ついに半年の放送が終了しちゃいましたが、いやー、最後まで楽しかったですヽ(゚∀゚)ノ
”次々と片付いていく” 終盤の怒濤の展開は流石にちょっと呆気にとられたりもしましたが(特にカフカの辺りw)、今日の最終回では津田寛治の先生までちょこっと出てきてくれて嬉しかったなあ(直前の田舎のシーンで、村長候補の松尾諭が出た辺りが限界かなと勝手に諦めてましたw)
脚本家の岡田惠和のインタビュー記事を読むと、本来は1964年から10年くらいの期間をドラマ化していく予定だったのがたった4年しか経過させられなかった~的なことを仰っているんですが、それぞれのキャラが(勝手に)どんどん膨らんでいくのを、これほどのベテラン脚本家ですらどうしようもなかったくらいに魅力に溢れていた~っていうのが、ホントこのドラマのクオリティを証明しているエピソードだなと思いました
次にまた朝ドラの脚本を書く機会が来たら(新作ではなくて)続編を書きたい~とまでの言いようなので、これは朝ドラ史上初の、”第二期” に期待してしまうのはオレだけではないでしょう( ゚∀゚)o彡゚
個々のキャラの魅力についてイチイチ書いてたらキリがないのでやりませんが、個人的には前半のキーとなったのは柴田理恵演じる三男の母、そして後半は ”さおり” ことw米子の存在がキーだった気がしてなりません
家族同士といえども互いに負い目をどうしても避けられなかったが故に ”清らか” である必要があった谷田部家の描写だけだと、やはり不自然さみたいなのが際立っていたと思うんですが、そこに奥茨城という ”田舎” を象徴する存在として、農家の実態というかリアリティラインみたいなのを担保していたのが柴田理恵の存在だったと思うんですね……木村佳乃演じるみね子の母を中庸にするために、逆方向に浮世離れしていた羽田美智子も重要といえばそうなんですがw、こうして最終回を見終えて「ひよっこ」全体を思い返してみても、一番ガチで泣かされたのが柴田理恵の三男への想いを吐露するシーンだった気がするのでやはり強烈な存在感だったのは間違いない気がします
そして後半というかラスト二ヶ月くらいは、やたらとパヤパヤ歌う ”恋のうた(太田裕美)” が背景でかかりまくっていましたがw、今度はみね子を中庸とする為に、とにかく米子は突っ走りまくる恋愛模様を見せつけてくれたワケですな(逆方向のカウンターパートは富さんか)
三男がとことんいいやつだったってのが前提ですが、そんな三男への一途さや時子への嫉妬心も含めてやたらと魅力的なキャラでした……米子が誰よりもアグレッシブでいてくれたおかげで、(両極端である)米子と富さんの ”中間” でもろもろ描写される他のキャラたちの恋愛模様が少々無茶だったりしても大して気にならないっていう効果が実に絶大だったかとw
あー、でも愛子さんとシェフの顛末はグッと来たなあ……感想を見て回っても「めぞん一刻」の五代君を思い出した人が結構いたっぽいですが、”こんな私でも恋していいですか?” という質問にVサインで答えたヒキから、実は次の回ではそのVサインの意味が二番目の~っていう引っかけになっていたのも素晴らしい脚本だと思いました(ノД`)
ラストカットで視聴者にお礼を言ってましたが、みね子がカメラ目線になったのは三回ありましたかね?……セツコが来た辺りの広場で一回目、ヒデへの告白で二回目、そしてラストで三回目だったと思うんですが、大きく動くストーリーではなく、一人の女の子が社会に出る様をじっくりと指向して来た脚本ならではのお遊びで、視聴者もすぐ側で寄り添ってきた一人として扱ってくれてるって演出だったんでしょうか(^_^)
みね子自身の ”大人” への道程はまだまだ道半ばというカンジもしますし、他の登場人物たちのその後も見届けたい人たちばかりですし、ホントいつか ”第二期” やってくれないかなあ…
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