大相撲夏場所も終わりました。横綱を目指す大関栃東の休場にもかかわらず私にはおもしろい場所でした。 白鳳と雅山の優勝決定戦を制したのは白鳳、栃東に代わって来場所は横綱を目指す位置に着くことになります。 来場所はこれでおもしろくなると私は予想します。 白鳳が横綱になったら外国人力士の横綱が2人になり、日本人力士の不甲斐なさを言う人が必ず出てきますね。
5月4日の毎日新聞朝刊の“闘論━隆盛の外国人力士━”に、国際相撲連盟会長と横審委員長が意見を述べています。 横審委員長の意見は例によって“隆盛の外国人力士”にネガティブな論評です。 曰く外国人力士が番付上位を占めるのは愉快ではない、相撲を国技とする日本人としては寂しく違和感がある等々愚痴っぽい話が続いています。
でも私にはこの夏場所はとてもおもしろく、横審委員長の意見ではおもしろい大相撲をおもしろいと言うのはいけないことのように聞こえます。
大相撲は単なるスポーツではなく五穀豊穣を願う神事との意見は、信心深くない私にもなんとなくわかるような気もします。 でも大相撲におもしろさを求めることに何の不都合があるのか、大相撲の人気回復を望みながら外人力士の存在をネガティブに言うのは矛盾してはいませんか。 外国人力士の白鳳や把瑠都のがんばりが今の大相撲を支えていることは誰もが認めるところでしょう。 私の周りで外人力士に違和感を覚える等と言う人はついぞ見かけません。 横審委員長は外人力士の品格も問うています(横綱朝青龍を指していることは明白)。 しかしそれもおかしい。かつて日本人の横綱・北尾が不祥事を起こし部屋を出奔したことはどうなんでしょう。
やはり毎日の夕刊(5/22)の“憂楽帳”に「外国人力士」と題したコラムがありました。 記事のなかに1977年に韓国から、当時はまだ外国人力士が珍しい大相撲の世界に入った方の話があります。 「問答無用」の厳しい環境のもとで3ヶ月で日本語をマスターしたそうです。 「相撲は日本の文化。周囲も自分の意識も外国人との気持ちはなかった。だから言葉も自然にマスターできた」、更に「現場に外国人との意識はまったくない。見る側に外国人を特別視する気持ちがある限り、日本人力士は甘える。強さの復活はないよ」と記事は続いています。 横審のえらいさんはこの記事をどう読むでしょうか。
それはそれとして私は高見盛が好きです。 喜怒哀楽を表に出すことを憚る世界での高見盛のしぐさを、私は好感をもって見ています。 あまり上位へ行かないで、さりとて幕内から転落しない程度の位置で頑張る高見盛を長く見続けられたら私はうれしい(おこられるかなァ)。 |
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