まったく気がつきませんでしたが、前回の投稿が記念すべき100本目だったようです。
投稿時点でブログ開設から706日目ですから、だいたい1週間に1本ペースですね。
(実際には1ヶ月ぐらい更新が止まったりもしますし、1日に2本更新したりもしますが。)
さて、本題に戻ります。
米子城見物です。
米子駅を出発しまして、一路南西へ。
観光案内所のおばちゃんが示した最短ルートでは、イオンがある交差点で信号を渡って直進するようになっていますが、あえて左へ。
川沿いの道を進みます。
その方が信号が少なそうですし、「彫刻ロード」というのも気になったので。
川の欄干に鯉のぼりが。
※この日は5月2日。
彫刻ロード、思惑通り途中の信号は1箇所のみでした。
あいにく彫刻にはうといので、途中に置かれている彫刻たちの良さは分かりませんでしたが……。
(あと、所々に小さい虫が密集してひとところに飛んでいるやつがあったので難儀しました。)
その信号のところで少し迷いました。
このまま川沿いを行くか、それとも道に戻るか、です。
お城の入り口がある方角は分かるのですが、この道をこのまま進むことで、下手をすると大きく遠回りになるリスクがあります。
……ええい、ままよ!
ということで川沿いをそのまま進みます。
そして二度目の選択の時。
おそらくお城があると思われる山の所まで来ました。
・目の前には左右に横たわる橋
・お城は向こう側
・川沿いの遊歩道は橋をくぐる形で続いている
・上に上がる道は見えるが、橋を越えた所に向かい側へ上がる道があるかは分からない
・目の前の道を上がったところに横断歩道があるようには見えない
さあ、目の前の道をあがるか、それとも橋の向こう側に行ってみるか!
で、私は地味に足が疲れてきていたので、温存も兼ねて目の前の道を選択しました。
Google MAPで見る限りでは、一応どちらの言い分も通りますね。
上に出た後はこの道を進むのですが、交通量があるので横断歩道(信号無し)を渡るのに少し手間取ります。
そこをどう評価するか、でしょうか。
ちなみに米子城と道を挟んで反対側の山。
この山(飯山)は米子城の一角なのですが、「米子城騒動」という事件の舞台でもあります。
<米子城騒動>
1603年に米子城主の中村一忠が家老の横田内膳村詮を殺害するという事件が起きました。
横田内膳は米子城やその城下町を整備した功労者なのですが、城主側近のねたみを受けて誅殺されます。
横田一族は飯山に陣を構えて城主に反旗を翻しますが、あえなく破れて一族は自刃、滅亡しました。
※月山富田城の堀尾家も城主側に援軍を出したのだとか。
さて、予想通りなかなか車が途切れず苦労しましたが(止まれや)、なんとか米子城側に渡りました。
リハビリテーションセンターの手前の道を進んで良いのか迷ったんですが、結局進みました。
早速こんな登り口がお出迎えです。
これはいけません。死ぬ気がします。
というわけでスルー。
そのまま道なりに進みます。
続いて、城山大師なるものが。
1925年開創なので、まだ100年経っていませんね。
さあ、ようやくやってきました、米子城!
まずは二の丸の枡形虎口です。
虎口の内部から上へ続く階段。
虎口の内部から見た飯山。
こんな近距離で戦ったんですね……。
旧小原家長屋門。シートがかかってますね……。
市内現存唯一の武家建築だそうです。
乳金具(釘隠し)だ!
これ八戸の櫛引八幡宮(八戸旅行1日目その5参照)でお勉強したやつだ!
その門あたりから虎口を見下ろす。
すでに結構な高低差ですね。
御殿御用井戸跡。
そりゃあ、山の上には住めませんから御殿は麓ですよね。
……ところで、写真後方になんか緑色ではないエリアが写っていますね。
じゃーん。
よ~くみると、上の方に小さく小さく人が写っています。
……え、あれ?
私は米子に来たはずなんですが、ここは月山富田城の七曲でしたっけ?
