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ポジティブな私 ポジ人

本を買うなら中古本

本は内容にもよるけれど、長い時間を費やした研究内容だったり、取材だったり、体験だったり…どれだけの苦労の末に出来上がった本なのかと思うと、商品の値段としては安いと言えば安いものだと思う。
人生を変えるような本に出会えたりもするだろうし、そんな時は1500円でも安すぎると思える。
でも、読んでみたいと思う本はドンドン増えていくし、新品を買うのはそれなりにお金がかかることなので、少しためらわれる。
図書館で借りるという手もあるけれど、特に新刊本は希望者殺到で順番待ちになったりする。返却期限というものがあるし、それまでに読みきれないということも多々ある。何より、返却のために足を運ぶという煩わしさもある。結局、安い資金で中古本を手に入れるのが私には一番合っている。

これまで数々の中古本を購入してきたけれど、特別問題のケースは無かった…が、最近購入した一冊は、初めてのことでちょっとびっくりした。

その一冊とは、ブログで感想を書いた塩沼亮潤氏の著書「人生生涯小僧のこころ」だ。
この本をネットで検索すると、最も安価な物があった。確認したところ状態は「良い」だったし、以前も購入したことがある中古本の専門業者だったので、購入したのだ。

我が家に到着して開封し、確かに使用感はあるものの外観は良い状態ではあった。数日そのままにしていて、お正月にいざ読もうとページをめくったところ、1ページ目から鉛筆で引かれた傍線の嵐。「えーっ!」と思わず声が出た。
ペラペラめくるとほぼ8割以上のページに傍線が引かれている。



傍線。学生の頃先生が授業中に「はい、では○行目。ここ、大事だから線引いて」と、教科書に傍線を引かされたものだった。
傍線を引くのは、その文章の最も大切なポイントであると思うのだが、この本の以前の持ち主は、特に本書の冒頭部分にやたらめったらな傍線を引いていた。
塩沼亮潤氏の文章の一行一行に、尊さと感動を感じるのは私も共感するところだが、そもそも傍線はせめて「ここぞ!」と思うところに引いて欲しい。

隣に座っていた息子に「見て。こんなの!」と傍線だらけの本を見せると、すかさず「痕跡本」と返ってきた。
痕跡本とは、本に残された書き込み等、前の持主が本に施した何らかの痕跡が残っている本の事だ。
かなり前から本の痕跡を研究したり、痕跡本の楽しみ方を書いた本などが出版されている様だ。
けれども今の私にとっては、これから読もうとしている本が傍線だらけだと、大変読みづらいのである。

先ずは消そうか、と思った。
いつも使っている、ちびたイチゴの消しゴムで消し始めた。意外と時間がかかるものだ。消しゴムもどんどん小さくなる。5ページ位消したところで、15分経過。読みたい本を目の前にして、この調子じゃ駄目だと思い、傍線を無視して読もうと決めた。
読み進むうちページの傍線の数も減り、内容に集中したこともあって、あっという間に読み終えた。

この本は久保俊治氏の「羆撃ち」と同じように、生涯手元に置いておこうと決めた。そう決めたからには、先ずは汚された本を、きれいにしなければ。
傍線は鉛筆だったから良かった。イチゴの消しゴムに限界を感じ、大きな消しゴムに変えた。

その消しゴムは夫が製図用によく使っていたステッドラーだ。一度使ったことがあったが、ゴム自体が固く使用感が好きではなかったので、ずっと使っていなかった。しかし、鉛筆の傍線を消すには、素晴らしい優れものだった。先程使っていた消しゴムより消しかすが少なく、何と言っても良く消える。筆圧が強いので跡はどうしても残ってしまうが、線が引かさったままよりはましだ。
紙がクシャッとなってしまわないように、慎重に消しゴムをかけたので、全部消すのに2時間以上かかった。


本を読み終えた後だったから、穏やかな気持ちで消せた。本の内容が私を穏やかにした。
これがもし読む前に行っていたとしたら、早く読みたいと焦る気持ちと、めんどくさい作業をさせられていると思う気持ちが、作業を雑にし、紙面にダメージを与えていたかも知れない。

消しながら、あれこれ考えた。
傍線の太さがあまり変わらないから、鉛筆ではなく、シャーペンかも知れないなあ。だから、消しても跡が強く残るのかも知れない。傍線を引いた人は、恐らく男性だろう。老齢の人ではなさそうだ。若者でもないなあ。30代から40代だろうか。
人物像を思い描きながら、残り三分の一ページくらいになったところに、傍線だけでなく文字が書かれた見開きが現れた。後にも先にも、文字があるのはここだけ。
傍線氏はここで何か決定的な啓示を与えられたのか、悟ったのか「結願(けちがん)すべき節目」「お遍路さん」の文字を書いている。年齢は40代より上の人だろうか。私は“結願”という言葉を知らなかった。結願という仏教用語が出て来たということは、仏教徒だろうか。「身軽になって」「再スタート」と複数回書いている。余程悩める方なのか…。
何かこのページだけは消すことをはばかられ、残しておいた。



傍線氏は、本書を読んで大切な何かを得て、このページに書き付けずにはいられなかったのだろう。その瞬間を思うと、それは尊いと感じる。

消しながら、結局私も「痕跡本」の魅力をちょっとだけ感じたのだった。以前の持ち主の人物像が、残された痕跡によって浮かび上がるプロファイリング的な面白さ。

傍線を消す作業にかかった2時間余り。無駄な時間だったろうか。
娘に言わせれば、時給1000円として、2時間働けば2000円稼ぐことが出来る。とすれば、新刊本を買ってもお釣りが来ると…きっと彼女はそう考えるだろう。
私にとっては、無駄な時間では無かったと思う。それは、先ずステッドラーの消しゴムの“良さ”に気付くことが出来た。それと、はた迷惑な傍線と書き込みではあったが、痕跡本の楽しさも少し味わえた事。仏教用語の結願を知った事。消しながら、大切な本がきれいになっていく様も、気持ち良かった。
結局、悪い事ばかりでは無かったから。
終わり良ければ全て良し。

塩沼亮潤氏も仰っていた、全て気持ち一つで良くも悪くもなると。悪い事に出くわしても、良い側面を見つけながら、ポジティブに生きるのが精神衛生上良いのだ。

そして、何となく人生は丸ごと修行なのかも知れないなあと、そんな事をふと思ったのだった。




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