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闘う母の笑タイム

左乳房早期乳癌温存手術・リンパ浮腫・髄膜腫摘出手術・左乳房全切除手術経験。がんばろう~♪

記憶!・・・2004、10、6・・・

2005年10月06日 | 入院 の思い出
10月6日(木)

10月は、忘れられない思い出がいっぱい詰まった月です。
今日から、記憶と入院日記を元に思い出を綴ってみます。

ちょうど一年前の今日。(2004、10、6)乳癌手術の為、がんセンターに入院した日です。入院日は手術日の二日前。と決まっています。前日までに用意した書類とパジャマ等の着替えの入ったバックを持って、夫に付き添われて病院に向かいました。

留守中(入院中)のことを義父母にお願いし・・・今朝急に娘が「おかあさん、アイロンの掛け方どうやるの?」毎日着て行くYシャツのことです。何日か前にやり方を伝授しようと声かけたら・・・「アイロンは掛けませんから!」←(母譲りの気が強い女です!笑)強く言い返した娘が母の入院の日の朝に尋ねてくるなんて・・・なんとも娘の心理状態が分かって・・・一番家族を残しての入院が辛く感じた時間でした。
幸いにも義父母と同居なので・・・家事(特に食事・洗濯)の心配をしなくていい事はありがたいことでした。

病院に着いて入院手続きを済ませて入院病棟へ。
事務の方が病室に掲示する名札の確認をしてくる。「これ(名札)を病室に付けてもよろしいですか?」・・・???・・・何の意味か?すぐには解らず、とりあえず自分の名札だから・・・「はい」・・・妙に自信のない返事をしました。(笑)後で夫に尋ねたら「入院患者の中には名前を公表したくない人もいるんだろうなぁ~・・・」一つ勉強になりました!

病室は、病棟の一番端の四人部屋。トイレが一番遠い部屋。ナースステーションから見えない部屋。食事の配膳場所に一番近い部屋。(笑)
窓際のベットでした。今日退院した人がいたので、三人です。

パジャマに着替えて、看護師長さんが病棟内を案内してくれた。ーーーこの時「患者になったんだなぁ~」と実感した。ーーー
夫は会社で、夕方からの「手術事前説明」の時間まで待機する。

担当看護師Iさんと持参した記録(書類)の確認面談を行う。とても若い看護師さん。穏やかな話し方で「困った事や聞きたい事」を躊躇わず何でも話せる人です。この看護師Iさんの存在は、とてもうれしかったです!

・同じ窓際で向かいのベットのGさん。→一番初めに声をかけてくれた優しい面倒見のいい方でした。今日から抗がん剤の点滴が始まりました。そんな大変な日なのに・・・屋上にあるコインランドリーを案内してくれて、いろいろと助言をしてくれました。今でもGさんの親切が有難く、入院して間もなく不安だったあの時に声をかけて頂いたことに感謝しています。
・隣のベットのOさん。かわいいお孫さんのいる若ばあちゃんです。ざっくばらんの話し方でいつも笑ってしまいます。楽しく明るい家庭が見えてくるような人です。

入院初めての食事(昼食)は・・・「天ぷらそば、きゅうりとしらすの酢の物、フルーツヨーグルト和え」・・・病室で食べても、ディルームで皆と一緒に食べても自由です。---病室の皆と一緒にディルームで食べる事にしました。他の病室の人達と同じテーブルで楽しく和やかな雰囲気の食事タイムでした。

午後は、手術に必要なものの準備。(売店で購入)・呼吸訓練・麻酔科医師の説明・・・あっというまに夕方になりました。

5:00~主治医から事前説明を夫と二人で聞く。
・細胞診が出来ず、決定的な証拠に欠けるが・・・超音波、マンモ、CT、の検査結果から・・・ほぼ乳癌であろう・・・ということです。腫瘍の大きさは・・・約1㎝なので早期乳癌になる。手術中に細胞を採ってその場で検査して手術を進めて行く。
・センチネルリンパ節生検の説明。「センチネルリンパ節」→(がん細胞が最初に転移を起こすリンパ節のことで、見張りリンパ節とも言われています。)今回の手術前に乳がんのある部位の周囲に青い色素を注射して、青い色素が初めにたどりつくリンパ節(見張りリンパ節)を摘出して調べる。→がん細胞の転移がみられない場合、その他のリンパ節に転移がみられる確立は3-10%程度。
つまり、リンパ節切除は極力最低限にして・・・術後の腕の動きに影響しないよう配慮していることのようです。

