下ばっかり見て歩いていたからか、子供の頃よく道端でお金を見つけた。
1円、5円、最高でも10円ほどだったが、拾ってポケットに入れ、家に持ち帰った。
これはネコババだが、当時は罪の意識もなく、自分の貯金箱に入れていた。
小学生になってからは、友達と遊んでいる時に誰かが10円玉を見つけ、大勢で交番に拾った10円玉を持って行ったような事もあった気がする。
たった10円を持ち込まれた警察の方も困惑したのではないだろうか。
これまでに私が拾ったお金の中で、一番大きな金額は一万円だ。
それは、札幌のススキノ交差点の一角にあった商業施設、当時は“ヨークマツザカヤ”という名称の建物の中でだった。
店内をプラプラとウィンドーショッピングした後、地下2階の飲食店街のおトイレへ行った。
女子トイレの入り口へさしかかった時、中から出てきた一人とすれ違った。
さて、どこへ入ろうかとトイレの中を覗くと、和式便器の後ろの方の床に、四つに折り畳まれた一万円札が落ちていた。
一万円!誰もいないおトイレで拾う。
どうしようか。私一人。そのままポケットに入れても、誰にも知られないままだ。
父の声が聞こえる。
「俺はお前をそんな人間に育てた覚えは無い」
「金を使うなら、自分で汗水たらした金を使え」
交番に持っていくか…。持ち主なんかわからないよなぁ。
この階は飲食店が多いので、食事の時間帯となるとトイレも混み合うが、私のいた時間帯は閑散としていた。
私の前に人が入っていたら、一万円札を見つけているはずだ。
だとすると、さっきトイレを出て行った人。私とすれ違った彼女が落とした可能性が最も高い。
その人の服装は、頭を三角巾でまとめ、紺色の作務衣の様な上着を着ており、前掛けをしていた。飲食店で働いている方の様だった。
トイレを出てみると、すぐ左手に蕎麦屋の裏口が見えた。
もしかすると、さっきの人はこのお蕎麦屋さんの人かも。
私はお店の表側にまわって、開放された入り口から中をのぞいてみた。
すると、さっきすれ違った人によく似た人がいた。
私は思い切って店内に入り、真っ直ぐにその人の所へ行き、「あのー、お金落としませんでしたか?」と、あえて金額を言わずに聞いてみた。
するとその方は、お尻のポケットを手で押さえ、「一万円!」と叫んだ。
間違いなかった。
私は直ぐに、その方に一万円を渡し、そのまま店を出た。
私が拾った金額で、次に大きなお金は、千円札だ。
私が40歳代の頃、何処かのお店の床に落ちていた。
この時は、完全に誰のものであるか不明のお金だった。
こういった場合、本来は交番へ届けるべきなのだろうが、私はそうしなかった。
その頃、テレビで心臓移植が必要な男の子の事をニュースで知った。
渡米して手術するには多額の資金が必要であり、その募金活動も行われていた。
子を持つ親として他人事とは思えなかった。
私はいけない事だとも思わずに、その拾った千円札を募金口座へ振り込んだ。
公衆電話の返却口や自販機の返却口に小銭が取り残されている事がよくあった。そんな時は小銭を一度自分のポケットに入れ、募金箱を見つけると拾った小銭を入れてきた。
良く考えると、拾った小銭が募金箱に入るまでは、着服してる事になるのかしら。
するとこれは、ある種、ネコババだろうか。
千円札の拾得を交番へ届け出なかった私は罪に問われるのだろうか?
金持ちのお金を奪って貧しい人々にばら撒いたという“鼠小僧”。
私の場合、人様の拾ったお金を募金するという善行。規模が極小なので“小鼠小婆(こねずみこばば)”といったところか。
ネコババの猫と鼠小僧の鼠。
ネコババの糞(ばば)と小鼠小婆の婆。
ついの言葉を揃えてみた。
私は“義賊を気取った偽善者”だ。
ラップで使えそうなフレーズ。
ちょっと言葉遊び。
子供が10円を交番へ届け出た場合、警察官として正しい対処の仕方を、何かの折に父が話していた事を思い出した。
そういう時は、「よく届けてくれたね」と子供を褒めて、届け出てくれた10円玉を受け取る。そして、自分の小銭入れから10円玉を取り出し「これは、届けてくれたお礼だよ」と言って子供に渡す。
これが正解だと言っていた。
ところで、父が子供から受け取った10円玉の行方は…。
10円玉という小さな金額、ちゃっかり屋の父の事だ。
あの10円玉の行方はきっと…。