月山富田城は標高183m。米子城は半分の90mなので、まあ大したことはあるまいと高をくくっていたのですが……。
あれを登るのかぁ。
うん、君たち(竹の杖)さっき別の登り口で会ったね……。
途中まで登ってところで視界が開けたので、パシャリ。
下のテニスコートは、先ほどの門と同じ高さにあります。
ひーこら。
外が丸見えではないので、怖さは軽減されます。
あと、山崩れ対策としても木が茂っている方が安心感があります。
うん、これは安心感がない。
右上に人が写っていなければ、「45度傾けて撮影しただろ」と言われても仕方ありません。
少し視界を左へ。
うん、正面と左とで時空がゆがんでいる。
ちなみに、覗き込むと目の錯覚を起こしそうで結構怖いです。
ふう、ようやく石垣が見えてきました。
ちなみに米子城は明治になり天守閣含めた各種建物がすべて取り壊されました。もったいない。
往時はここに威容を放つ櫓群があったのですね。
番所跡。すでにとても高い。
実は、米子城は数年前の発掘調査で新たにいくつか遺構が見つかっています。
このときはまったく気がつきませんでしたが、このあたりから枡形虎口に向かって竪堀が発見されたそうです。
ちょうど城山大師のあたりの方向でしょうかね。
竪堀の存在は知っていたのでアタリを付けて撮影したのですが……残念、90度左のほうでした。
でかい。攻め手にはなりたくない。
四重櫓台。忍者だとして、登りたくもない。
このルートで本丸エリアへ向かうには、右手の四重櫓台から常に攻撃を受けながら進む必要が。
この石垣の反り返りっぷりったらもう。
別ルートへ降りる階段。とても急な感じです。
鉄御門跡。そりゃあ、ここを抜かれたら本丸エリアですからね。防御力を高めないと。
登り切った!
うおー、なんだこの見晴らし!
清々しい!!
ちなみに門からここまで12分でした。
天守台。ベンチが置いてあるあたりも含めて、なんか江戸城みたいですね。
天守台から西を望む。
左手、実は安来方面です。しれっと十神山も写っているようです(後で知った)。
向こうの方に見えているのは島根半島です。美保関も写っています。
ぎりぎり左端には米子空港も視界に入っているようです。
あと、天気が良ければ右奥の方だと思いますが、隠岐諸島も見えるのだとか。
市街地の方。
左手前の野球場は旧三の丸エリアです。
画面中央が飯山と、その向こうに米子駅。
遥か奥には大山が写っています。
ね?
(ちなみに左下の横長なビルが米子駅)
四重櫓台。
途中がものすごい細い。怖いので近づきませんでした。
月山富田城側。
月山富田城は西向き(米子と反対側)に縄張りがあるので、さすがに米子城からだと月山富田城自体は見えないです。
本丸エリア、山の上なのに意外と広い。
四阿にあった地図。
地図にスタンプを押すなと書いてあるでしょうに。
鳥瞰絵図。……鳥瞰図ってこういうのじゃないような。
右上の手裏剣は、誰かの忘れ物と思われます。
解説板。最後の"大半は個人から寄贈を受けた"ってのが一番すごい。
さあ、天守台を背にして、ここを越えると水手郭です。
石段にいかにも「何かがはまります」というような四角いくぼみが2つ。
ここに門があったんですねぇ。
水手郭。高低差はほとんどありません。
ここを下ると海側に出ます。
水手郭から右手にターンすると、細い道が。
奥には遠見郭があります。
遠見郭。そこまで広くはないです。
ものすごい切り立っているので、怖い。
竪堀と同じく、近年の発掘調査で登り石垣が見つかりました。
まさにそのエリアを写しているのですが……怖くて近寄れていないので、分かりませんね。
遠見郭から天守台を見上げてみます。
さて、水手郭に戻りまして、先ほどは進まなかった下りルートを進んでみましょう。
嫌になるような高低差です。というか、上の方に見えているのはこの後通る道なのですが、特に大きな迂回もせずに一気にあそこまで降りるようなルートです。
画面中央、石垣がありますね。
ちなみにこの頃は、「あとでこのルートを登りなおすのか」と嫌気がさしている頃合いです。
広いエリアに出ました。
実はここも近年の発掘調査で見つかった郭です。
海側の監視に使われていたと推測されているようです。
さて、次は「内膳丸」に行きます。
問題はルートです。
今いる郭跡からの行き方は2つです。
