電気の代金を確認したら値上がりの影響か、いつもより金額が少し上がっていた。いや、待てよ。値上がりの影響も多少はあるかも知れないけど、もしかすると“夜ふかし”の影響の方が大きいかもしれない。深夜から朝方近くまで煌煌と電灯をつけていたのだ。節電が叫ばれているのに鈍感な私はそんなことをしていた。夫が最近珍しくテレビを消すようになったなあと思っていたけど、あれは節電だったのか?
とにかく、反省して夜ふかしをやめることにした。午前0時になったら寝るのだ。
そのせいなのか、今朝は午前4時過ぎに目覚めた。
起きてすぐ、娘の部屋の窓から巨大な朝陽が見えた。窓全体がオレンジ色。目も開けられないほどの眩しいきれいなオレンジ色だ。
娘の部屋を左手にして、右を見ると緑萌える藻岩山に、オレンジ色の陽がさしていつもと違う表情を見せる。きれいだ。
ベランダを開けるとやや肌寒い戸外の空気。
「キョッ、キョッ」という鳴き声が聞こえ、最近近くによく現れるアカゲラだなと思う。必ず「今日も来ましたよ」とばかりに鳴く。
声がすぐ近くなので探してみると、真正面の木の良く見えるところに止まっていた。小柄なアカゲラだ。
「早起きは三文の徳」とはよく言ったものだ。朝から楽しかった。
物心つく頃から、朝起きると行くべき所があった。それは、保育園であったり小学校、中学校…やがて社会人になってからは会社と。何れも、いやいやながらではあったけれど、「朝起きたら行くべき所」だった。
結婚、出産等で10年ほど「朝起きて行くべき所」がない時期もあったけれど、PTAに関わることで「行くべき所」はあった。
子供が大きくなり、10年のブランクはあったものの、運良く再就職が出来て、再び「朝起きて行くべき所」が出来た。もはや、いやいやながら行くというものではなく、“呼吸をするように”会社に行っていた。
そしてリタイヤした今、朝起きても「行くべき所」が無い。それに違和感を抱き続けている。
人生の8割ほどは「行くべき所」があった。「所属」しているところがあったということになるだろうか。
どこにも所属していない今、身が収まらない居心地の悪さを味わっている。これが現役を離れるということなのだなと実感する。
毎日好きな時間に起きて、好きな事を出来るけれど、この“糸の切れた凧”の様な気分に慣れることが出来ない。
どこかに「所属」することによって仲間ができる。人付き合いは苦手な方だけど、私は仲間が欲しいのかもしれない。目的をもつ集団に所属したい。それは趣味の集まりでも良いのだろうけれど、今は収入が伴うものの方が良いような気がする。
人生100年時代と言われて久しい。望めば70歳まで働けるという企業も出てきている。
終活をしかけてみたけれど、就活に転じてみようと思う今日この頃だ。