闘う母の笑タイム

左乳房早期乳癌温存手術・リンパ浮腫・髄膜腫摘出手術・左乳房全切除手術経験。がんばろう~♪

地震

2011年03月12日 | ひとりごと



地震で被害に遭われた地域の方々、お見舞い申し上げます。



昨日、最初の地震は、自宅二階で体験しました。

とても長く強い横揺れでした。


「いつもより少し強い地震かなぁ~♪」

そんな軽い気持ちで、部屋の周りの物で揺れ方を確認した。


しかし・・・

これでもか!これでもか!これでもか!

そんな異様な雰囲気で、だんだん強く揺れが続く。


目の前のテレビ、本棚が異様な位、揺すられて・・・

思わず、倒れないように体ごと押さえる体制になった。


部屋が・・・ミシミシ・・・あらゆる所で音がした。


「もう・・・家が崩れ落ちるかも・・・」

そんな弱い感情と・・・

「どうしよう・・・どうしよう・・・」

容赦なく強く横に揺れる身の回り物を押さえつけるだけ。


休暇をとって自宅に居た主人が二階の部屋から姿が見えなくなった。

一階の居間にいる両親(義父母)の方へ移動していた。


私も壁を伝いながら・・・一階へと移動する。


台所では、食器棚を必死に押さえる義父の姿。

周りには、棚から転げ落ちた鍋などか横たわっていた。


少し、揺れが静まったので・・・

落ちた物、落ちそうな物を床面に降ろしながら

気持ちを落ち着かせようとしたが、手足の震えが治まらなかった。

次々と来る、余震の揺れを部屋の中では受け入れらず

外に出て・・・暫く・・・立ちすくんだ。




幸い、私の住んでる地域では、電気、ガス、水道は使えた。



夜になっても余震が頻繁にあり・・・

いざという時の為に洋服で、布団に横たわる。

一晩中・・・「緊急地震速報!!!」・・・の音に

反応して、揺れの強さと部屋の様子に神経を使う。



今朝のニュースで、大津波の被害の大きさを知り驚く。




今夜は、夫が”会社待機要員”で留守だ。

自宅の屋根瓦の一部が破損しているので・・・

これ以上、傷まないことを願いながら過ごすことになると思う。





どうか、被災地の被害がこれ以上広がらないことを祈るだけです。











新たな一歩

2011年03月09日 | 社会勉強(老い・福祉)



久々の記事になりました。


さぼっている間に、三月に突入してしまいましたが

一昨日は、雪の降る寒い一日でした。

屋根の上が白くなりましたが・・・

さすがに、翌日には消えてなくなってしまいました。


そんな雪降る一昨日、実父が無事退院し兄との同居がスタートしました。


実父の入院は、実母が亡くなった次の日から・・・

長くいろいろなことが重なり過ぎた日々でした。


父は、母が亡くなる少し前から体調を崩していたようですが

「大丈夫!」の一点張りで、一人我慢していたのでしょう


そして・・・夫婦間で通じるものがあったのでしょう

体調を崩しながらも、母の亡くなる前日、父は面会に出掛けていました。


次の日早朝、急変!の知らせで、穏やかな表情で逝った母と対面し

一日いろいろな手続き等・・・落ち着かない時間を過ごしました。


通夜の前日、何とも父の表情の異変を感じ・・・

「明日(通夜)明後日(葬儀)に参加出来るように点滴をしてもらおう」

そう言って私が夕方、かかり付けの病院に連れていきました。


事情を説明し、父の顔色などから血液検査をすることに・・・

その結果、予想以上に深刻な数値が出て・・・

「即!入院!」という宣告を受け、体を震わせ・・・心で泣いていた父。


何とも無念な気持ちであろう父を病院に残し、帰宅するのは辛かった。


翌日(通夜当日)午前中には、緊急処置が必要!ということで

別の病院に救急車搬送・・・。


幸い、早めの処置で大事には至らず・・・

その後、治療・体力回復のためリハビリと、長期入院生活となりました。



その間、いろいろな決断をしなければならない父でした。

  <”運転免許証”更新が一月初旬>

  <一人暮らしにピリオド>
 
  <長年住み慣れた家を離れる>



私達兄弟、少しずつ時間をかけて父の気持ちを聞きだしました。



  *”運転免許証”は、更新せず返納。

  *しぶしぶではありましたが、兄達家族との同居。

  *兄の家へと居住地を変更



何とか、父なりに歩み寄り長男夫婦と同居の生活が始まったわけです。

介護保険申請の手続きも進み、ほっとしているところです。




一人暮らしで頑張ってきた父、ご苦労様。

今度は、母の分まで兄達家族と一緒に生活を共にしてほしいと願う娘(私)です。








<羽田空港にて>