1つは、このまま進んで山の中腹にある道でぐるっと迂回するルート。
もう1つは、本丸まで戻るルート。
どちらのルートも一長一短なのですが、ここは本丸ルートを取りました。
だって、迂回ルートは先が見えないんだもの。本丸は眺めが良いんだもの。
7分後。
ふう、目的地手前にたどり着きました。
直線距離なら200mちょっとなんですがね。
自然の解説板。へえ、帰化植物が少なめってのはすごいですね。
いざ、内膳丸。
手前まで来ると、ほどほどの高低差です。
まあ先ほどまでの高低差と比べると、子どもみたいなものですが。
登ると、細長い平地が。
そしてさらに奥にも郭がありますね。
ちなみに上から今の階段を見下ろすショット。
この「内膳丸」、ピンと来た方もいるかもしれませんが、冒頭で触れた「米子城騒動」で誅殺されたあの横田内膳です。
彼が監督して作ったのでこの名前になったのだとか。
奥の郭には、今は四阿があります。
かつてはその辺りに櫓があったのだとか。
手前と奥の郭はほとんど高低差無し。
奥の郭からは、本丸の石垣が見えます。
ちなみに再掲になりますが、天守台からも内膳丸がバッチリ見えます。
さて、内膳丸から戻りまして、本丸側。
「近年の発掘調査」最後、登り石垣です。遠見郭だと分かりませんでしたが、こちらからだと実によく分かる。
さて、これでおおむね見終わりました。
本当は降り口と反対側に御船手郭という軍船の係留所があるのですが……すでに16時半近くになりましたので、時間切れです。
(体力も切れ気味ですし)
というわけで、撤収。
帰りは、枡形虎口側ではなく三の丸側へ降りてみます。
おお、結構石垣がありますね。
三の丸自体は野球場になっており、目を引く遺構は特に見当たりませんでした。
さて、帰りは観光案内所のおばちゃんご推薦の最短ルートを取ってみましょう。
ぶっちゃけ、足が棒のようです。
バスがあればすぐにでも利用したいところですが……むう、よく分からん。
途中で見かけたラーメン屋さん。
「全国チェーン米子」だって? (とりあえず関東では見た記憶が無いけど……)
足に来ているのでほどほどの速度ですが、まあでも八戸の種差海岸(八戸2日目その7参照)みたいな大破状態ではないのが救いです。
10分以上かけて、なんとか駅まで帰還しました。
思った以上に信号が少なくて、むしろ駅前の横断歩道を渡るのに信号とタイミングが合わず苦労しました。
確か結局地下通路を使ったような。
10分ほど余裕があるので、駅前のお土産物屋さんでお買い物でもしましょう。
どじょう掬いまんじゅう(安来で買えって?うん、そうですね)と、あと喉が渇いたので白バラ牛乳(200ml)。
どれ、友人Aと合流しますか。
さらば米子!
疲れた。
続く。
投稿時点でブログ開設から706日目ですから、だいたい1週間に1本ペースですね。
(実際には1ヶ月ぐらい更新が止まったりもしますし、1日に2本更新したりもしますが。)
さて、本題に戻ります。
米子城見物です。
米子駅を出発しまして、一路南西へ。
観光案内所のおばちゃんが示した最短ルートでは、イオンがある交差点で信号を渡って直進するようになっていますが、あえて左へ。
川沿いの道を進みます。
その方が信号が少なそうですし、「彫刻ロード」というのも気になったので。
川の欄干に鯉のぼりが。
※この日は5月2日。
彫刻ロード、思惑通り途中の信号は1箇所のみでした。
あいにく彫刻にはうといので、途中に置かれている彫刻たちの良さは分かりませんでしたが……。
(あと、所々に小さい虫が密集してひとところに飛んでいるやつがあったので難儀しました。)
その信号のところで少し迷いました。
このまま川沿いを行くか、それとも道に戻るか、です。
お城の入り口がある方角は分かるのですが、この道をこのまま進むことで、下手をすると大きく遠回りになるリスクがあります。
……ええい、ままよ!
ということで川沿いをそのまま進みます。
そして二度目の選択の時。
おそらくお城があると思われる山の所まで来ました。
・目の前には左右に横たわる橋
・お城は向こう側
・川沿いの遊歩道は橋をくぐる形で続いている
・上に上がる道は見えるが、橋を越えた所に向かい側へ上がる道があるかは分からない
・目の前の道を上がったところに横断歩道があるようには見えない
さあ、目の前の道をあがるか、それとも橋の向こう側に行ってみるか!
