たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎終戦の日

2009-08-15 09:08:01 | 日記
☆夕食後、盆踊り出発前の孫二歳(昨夜7:50)

★今朝もまた、昨夜から雨が降っている。夏本来の空も、昨日一日のみだった。しかし、湿度が低いのか蒸し暑くは無くカラッとしている様だ。気温も、20度前後で凌ぎ易くなって来た。今日15日は、終戦の日(しゅうせんのひ)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)が終わった日である。我々戦争を知らない世代だが、つくづく平和の有り難さを思う。今月に入ってから、戦争関連の記事や放送が多い。戦後64年も経てば、だんだんと忘れられ風化されてくる。それに、戦争体験者の減少も要因と思える。
ニュースでは、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれるという。天皇、皇后両陛下や麻生太郎首相、遺族らが参列。戦争で犠牲となった約310万人の冥福を祈り、平和を願う。厚生労働省によると、参列を予定している遺族は4957人で、最年長は夫を亡くした101歳の女性、最年少は戦没者のひ孫に当たる3歳。高齢化と世代交代が進んでおり、戦没者の父母は2年連続でゼロとなる。
当時の若者達の平均寿命は20歳代前半だったそうである。その特攻兵の遺書をコラムで見る。
「俺(おれ)の嫁は空母と決めた」と23歳
「お母さん大元気で。でっかい奴(やつ)を沈めます」。18歳
「お母さん 今俺は征(い)く 母を呼べば母は山を越えてでも雲の彼方(かなた)からでも馳(は)せきたる 母はいい 母ほどありがたいものはない」(20歳)
「母様いま何も言うことはありません…泣かずによくやったと、仏前にだんごでも供えてください」(19歳)
これ等の遺書を読むと、若者たちの命を消耗品のように奪った日本とは、何だったのか?「お国のためだ」と隊員達は飛んだのだろう。

4泊5日の帰省していた孫達も、今日が最終日だ!昨夜は、近くで有った盆踊りに出掛けた。珍しかったのか、面白かったのか解らないけれど、喜んでいた様である。昨夜は、八時頃から太鼓や歌声が我が家まで良く聞こえた。
結構予算が有ったのか、景品も豪華版だった。お菓子やタオル・うちわ・ゴミ袋等に、飲み物やかき氷も準備されていた。こちらの盆踊りは、年々派手になって行く感じがした。

~心に響く366の寸言~
【修養が足りない現代日本人】

現代日本人は人物というものができていない。
修養が足りない。

人を見れば悪口を言って、
自分の事を棚にあげておいて、
そうして一向努力はせぬ。

嫉視誹謗(しっしひぼう)し、
そうして他に向かって大言壮語(たいげんそうご)ばかりする。
行儀作法もなっていないという傾きがある。

これを根本的に是正しなければ
本当の意味において日本精神を発揚(はつよう)することはできない。

外に発展しようと思えば思う程、
やはり内に深めなければならない。


 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

★8月15日 松下幸之助[一日一話]
 <平和の価値を見直す>
最近、平和というものが、何かいわば空気や水のように、ごく当然に存在するものといった感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ、ありがたさがだんだん忘れられつつあるように感じられる。

これは危険なことだと思う。平和は天然現象ではない。人為というか、人間の自覚と努力によってはじめて実現され、維持されるのである。

だから、この際お互いにもう一度平和の価値というものを見直してみたい。そしてこの価値を知った上で、国民として何をなすべきかを考え合いたい。さもないと、せっかく続いたこの貴重な平和を遠からずして失うことにもなってしまうのではないだろうか。

★2009年8月15日(金曜日)致知今日の言葉より

・ 花よりも花を育てる土壌でありたい

by 山下智茂(星稜高校副校長・野球部督)
               

           タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
        URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947


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