2018/05/05(土曜日)に納車された新型PCXで
05/06に出かけた試走の④です
自宅から145㎞と
ナラシの300㎞に丁度良いなと道の駅「若桜」へ
半日ツーリング♪
まだナビを付けてないので看板の絵を頭に描きながら

※下が北の地図デスwww
道の駅前のR29を信号一つ北上して西へ
鉄道の高架をくぐると昔ながらの町並み

ちゃんと可愛い案内表示も出ているので

道には・・・迷ことなく

気持ちに・・・迷いが起こりそうな看板(汗)

用心しながら

撮影しながら

舗装が途切れたところにPCXを停めて

ココですねぇ~

砂利道を150mほど上がると

上に広い駐車スペース
ここまで上がっても良かったな~
歩いたのに減らない距離(笑)

でも運動不足だから丁度いいかぁ~と
案内表示に従って二の丸へ
チト危険な

トラップもある様ですが

案内表示に従って

富士山を思い出すガレた道を登ると

通電してませんねぇ~

ナカナカイイ雰囲気♪

ありました作業小屋

プラケースにスタンプ

せっかくなので天守台へ

昔の殿様はこんな景色を

眺めて何を思ったのか

バイクへ戻って

唐風のお寺前でバチ

「若桜駅」へ

トイレのつもりでしたが
例の名物・ピンクのSL♪

せっかくなのでツーショット


ココでオドメーターは140㎞
同じルートで帰路につきますが
300㎞には少し足りない・・・
◆「200名城」スタンプ蒐集を始めて
「城」の建物は昔から好きですが
考えると独特な建築物の造形として興味があったと言うことかな
せっかくなので、コレを機に、もう少しソコに城が作られた「成り立ち」なども知っておきたいなと
しかしあらためて調べてみると、もともと砦らしきモノがあり、戦国期に大きな増築等があって、統治者も転々として、さらに明治の廃城令、第二次世界大戦、観光施設として再建など
いつ出来て、いつ廃城となったのかと一概には言えない部分も(汗)
歴史研究の分野は諸説あるのも常なので、施設配布資料、ウイキ等から
全くの独断と偏見でT2なりに城の成り立ち的な部分をメモすることにします(笑)
また、当然のごとくいずれも伝聞ですが、「とされている」は割愛します
◆若桜鬼ケ城(010/200)
鎌倉時代(1200年以降)、因幡国八東郡の国人・矢部暉種(ヤベアキタネ)が築城
豊臣政権時代に木下氏が主要部を増築し、関ヶ原の戦いで西軍に属す。
敗戦後、山崎氏が統治するも1617年に破城。
標高452m(比高252m) 鶴尾山山頂部から尾根に曲輪を配した山城。

※現国道R29とR482(県境で通行止め)の結節点・要衝ということだったのかな。
道の駅の手前、情緒のある橋のあたりから西に入っていけば昔の街並み♪
街中にはカワイイ案内表示がありますwww
舗装路が途切れるところに車4~5台分の駐車スペースもありますが、画像の砂利道を少し上がると40台ほど停められるスペースが♪
後は急峻なトコロもなく、5分も歩けば作業小屋ですので、電気柵と熊にご注意を(笑)
やはり交通の要衝に睨みを利かせる様な所に置かれたんだと・・・
ナビの言う通りばかり走るのも・・・何か違う様な気も・・・しません???笑
砂利道になっても少し走れば駐車場があるのですね~
中世の山城は、戦の時以外はほとんど居住はしていないと思いますよ~
関ヶ原の西軍ということで廃城となったのは不幸ですが、こんなところまで家康の命令が下ったのは驚きでもあります。
ナビ無しのツーリングは、少し不安もあったのでは・・・私の場合、もはやナビ無しでは、どこも行けなくなりました。(^^)
ありましたよねぇ~感電死事件(汗)
夜掛けなどして、知らずに・・・怖!!
ということは、夜は通っているんですね。
夜に来て、看板が見えなかったらヤバイ?