主治医の説明で手術の恐怖心は消えて・・・「お任せ致します!」・・・その一言に尽きます!実感した瞬間でした。

入院初めての夜。ちょくちょく目が覚めて・・・熟睡できなかった。やはり気持ちは高ぶっているようでした。(笑)

入院 27日間・・・お も い で・・・

2005年04月02日 | 入院 の思い出
[回想]

・・・・・2004年10月6日 入院・・・・・

・(もう、こうなったら覚悟を決めて、やるしかない!)そんな想いで入院しました。
・夕方:主治医から [手術事前説明] を夫と二人で聞く。専門用語は、解りやすい言葉に置き換えて、とてもよく説明してもらう事が出来た。・・・が・・・母は緊張していたようで、主治医の「ここまでの説明で何か質問はありますか?」の問いに、頭の中は、思考力ゼロ!・・・(説明は、聞いたけど、・・・)冷静に質問したのは、夫でした。母も意外と普通人だったみたいデス! 


・・・・・10月7日 手術前日 緊張吹っ飛ぶ!・・・・・

・手術を明日に控えて、入浴。脱毛。手術室、ICU看護師説明。等・・・少しずつ緊張感がでてきた。
・午後:主治医が超音波で確認しながら、手術場所に印を付ける。

 Dr 「はい。終わりました。」
 母 「はい。ありがとうございました。」

・そう言いながら、母は、印を確認して、ビックリ・・・。

 母 「わぁー、ちょっと!大きすぎませんか?笑笑笑・・・」
 Dr 「そう?よくわかるように。消えちゃうと、いけないから。」
 母 「笑笑笑。変ですよ。笑・・・」

・印: 黒マジックで太く大きく書いた× でした。

・病室に戻った母は、爆笑しながら、みんなに例の印を見てもらいました。本当にすごい印でした・・・今思い出しても結構わらえます。・・・笑・・・  
  


・・・・・月火水木金 朝7:45・・・・・

・食事は、病室、デイルームどちらで食べても自由です。
・母の居る[221号室]は全員、デイルームで食べてました。
・朝食は、7:30~です。食べ始めて少したった頃・・・7:45・・・我ら「乳腺外科医師」揃って登場します。食事中の患者一人一人に声を掛けてくれるのです。この時間に顔を出すという事は、・・・「先生達何時に出勤して来るの?」「朝から晩まで大変だねぇー。」と、いつも患者は、Drを話題にしています。(先生、クシャミ出ませんか?) 
         


・・・・・朝一番の仕事・・・・・

・病院の夜は、とても長ーい! 母が入院で一番辛かったことです。(いっぱい寝た。もうそろそろ朝かな・・・)何度も何度も同じ言葉が頭の中を廻ります。
・そんな辛い?朝待ち時間を・・・母は、変えました。・・・朝一番の「洗濯タイム」です。5:00になるのを待って、コッソリ部屋を抜け出してコインランドリーへ・・・!洗濯が終了するまでの30分間は、屋上で歩け歩け運動と、家族に携帯メール発信。
・母が、朝一番の仕事が終わって、部屋に戻ると「もう洗濯してきたの?早すぎ!」みんなによく言われてました。早起き過ぎてゴメンナサイ! 
   


・・・・・○○過ぎる 221号室・・・・・

・入院して、楽しかったのは、同室の人達に恵まれて、居心地のいい所だったこと。とにかく[笑う、笑う、笑う。],[明るい、明るい、明るい。],[元気、元気、元気。] こんなに自分をさらけ出したのは、久しぶりでした・・・。退院した今でも、連絡を取り合っている。本当にいい仲間です!
        


・・・・・たくさんの思い出と共に・・・・・

・2004年11月1日 退院しました。先生、看護師の皆さんお世話になりました。
     
                

手術後 ~ 三週間 ・・・印付け、緊張、孤独・・・

2005年03月30日 | 入院 の思い出
[回想] 2004年10月23日~10月29日


・ホルモン療法、放射線治療、始まる。


・・・ホルモン剤、飲み始めいつから?・・・

 Dr 「ホルモン剤、いつから飲むことにする?」
 母 「・・・どうしようかなぁ・・・」
 Dr 「いつからでも、いいよ!25日の月曜日にする?」
 母 「・・・はい・・・」
 Dr 「じゃぁ、月曜日(25日)からにしておくね。」
 母 「ちょっと待ってください!やっぱり、22日からにしてください!22日が給料日だから、覚えやすくて、忘れないから!」
 Dr 「笑・・・いいけど、おもしろいね!じゃぁ、22日からと、言うことで・・・笑」
 母 「はい。お願いします!」

