もう先週の第一話の時点でガッチリ心掴まれてたんですがw、本筋(主人公の物語)は第二回からということで一応様子見しておくかとここに感想を書くのを保留してたんですが、そんな杞憂は一切不要でしたヽ( ̄▽ ̄)ノ
本来はスペシャルドラマみたいな企画だったのが、語りたいエピソードが沢山ありすぎて大河ドラマにまで昇格してしまったという話も頷けます(参照記事)……異様なテンポの良さとテンションの高さに面食らった第一話に引き続き、二話でも軽快にポンポン物語が進行していくのに、ダイジェスト感みたいなのがほとんど感じられないのは何故なんだろう?と見てて不思議に感じた程なんですが…
その疑問の答えとしては ”疾走感” がキーワードとなっていて、文字通り登場人物たちが ”走る”、”駆ける” シーンが多いというのとやはり詰め込まれた ”情報量” が膨大なのだと思われます……民放だとTBS日曜劇場(の福澤組)が多数のエキストラで画面を埋め尽くす手法を多用してますが、”名も無き人々” が大量に出まくってるだけで、登場人物たちの ”生きてる実感” や ”生きてきた歴史” みたいなのが底上げされる上に、(背景セットを含めた)”物量” や ”作り込み” で画面が充実してることの高揚感みたいなのは昨今の厳しい製作事情においてはそれだけで貴重です
そもそもこのドラマの基本構造が古今亭志ん生が狂言回しとして(未来から過去を)語る ”東京オリムピック噺” となっていて、昭和と明治の二つの時代の志ん生が二人同時に画面に登場するのも厭わないぶっ飛んだ演出が ”疾走感” の根底にありつつ、更に劇中の志ん生がオレら視聴者にもメタ的に語りかける事で ”2019年の現代” という三つ目の時代(視点)までが加わってくるワケですから、もうそりゃ視聴者は脳の処理に精一杯で間延びする余裕なんか感じるヒマすらないという仕掛けなんですなw
しかも純粋なドラマ部分についても ”ドラマチック” な要素が詰め込まれていて、第二話で田口トモロヲ演じる四三の父が死ぬまでの過程なんかも、通常の大河ドラマなら1~2話かけてやったとしても全然おかしくない内容だったのに開始25分経たずにまとめられてしまいましたからねえσ(^◇^;)……クドカンの軽妙でありつつも、酸いも甘いも苦いも知り尽くした人物描写も相変わらず達者で、安心して見ていられました
何より、”疾走感” の最大の功労者かもしれない、「あまちゃん」でもお馴染みの大友良英の軽快なサウンドが心に響きまくりで、あのテーマ曲と共にワクワクが果てしなく上り詰めていく感はホント筆舌に尽くしがたいくらいに好きです( ゚∀゚)o彡゚
オレ個人としては第一話冒頭、”彼はレジェンダリー、ジゴローカノーの最期を看取った男です” と松重豊が星野源のことを紹介した際に欧米人たちがどよめいたシーンでいきなりグッときまして、コレは柔道経験者なら誰もがこのシーンだけで一気にワクワクが止まらなくなったんじゃないかと思います
明治時代、日本が西洋化の道を進もうとする中で古来の殺し合いの技術である ”柔術” から、”精力善用” や ”自他共栄”といった理念と共に(勝ち負けではない)自己修養を心がける ”柔道” を生み出した嘉納治五郎は、西洋の ”スポーツ精神” に大いに共感する所があったのだろう……といった概略を知っていた程度のオレですが、やはり自分が少しでもやっていた競技の創始者がこうして ”伝説的” な扱いを受けていたのを見せられると嬉しくなっちゃうものでして…(*´∀`)
国威発揚、政治利用、選手への過度なプレッシャーといった ”闇” の側面にもキッチリ言及しつつ、そもそも ”スポーツとはなんぞや?体育とは?” といった概念の説明から始まって、近代スポーツにまつわる明暗をキッチリと両論併記していたのが素晴らしかったです
そして第一話といえばやはり何よりも話題をさらってしまった愛すべきバカ集団w ”天狗倶楽部” の面々ですが、第二話より金栗四三の幼少時から物語が始まると聞いて、じゃあ天狗倶楽部が再登場するのはしばらく先かなあと残念に思ってたんですが、まさかの第三話の予告にもう普通に登場しているというw
いやー、これから一年、日曜の夜は是が非でも家に帰ってテレビの前にいようと思えるくらいに楽しみなのが何より幸せですd(≧▽≦*)
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