと、腐りにくく、虫に強いからです。
棟の西側には三日月が、東側には太陽の印があり、陰陽道の影響がみられます。

☆角を切られた鹿が歓迎してくれる。

☆1400年の歴史・厳島神社
・厳島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるよう。背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城を思わせる美しさです。

☆千畳閣の隣に建つ五重塔
・五重塔 [ごじゅうのとう]・国重要文化財・高さ : 27.6m・方 : 3.6m
応永14年(1407)建立
桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造です。
内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。
その他壁板には、迦陵頻伽[かりょうびんが]や鳳凰が極彩色で描かれています。特徴の一つに2層目で止まっている心柱があり、風に対して強い構造となっています。
本尊の釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩は、明治の神仏分離で大願寺へ移されました。

☆もみじ谷入口付近(老舗旅館の岩惣もある)

☆もみじ谷公園(着物姿は、お茶席の帰りだろうか?)

☆もみじ谷公園の銀杏(いちょう)の黄色が良い。

☆廻廊に奉納された、樽酒
廻廊 [かいろう]・国宝
東側廻廊は47間[ま](柱と柱の間で、1間は約2.4m)、入口は切妻造りで、屋根は檜皮葺[ひわだぶき]で、棟には棟瓦が載せてあります。
西廻廊は、61間あり、西の端(出口)は、唐破風造り[からはふづくり]になっています。
昔は、西側が入口であったことがうかがえます。東西併せて108間約262mあり、1間・1間に釣灯籠が下げられています。床板は、1間に8枚敷いてあり、釘は使っていません。板と板の間は少し開いており、潮が高い時や台風時に波のエネルギ-を減免・消波する構造になっていて建物を守る工夫が行われています。(スリット構造)
この床板には釘が使われていません。また、床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、上に敷いてあるのは養生板(ようじょういた)といい、参拝者が土足で歩いても良いようになっています。これは近年になって施工されたもので、昔は履物を脱いで昇殿していました。
廻廊の釣灯籠は、毛利氏が鋳鉄製[ちゅうてつせい]のものを寄進したのが始まりといわれています。現在のものは、大正時代に奉納されたもので青銅製です。

☆84歳の叔母と(もみじ谷公園にて)

☆老舗旅館・岩惣近くの佐々木八重子の店。仏壇・仏具・神具 みやげ品 工芸品 の販売。ここの店員さんは、岩惣の女将であるお母さんを手伝って頑張っています女将は代々、佐々木八重子と名乗るそうです。《佐々木八重子の店》創業140年

☆大願寺正門
・大願寺(だいがんじ)
正式な呼び名は、亀居山方光院大願寺。開基は不明ですが、建仁年間(1201年~1203年)の僧了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹です。明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などから形成される厳島伽藍の中心をなしていました。
この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。弁財天は現世利益の女神様で、神仏習合の時代は厳島神社の主神・市杵島姫令が理財の女神として崇められるようになり、仏教の弁財天と同一視されていました。神仏分離令によって厳島神社から遷されたこの厳島弁財天をはじめ、宮島に現存する仏像の中で最も古いとされる木造薬師如来像(重要文化財)、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像(重要文化財)、その両脇を守っていた阿難尊者像と迦葉尊者像(ともに重要文化財)、五重塔の本尊だった三尊像、多宝塔の本尊だった薬師如来像、護摩堂の本尊だった如意輪観世音菩薩などを収蔵しています。
また、本堂奥の書院は、第二次長州戦争の際、勝海舟と長州藩を代表する藩士らが講和会議をした場所として知られます。

☆大願寺前の9本松

☆古木の根っこ(何に見えますか?)

☆大鳥居付近は干潮に向かっている(15時ころ)

☆お土産店内のランを見ながら、焼き立てのもみじ饅頭を御馳走になり一服!やはり焼きたての熱いもみじ饅頭は美味しい!そこで、お土産にここのお店で、もみじ饅頭を買った。

☆土産店の店頭:もみじ饅頭(-まんじゅう)は広島県の名物菓子。
奥では、もみじ饅頭を焼くのも機械化されどんどん出来ていた。
・もみじ饅頭概要
紅葉の名所として知られる日本三景・安芸の宮島の名物で、代表的な土産品。現在では広島市内でも多くの店舗で購入が可能で、広島みやげとして知名度が高い。
小麦粉、卵、砂糖、ハチミツを原料とするカステラ状の生地で餡を包み、モミジの葉をかたどった型に入れて焼き上げた和菓子である。焼饅頭の一種で、明治後期に誕生した。餡はこしあんを基本とする。その他、昭和初期につぶあん入りが、戦後には白あん・抹茶あん・栗あん入り等が派生した。1980年代にはチーズ入りを皮切りにカスタードクリーム入り、チョコレートクリーム入りなど多くのバリエーションが生み出された。近年ではカステラ状の生地にレーズンを織り込んでそのまま焼き上げた洋菓子風味のものや、表面にチョコレートを塗ったもの、生キャラメル入りやごま風味の「黒もみじ」などもある。もみじ饅頭の天ぷら(通称「あげもみじ」)やもみじ饅頭ソフトクリームなど、現在も新しい試みが活発に行われている。基本となるこしあんのもみじ饅頭の製法についてはどの店もほぼ同一である。また、店頭に据えられているオートメーションの製造器も同じものである。これは宮島(厳島)の中のみやげ物店がどの店でも作れるようにという考案者の計らいがあった。特に宮島(厳島)には多くの店が軒を連ねており、昔ながらの茶屋の風情で緑茶やコーヒーとともに焼きたてを食べることもできる。

☆中国山地のR191芸北町付近の紅葉(翌日11/6の11時頃)この付近から、女子大生の死体が発見された北広島町の臥龍(がりゅう)山の登山道入り口に近い。真坂、ここを通過した数時間後に遺体が発見されるとは・・・合掌

☆宮島観光時には、知らなかった事が今日の記事編集で発見出来ました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