・母は、[五年間飲み続ける事]が気がかりで、飲み始めの日には、とてもこだわってたのです。真面目に。こんな変な会話、よく成立しましたねぇー。 

     



・・・・・10月25日 放射線治療 はじまる・・・・・

・治療患部に正確に放射線があたるように、目印として体に黒マジックで印を書きます。とても大切な事ですが、やっぱり抵抗ありました。[黒のマジック!] 5週間(25回)ずーっと書いておかなければ、いけないんですから・・・。

・「治療中は、体を動かさない。」・・・緊張しました。いつも笑いの母でも、さすがに真面目顔になる瞬間でした。

・そして一番の孤独感を味わう瞬間は、放射線を照射する時です。治療部位の位置合わせが終わると、スタッフは、扉の外へ・・・。治療室には、患者一人になるのです。・・・あの瞬間は、大変な気持ちになりました。「私を置いて逃げないで!」心の中で叫んでました。


 看護師 「放射線治療、どうだった?」
  母  「すっごく緊張した。そして孤独感を味わってきました。」
 看護師 「ふうん。そうなんだ・・・。」
  母  「だって、準備ができたらみーんな、逃げちゃうんだもん!まるで、砂糖に集まった蟻が殺虫剤をかけられて、素早く退散する様子。そのものだよ!」
 看護師 「爆笑!」

・放射線治療室のスタッフのみなさん、言いたいこと言い過ぎの患者で、ゴメンナサイ!

* とにかく、すごい体験でした。 *

             

手術後 ~ 二週間 ・・・ありえない ハプニング続出!・・・

2005年03月29日 | 入院 の思い出
[回想] 2004年10月16日 ~ 10月22日

・発熱の原因だった、脇の下の傷から短い管を入れて、中に溜まった液を外に出すようにする。管は短く、あまり違和感は無い。上からガーゼを当てて、様子をみる。時々看護師さんがガーゼの状態をチェックしてくれる。この管にまつわるハプニングは、笑える思い出のひとつです。


[ハプニング①]
     ・・・「ポロリ!ァッ 管が 」・・・     

・傷口にガーゼを当てているので下半身のシャワーになる。上半身は、濡らさないように気をつける。言葉では、簡単に言えるけど・・・意外にこの「シャワー・タイム」は、難しい。
・足の下を洗おうと、体を前に傾けた時に ハプニング    あの傷口の管が足元に「ポロリッ!」   一瞬何が起きたか理解出来ない位の動揺でした・・・。さすがの母もシャワー室で一人叫んでました。

 母 「わぁー!取れちゃた!どうしよう・・・ナースボタンで知らせなきゃ!・・・でも、こんな格好で・・・とにかく、早く着替えて、ナースステーションに行かなくちゃ!!管を持って・・・?・・・わぁ!管に安全ピン 」

* 傷の場所が脇なので、自分の目で見る事はできないのです。管の入ってる状態や、短い管なので傷口の奥に入り込まないように、管先に安全ピンを付けている事など、本当に「ビックリ仰天!」でした。

* 取れた管は、Drに入れてもらい、一件落着!



[ハプニング②]
     ・・・「行方不明!一体どこへ?」・・・       

・「管ポロリ事件」の翌朝。看護師さんがガーゼの汚れ具合いをチェックしようと、傷口をのぞいたら・・・

 看護師 「あれっ!管は?」
  母  「えっ!ついてないですか?」
 看護師 「うん!見当たらないんだけど・・・」
  母  「えーっ!ない?行方不明?・・・笑・・・どこいっちゃったんだろう!・・・笑。」

・二人で、着ている物全部調べたけど、見つからない。朝起きてからの行動を一つ一つチェックしていく。・・・朝一番で洗濯(一緒に洗った?)・・・トイレ(落としてきた?)・・・他に行った所は・・・屋上・・・。トイレは看護師さんが見てくれる事に。他の場所は、朝食後に母が探しに行くことに。

 看護師 「管の先に付いてるのが安全ピン(針)なので、行方不明のままでは、安全上良いことでないから・・・。」
  母  (そうですよねぇ。本当に何処いったんだろう!)

