1日目その1へ
2024年2月24日(土)8:40頃
海を出まして、タクシーは無事に目的地である「雪舟の郷記念館」に到着しました。
(参考までに、お値段はしめて3,440円)
ちなみに道中「柿本神社や万葉公園も興味はあったけど足がないので諦めた」というお話をしたところ運転手さんから
気が向いたら、ということでタクシー会社の電話番号が書かれた紙をいただきました。
さて……実はここ、9時開館なんですよね。
入り口にベンチはありますが……。
せっかくなので先に近隣を見て回りたいと思います。
へえ、寧波と友好……ん、友好都市ではないのかな?
さあ、ちょっと移動します。
……登ってきましたが、この辺はだいぶ丘の上ですね。
旅程検討にあたって、自転車を借りてここに来るプランも考えてましたが……これは死にますね。
まあ、まだ登るんですが。
お~、怖い怖い。
※ちなみに右側から歩いてきました。
この辺からは車両進入禁止っぽいです。
け、傾斜!
さて、登りきりました(と言っても2つ手前の写真からせいぜい100m)
古墳ですよ古墳!
ちなみに小丸山古墳と言います。「益田の古墳マップ」によると、外堤を備えているのは石見で唯一なんだとか。
古墳の前は結構整備された広場になっています。
土曜日の朝なので人がいても良さそうなもんですが。
解説
さて、では登ってみたいと思います。
外堤との間には石が敷き詰められてますね。
さあ、「前方」部分です。
うわ、来た道と逆側、すぐに急傾斜だ!
道の側は、ちゃんと外堤があるのに。
さて「後円」部分です。
おおむね北方向
ちなみにこれ以外の方向は、繁茂する樹木によって視界が遮られてます。
ほらね(逆側)
ちなみに分かりにくいかもしれませんが、前方後円墳の「前方」はフラットではなく、「後円」との継ぎ目部分はくびれのように下がってます。
帰り道
結構怖い。雨の日は嫌ですね。
8:59
開館1分前に戻ってきました。計画通り!
益田市ゆかりの著名人は柿本人麻呂と雪舟ですが、
益田市において左側の川の西側が柿本人麻呂エリア、中央が駅、右側の川の東側が雪舟エリアと、かなり住み分けされてます。
さて、雪舟の郷記念館は1フロア構成で、撮影禁止な展示室と撮影OKな展示室とに分かれています。
撮影禁止なのは雪舟関連の展示で、OKなのは主に現代の水墨画家さんの展示でした。
この新田芳道さん(1939年生まれ)は益田市のお生まれだそうで、3月までこの企画展をやっているというタイミングでした。
ははぁ、当然ですがうまいもんだ。
一方で撮影禁止ななかで目を引いたものだと……。
高村光雲の作品(雪舟禅師像)がありましたね。
あと、以下も。
・国宝、四季山水図巻(複製。本物は毛利博物館……って、山口県防府市のあれか!行ったことあるぞ!!)
・国宝、破墨山水図(複製。本物は東京国立博物館)
・重要文化財、四季花鳥図屏風(複製。本物は京都国立博物館)
・重要文化財、益田兼堯像(本物!)
記念館にはお庭もあります。
雪舟の「花鳥図屏風」をヒントに作ったのだとか。
明らかに毛色が違うと思ったら別の方(益田出身)でした。
こんな来場者プレゼントも置いてました。
トイレに寄ったのも含めて30分弱の滞在でした。
お客さんが他にいなくて、かつ展示物の量も少ないため……正直に言えば今後の運営がちょっと心配になります。
さて、エリア内の他の場所も見ましょう。
ほどほどに広いですね。
正面の雪舟禅師銅像に向かおうとしたら……ネコチャン!!!
これはお邪魔できないですね。仕方ありません。順路を変更しましょう。
雪舟の時代にはこんな眺めだっただろう、という解説。
見渡す限り住宅と田畑ですが、実際には正面に益田川が流れており、さらにわりとすぐ目の前には支流もありまして、そこは「中世今市船着場跡」となっています。
本当でござるか?
夏場は水を流したり、とかですかね?
雪舟ゆかりの地が荒廃していることを嘆いた益田市美都町都茂出身の僧侶大喜松祝により、1702年に大喜庵が創建されました。
せ、雪舟関係ない……!
大喜庵
……今のこの建物自体は、いつのものなんだろ?
有名人御用達のブランド力たるや
……?
思ってたのとちょっと違ったけど、まあ。
さて、では続きまして。
雪舟のお墓(雪舟の死没地は諸説あります)
おや……?
多根兼政という人のお墓があります。
一門衆でしたか。なんというか、特別扱いですね。
……さて、いよいよラスト、雪舟禅師銅像です。
全部で1時間ほどの滞在でしたね。
では次に向かいましょう。
雪舟の郷記念館エリアの入り口にある石柱。
行きのタクシーで通ったので、帰りもここを通ろうと決めてました。
……しかし記念館からここに至るまでの道はすごいですね。
基本的に相互通行不可で、ときどきすれ違い用のスペースが設けてあるのですが、私が降りてくるまでの間だけで3回くらいは車がすれ違ってましたよ。
旅程を検討しているときは「なんで記念館前にバス停が無いのか!」と憤っていましたが、これはコミュニティバスであっても厳しいですね。納得です。
おっと、もう1つありました。
タクシーの移動経路はだいぶ記憶が怪しいのでカット。
2024年2月24日(土)8:40頃
海を出まして、タクシーは無事に目的地である「雪舟の郷記念館」に到着しました。
(参考までに、お値段はしめて3,440円)
ちなみに道中「柿本神社や万葉公園も興味はあったけど足がないので諦めた」というお話をしたところ運転手さんから
気が向いたら、ということでタクシー会社の電話番号が書かれた紙をいただきました。
さて……実はここ、9時開館なんですよね。
入り口にベンチはありますが……。
せっかくなので先に近隣を見て回りたいと思います。
へえ、寧波と友好……ん、友好都市ではないのかな?