で、私は地味に足が疲れてきていたので、温存も兼ねて目の前の道を選択しました。
Google MAPで見る限りでは、一応どちらの言い分も通りますね。
上に出た後はこの道を進むのですが、交通量があるので横断歩道(信号無し)を渡るのに少し手間取ります。
そこをどう評価するか、でしょうか。
ちなみに米子城と道を挟んで反対側の山。
この山(飯山)は米子城の一角なのですが、「米子城騒動」という事件の舞台でもあります。
<米子城騒動>
1603年に米子城主の中村一忠が家老の横田内膳村詮を殺害するという事件が起きました。
横田内膳は米子城やその城下町を整備した功労者なのですが、城主側近のねたみを受けて誅殺されます。
横田一族は飯山に陣を構えて城主に反旗を翻しますが、あえなく破れて一族は自刃、滅亡しました。
※月山富田城の堀尾家も城主側に援軍を出したのだとか。
さて、予想通りなかなか車が途切れず苦労しましたが(止まれや)、なんとか米子城側に渡りました。
リハビリテーションセンターの手前の道を進んで良いのか迷ったんですが、結局進みました。
早速こんな登り口がお出迎えです。
これはいけません。死ぬ気がします。
というわけでスルー。
そのまま道なりに進みます。
続いて、城山大師なるものが。
1925年開創なので、まだ100年経っていませんね。
さあ、ようやくやってきました、米子城!
まずは二の丸の枡形虎口です。
虎口の内部から上へ続く階段。
虎口の内部から見た飯山。
こんな近距離で戦ったんですね……。
旧小原家長屋門。シートがかかってますね……。
市内現存唯一の武家建築だそうです。
乳金具(釘隠し)だ!
これ八戸の櫛引八幡宮(八戸旅行1日目その5参照)でお勉強したやつだ!
その門あたりから虎口を見下ろす。
すでに結構な高低差ですね。
御殿御用井戸跡。
そりゃあ、山の上には住めませんから御殿は麓ですよね。
……ところで、写真後方になんか緑色ではないエリアが写っていますね。
じゃーん。
よ~くみると、上の方に小さく小さく人が写っています。
……え、あれ?
私は米子に来たはずなんですが、ここは月山富田城の七曲でしたっけ?
月山富田城は標高183m。米子城は半分の90mなので、まあ大したことはあるまいと高をくくっていたのですが……。
あれを登るのかぁ。
うん、君たち(竹の杖)さっき別の登り口で会ったね……。
途中まで登ってところで視界が開けたので、パシャリ。
下のテニスコートは、先ほどの門と同じ高さにあります。
ひーこら。
外が丸見えではないので、怖さは軽減されます。
あと、山崩れ対策としても木が茂っている方が安心感があります。
うん、これは安心感がない。
右上に人が写っていなければ、「45度傾けて撮影しただろ」と言われても仕方ありません。
少し視界を左へ。
うん、正面と左とで時空がゆがんでいる。
ちなみに、覗き込むと目の錯覚を起こしそうで結構怖いです。
ふう、ようやく石垣が見えてきました。
ちなみに米子城は明治になり天守閣含めた各種建物がすべて取り壊されました。もったいない。
往時はここに威容を放つ櫓群があったのですね。
番所跡。すでにとても高い。
実は、米子城は数年前の発掘調査で新たにいくつか遺構が見つかっています。
このときはまったく気がつきませんでしたが、このあたりから枡形虎口に向かって竪堀が発見されたそうです。
ちょうど城山大師のあたりの方向でしょうかね。
竪堀の存在は知っていたのでアタリを付けて撮影したのですが……残念、90度左のほうでした。
でかい。攻め手にはなりたくない。
四重櫓台。忍者だとして、登りたくもない。
このルートで本丸エリアへ向かうには、右手の四重櫓台から常に攻撃を受けながら進む必要が。
この石垣の反り返りっぷりったらもう。
別ルートへ降りる階段。とても急な感じです。
鉄御門跡。そりゃあ、ここを抜かれたら本丸エリアですからね。防御力を高めないと。
登り切った!
うおー、なんだこの見晴らし!
清々しい!!
ちなみに門からここまで12分でした。
天守台。ベンチが置いてあるあたりも含めて、なんか江戸城みたいですね。
天守台から西を望む。
左手、実は安来方面です。しれっと十神山も写っているようです(後で知った)。
向こうの方に見えているのは島根半島です。美保関も写っています。
ぎりぎり左端には米子空港も視界に入っているようです。
あと、天気が良ければ右奥の方だと思いますが、隠岐諸島も見えるのだとか。
市街地の方。
左手前の野球場は旧三の丸エリアです。
画面中央が飯山と、その向こうに米子駅。
遥か奥には大山が写っています。
ね?