・「よくも、こんなに次々と事件が起きること・・・笑・笑・笑・・・」同室のみんなにも不思議がられてました。「自分では、そんなに変わった事してないんだけど・・・何故か気が付くとハプニング!」そしていつも他人事のように笑いこける!いつも最後の言葉は、おもしろいねぇ。 

-----「管」事件 解決する!-----

・ありました!みつかりました! 屋上に落ちてました! よかった。よかった。でも、なぜ屋上?
・朝、屋上で「ラジオ体操」をやっている人達がいたので、一緒にやってきたのです。その同じ場所に落ちてました。???深く考えると話が難しくなるので・・・見つかってよかった!です。

・母の推理:まじめに体をいっぱーい動かしたから、管が弾みで取れたんでしょう!・・・???・・・また同室のみんなのセリフが聞こえます・・・・「でも、おかしいよ!へんだよ!ほんとうに、おもしろいひと!」・・・笑・笑・笑・・・

          


* とにかく ハプニング あり。 わらい あり。 いい おもいで です。


・・・・・術後 12日目・・・・・

・夕方、主治医がくる。

 Dr 「病理組織診検査の結果が出たよ。説明をするけど今からいい?」
 母 「えーっ!結果もう出たんですか?わぁードキドキしてきた!心の準備が出来るまで、ちょと待ってください・・・。」
 Dr 「あっ、いいよ。じゃぁ、準備が出来たら声掛けて!待ってるから。」

* Drは、我がまま患者の希望を受け入れて、病室を出て行きました。母は、自分の意見が尊重された事に、ホッとすると同時に、先生を待たせては・・・。いそいでナースステーションへ向かいました

 母 「大丈夫です。準備出来ました!」
 Dr 「もう、いいの?」 
 母 「はい。覚悟決めました!どっちにしても、一度は、聞かなきゃいけないことだから・・・」
 Dr 「そういうことだね!」

・病理組織診検査の結果・・・「比較的おとなしい癌」
・これからの治療方法
①ホルモン療法(ホルモン剤一日一回を五年間服用)
  ②放射線療法(週5日×5週→25回)

 Dr 「ホルモン剤は、五年間飲んでもらいます。ただし、五年間の間に何かあったら・・・つまり、再発ってことだよ。わかる?」
 母 「はい。わかります。」
 Dr 「その時は、治療方法が変わるからね。」

・説明は、実によく時間をかけて、わりやすい言葉に置き換えて、進めてくれた。単純な母も質問をしては、納得の50分間でした。
・「病理組織診検査」結果は、これからの治療方法を決める、とても重要な事なのです。

* さあ!これから 治療に専念するぞー!       

手術後 ~ 一週間 ・・・ルンルン気分の落とし穴!・・・

2005年03月28日 | 入院 の思い出
[回想] 2004年10月9日 ~ 10月15日

・手術の傷の痛みも無く、順調に回復。シャワーも半身から全身に許可が下りる。腕の制限も特別ない。

     ・・・そんな術後4日目。・・・

 Dr 「そろそろ、退院の日を決めておいていいよ。」
 母 (やったぁー!最短入院10日で退院できる!)

・心、ルンルン はずんでました! (退院希望日:10/18)  

   


     ・・・ところが術後5日目。・・・
 
     

・午前中:シャワー後の検温で 38度3分の熱!。食欲は、ある。
ただただ体が熱い。夕方:38度9分。氷枕で冷やす。報告を受けて我が主治医来る。

Dr 「熱、出ちゃったって!」
母 「はい!もうダメです!退院なんて早く決めたから・・・ぁぁショック!!!」
Dr 「熱が下がれば、まだ退院まで日にちがあるから。」

・言いたい放題のわがまま患者にDrは、実に冷静にやさしい言葉で対処していく。
・傷の炎症からの熱?。熱冷まし(座薬)・抗生剤の点滴。予定を早めて明日、血液検査。


     ・・・術後6日目の 落とし穴・・・

・午後:37度の熱。
・血液検査の結果:リンパ節生検の傷中での炎症。針を刺して処置。
点滴。

 Dr 「退院は、少し延びちゃうかも・・・。」
 母 「いいです。もう諦めました。傷をよく治してからにします。」


     ・・・術後一週間 じっくりネ・・・

・熱下がる。傷の違和感もなくなる。

 Dr 「このまま熱が下がって、傷が落ち着けば、退院できるよ。」
 母 「大丈夫です。慌てないで、傷を完全に治して帰ります!」
 Dr 「そう。じゃぁ、じっくりネ!」

* 早く退院できる。したい。しなくちゃ!・・・と、いつの間にか焦りを感じてた自分。主治医に は、ずいぶん失礼な言葉をぶつけてしまいました。「ゴメンナサイ」