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[映画] レディ・プレイヤー1

2018-04-21 | 映画

「レディ・プレイヤー1」を川崎109シネマズにて観てきました


一言で表せば、”オタクでよかった!” と思わされる映画でしたヽ( ̄▽ ̄)ノ


昨今は世界的な ”80年代リバイバル” ブームなのだそうで、日本では朝ドラの「あまちゃん」あたりから平野ノラのネタwなんかも含めて、海外ではハリウッド映画のリメイク攻勢やNetflixのドラマ「ストレンジャーシングス」なんかが象徴的ですかね

「バックトゥザフューチャー」という映画では1985年の ”現在” を中心として2015年の ”未来” と1955年の ”過去” の時空を飛び交いながら物語が進行しますが、(ルーツまで辿る「3」の西部劇はさておき)親と子の世代での意識の違いや文化的な差異の対比をするのにこの ”30年” というスパンがおそらく最も適していて、文字通り ”時代を超えた” 普遍性が詰め込まれたエンタメ作品として親子二世代で楽しめる不朽の名作シリーズとなっていました

意図してか偶然かはわかりませんが、愛車 ”デロリアン” を駆る主人公が登場する本作「レディ・プレイヤー1」の舞台となるのは2015年の ”未来” からキッチリ30年後の2045年…


あの第二次大戦から尾を引き続けた東西冷戦のまっただ中の(終末戦争が現実味を帯びていた)60~70年代と、情報化社会の到来と共に世紀末に向けた暗い世相が否応なく強まってしまった90年代の間に挟まれた80年代というのは、(-あくまで私見ですが-)人類が文化活動に信じられないほど ”労力” を振り分けた時代だったのではないかという感覚があります

”革新性” という観点からだと鬱屈とした時代の反動として60~70年代文化の方がより強烈だったと言えるのかもしれませんが、なんだろう、映画や音楽やアニメといったカルチャー全般に対して ”アホ” なことが許されたというか、言い換えればテクノロジーの発達に伴う ”アホ” なこと(奇抜なアイディア)にも資力をつぎこめる試行錯誤の余裕(未来への希望)があったというか…

世に出るコンテンツの9割がゴミ~というのはいくら時代が変わろうとも不変の真理だと思いますが、分母の多様性が豊かであればあるほど(後世に残る)”1割” もより輝きを増すというもので、そんな80年代の ”アホ” なくらいぶっ飛んだエッセンスを凝縮させて見せてくれるのが「レディ・プレイヤー1」という映画なのだと言えば、いかに素晴らしい作品であるかというのが少しでも伝わりますでしょうか?(←ネタバレ回避の為とはいえ回りくどいにも程があるのはすみませんw)



80年代を生きた記憶のある人間なら感涙にむせぶこと必至で、それ以降に生まれた若者達に対しても、”社会的な閉塞感” が行き着く所まで行き着いた2045年から ”現代” を逆照射して見事に描写している作品ですので、是非とも多くの人に見て貰いたい、傑作です!!






以下ネタバレ感想:
原作小説を書いたのはアメリカ人だそうで、任天堂やセガの日本製ゲームが世界中を席巻したのは肌身に感じて知っていましたが、特撮やアニメも向こうのマニアにはとんでもなく影響を与えてたんだなと知れて改めて日本人として嬉しかったですw
画面一杯に登場しまくっていたメカやキャラの元ネタが知りたくて久しぶりにパンフレットを買ったんですが、80年代に小学生だったオレがまだ生まれる前のネタも満載だったようで(^0^;)、洋楽ネタとか含めてハッキリ言って半分も把握出来てなかったですが、それでも楽しかったなあ

ド派手なアクションもてんこ盛りの映画でしたが、ある意味一番興奮したのが「シャイニング」のホテルに到着するシーンで、(元の映画はビデオでしか見たことがありませんでしたが)映画ファンを長年やっててよかったとゾクゾクしまくりでした……VR(バーチャルリアリティ)技術の可能性として、既に現実では喪われた街や歴史的な遺構を再現したりするっていう活用法が考えられてるそうですが、名作映画なんかのフィクション作品の世界を自由に歩き回れたりするのも凄く楽しそうです


ネット上で多数のプレイヤーがゲーム空間を共有するオンラインゲームが一般的になっておよそ20年、VR技術がこのまま進化し続けてハードウェアが無限大の処理能力と極限の描写力を獲得すれば、いずれオアシスみたいな仮想空間が実現する未来がホントに来そうな設定が絶妙でした……ログインパスワードのメモを機材に貼り付けちゃってる不用意さ(現実にこういう人結構いますよねw)を揶揄しつつ、キチンと伏線として機能させるとか、アバターをいくらでも改変出来ることからのネカマ疑惑wとか、身バレすることの危険性とか、課金のヤバさとか、何気にネットリテラシーの啓蒙としても秀逸な映画でしたよね


”究極の現実逃避” と書くとゲームやVR技術の負のイメージばかりが先行してしまいますが、”社会インフラ” と呼べる程に整備される段階にまで到達すれば仮想空間がもう一つの立派な ”現実” となり、そこで様々な社会活動から経済活動までが成立するんじゃないかというのは実に夢がある話です(リアルトレード等、既に一部は現実化していますな)

”現実” となるとやはり ”現実的な” 格差問題といった弊害なんかも生じてしまって、主人公のウェイドもコツコツと底辺から成り上がるのに必死なワケですが、そこには新たな価値観も生じていて、それは ”オタク” であることが ”希望” でもあるということw……一本の映画として成立させる都合もあって、無限の可能性を秘めたオアシス内でのゲーム空間という側面が劇中では強調されていましたが、ゲームとは(クリアを目的として)”攻略” する必要があって、その為には広範な知識や努力、そして何より ”好き” という感情が最重要視されてる世界観が素晴らしかったなあ( ゚∀゚)o彡゚

”思い入れ” や ”こだわり” といった目に見えにくい動機は人間が生きていく上での根源的な欲求であるにも関わらず、(お金儲けや出世といった)社会的評価には結びつきにくいことを一般社会の理不尽さとして思い悩むのは世の全てのオタクが共感する所でしょう(^_^;)



リアル神様:”お前らの人生は決して間違ってない!ただし…”


↑の後に続いてどの様な ”言葉” をこの映画から受け取ったかは観客それぞれで違うと思いますが、オレ個人としてはオタク的な気質を持って生きてきたことで幸せだったと再認識出来ましたし、何より近頃の(諸々の意欲への)パワーダウンを加齢によるモノと言い訳しようとしていたオレの怠惰な心情に、70歳を越えるスピルバーグ監督から猛烈な ”喝” を入れて貰ったことに感謝しかありませんw



スピルバーグ監督あんたすげえよ、ホントにありがとう!!(-人-)



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2 コメント

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ヒット作 (もののはじめのiina)
2018-05-08 08:44:39
テレビCMに、沢山の車が落ちていくシーンは、分けわからなくゲーム色が濃く引きましたが、評判に引きずられて見てきました。

きょうのお昼に「猿の惑星」オリジナルが放送されます。猿と人間の立場が逆転する設定とラストの衝撃は、後発シリーズは絶対に超えられません。

本作のアバターは、「マトリックス」の仮想現実ですから、「現実だけがリアルなものだ」に落ち着くのですね。

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>iinaさん (たばたけ)
2018-05-13 15:34:55
スピルバーグ監督によると家で孫たちがスマホばっかり見てるから、
少しはこっちを見てくれよ!
…的な気持ちでこの映画の監督を引き受けたらしいのでw、ラストの顛末は監督のささやかな本音と受け取りました(^_^;)
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