(ちなみに左下の横長なビルが米子駅)
四重櫓台。
途中がものすごい細い。怖いので近づきませんでした。
月山富田城側。
月山富田城は西向き(米子と反対側)に縄張りがあるので、さすがに米子城からだと月山富田城自体は見えないです。
本丸エリア、山の上なのに意外と広い。
四阿にあった地図。
地図にスタンプを押すなと書いてあるでしょうに。
鳥瞰絵図。……鳥瞰図ってこういうのじゃないような。
右上の手裏剣は、誰かの忘れ物と思われます。
解説板。最後の"大半は個人から寄贈を受けた"ってのが一番すごい。
さあ、天守台を背にして、ここを越えると水手郭です。
石段にいかにも「何かがはまります」というような四角いくぼみが2つ。
ここに門があったんですねぇ。
水手郭。高低差はほとんどありません。
ここを下ると海側に出ます。
水手郭から右手にターンすると、細い道が。
奥には遠見郭があります。
遠見郭。そこまで広くはないです。
ものすごい切り立っているので、怖い。
竪堀と同じく、近年の発掘調査で登り石垣が見つかりました。
まさにそのエリアを写しているのですが……怖くて近寄れていないので、分かりませんね。
遠見郭から天守台を見上げてみます。
さて、水手郭に戻りまして、先ほどは進まなかった下りルートを進んでみましょう。
嫌になるような高低差です。というか、上の方に見えているのはこの後通る道なのですが、特に大きな迂回もせずに一気にあそこまで降りるようなルートです。
画面中央、石垣がありますね。
ちなみにこの頃は、「あとでこのルートを登りなおすのか」と嫌気がさしている頃合いです。
広いエリアに出ました。
実はここも近年の発掘調査で見つかった郭です。
海側の監視に使われていたと推測されているようです。
さて、次は「内膳丸」に行きます。
問題はルートです。
今いる郭跡からの行き方は2つです。
1つは、このまま進んで山の中腹にある道でぐるっと迂回するルート。
もう1つは、本丸まで戻るルート。
どちらのルートも一長一短なのですが、ここは本丸ルートを取りました。
だって、迂回ルートは先が見えないんだもの。本丸は眺めが良いんだもの。
7分後。
ふう、目的地手前にたどり着きました。
直線距離なら200mちょっとなんですがね。
自然の解説板。へえ、帰化植物が少なめってのはすごいですね。
いざ、内膳丸。
手前まで来ると、ほどほどの高低差です。
まあ先ほどまでの高低差と比べると、子どもみたいなものですが。
登ると、細長い平地が。
そしてさらに奥にも郭がありますね。
ちなみに上から今の階段を見下ろすショット。
この「内膳丸」、ピンと来た方もいるかもしれませんが、冒頭で触れた「米子城騒動」で誅殺されたあの横田内膳です。
彼が監督して作ったのでこの名前になったのだとか。
奥の郭には、今は四阿があります。
かつてはその辺りに櫓があったのだとか。
手前と奥の郭はほとんど高低差無し。
奥の郭からは、本丸の石垣が見えます。
ちなみに再掲になりますが、天守台からも内膳丸がバッチリ見えます。
さて、内膳丸から戻りまして、本丸側。
「近年の発掘調査」最後、登り石垣です。遠見郭だと分かりませんでしたが、こちらからだと実によく分かる。
さて、これでおおむね見終わりました。
本当は降り口と反対側に御船手郭という軍船の係留所があるのですが……すでに16時半近くになりましたので、時間切れです。
(体力も切れ気味ですし)
というわけで、撤収。
帰りは、枡形虎口側ではなく三の丸側へ降りてみます。
おお、結構石垣がありますね。
三の丸自体は野球場になっており、目を引く遺構は特に見当たりませんでした。
さて、帰りは観光案内所のおばちゃんご推薦の最短ルートを取ってみましょう。
ぶっちゃけ、足が棒のようです。
バスがあればすぐにでも利用したいところですが……むう、よく分からん。
途中で見かけたラーメン屋さん。
「全国チェーン米子」だって? (とりあえず関東では見た記憶が無いけど……)
足に来ているのでほどほどの速度ですが、まあでも八戸の種差海岸(八戸2日目その7参照)みたいな大破状態ではないのが救いです。
10分以上かけて、なんとか駅まで帰還しました。
思った以上に信号が少なくて、むしろ駅前の横断歩道を渡るのに信号とタイミングが合わず苦労しました。
確か結局地下通路を使ったような。
10分ほど余裕があるので、駅前のお土産物屋さんでお買い物でもしましょう。
どじょう掬いまんじゅう(安来で買えって?うん、そうですね)と、あと喉が渇いたので白バラ牛乳(200ml)。
どれ、友人Aと合流しますか。
さらば米子!
疲れた。
続く。
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