さあ、ちょっと移動します。
……登ってきましたが、この辺はだいぶ丘の上ですね。
旅程検討にあたって、自転車を借りてここに来るプランも考えてましたが……これは死にますね。
まあ、まだ登るんですが。
お~、怖い怖い。
※ちなみに右側から歩いてきました。
この辺からは車両進入禁止っぽいです。
け、傾斜!
さて、登りきりました(と言っても2つ手前の写真からせいぜい100m)
古墳ですよ古墳!
ちなみに小丸山古墳と言います。「益田の古墳マップ」によると、外堤を備えているのは石見で唯一なんだとか。
古墳の前は結構整備された広場になっています。
土曜日の朝なので人がいても良さそうなもんですが。
解説
さて、では登ってみたいと思います。
外堤との間には石が敷き詰められてますね。
さあ、「前方」部分です。
うわ、来た道と逆側、すぐに急傾斜だ!
道の側は、ちゃんと外堤があるのに。
さて「後円」部分です。
おおむね北方向
ちなみにこれ以外の方向は、繁茂する樹木によって視界が遮られてます。
ほらね(逆側)
ちなみに分かりにくいかもしれませんが、前方後円墳の「前方」はフラットではなく、「後円」との継ぎ目部分はくびれのように下がってます。
帰り道
結構怖い。雨の日は嫌ですね。
8:59
開館1分前に戻ってきました。計画通り!
益田市ゆかりの著名人は柿本人麻呂と雪舟ですが、
益田市において左側の川の西側が柿本人麻呂エリア、中央が駅、右側の川の東側が雪舟エリアと、かなり住み分けされてます。
さて、雪舟の郷記念館は1フロア構成で、撮影禁止な展示室と撮影OKな展示室とに分かれています。
撮影禁止なのは雪舟関連の展示で、OKなのは主に現代の水墨画家さんの展示でした。
この新田芳道さん(1939年生まれ)は益田市のお生まれだそうで、3月までこの企画展をやっているというタイミングでした。
ははぁ、当然ですがうまいもんだ。
一方で撮影禁止ななかで目を引いたものだと……。
高村光雲の作品(雪舟禅師像)がありましたね。
あと、以下も。
・国宝、四季山水図巻(複製。本物は毛利博物館……って、山口県防府市のあれか!行ったことあるぞ!!)
・国宝、破墨山水図(複製。本物は東京国立博物館)
・重要文化財、四季花鳥図屏風(複製。本物は京都国立博物館)
・重要文化財、益田兼堯像(本物!)
記念館にはお庭もあります。
雪舟の「花鳥図屏風」をヒントに作ったのだとか。
明らかに毛色が違うと思ったら別の方(益田出身)でした。
こんな来場者プレゼントも置いてました。
トイレに寄ったのも含めて30分弱の滞在でした。
お客さんが他にいなくて、かつ展示物の量も少ないため……正直に言えば今後の運営がちょっと心配になります。
さて、エリア内の他の場所も見ましょう。
ほどほどに広いですね。
正面の雪舟禅師銅像に向かおうとしたら……ネコチャン!!!
これはお邪魔できないですね。仕方ありません。順路を変更しましょう。
雪舟の時代にはこんな眺めだっただろう、という解説。
見渡す限り住宅と田畑ですが、実際には正面に益田川が流れており、さらにわりとすぐ目の前には支流もありまして、そこは「中世今市船着場跡」となっています。
本当でござるか?
夏場は水を流したり、とかですかね?
雪舟ゆかりの地が荒廃していることを嘆いた益田市美都町都茂出身の僧侶大喜松祝により、1702年に大喜庵が創建されました。
せ、雪舟関係ない……!
大喜庵
……今のこの建物自体は、いつのものなんだろ?
有名人御用達のブランド力たるや
……?
思ってたのとちょっと違ったけど、まあ。
さて、では続きまして。
雪舟のお墓(雪舟の死没地は諸説あります)
おや……?
多根兼政という人のお墓があります。
一門衆でしたか。なんというか、特別扱いですね。
……さて、いよいよラスト、雪舟禅師銅像です。
全部で1時間ほどの滞在でしたね。
では次に向かいましょう。
雪舟の郷記念館エリアの入り口にある石柱。
行きのタクシーで通ったので、帰りもここを通ろうと決めてました。
……しかし記念館からここに至るまでの道はすごいですね。
基本的に相互通行不可で、ときどきすれ違い用のスペースが設けてあるのですが、私が降りてくるまでの間だけで3回くらいは車がすれ違ってましたよ。
旅程を検討しているときは「なんで記念館前にバス停が無いのか!」と憤っていましたが、これはコミュニティバスであっても厳しいですね。納得です。
おっと、もう1つありました。
タクシーの移動経路はだいぶ記憶が怪しいのでカット。
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