その日、私はお買い物だったか、銀行への用事だったか出かける必要があった。息子には短い時間お留守番をさせた事があったので、その日も「すぐ戻ってくるから、ちょっと待っててね」と伝えて、私は家を出た。
すぐ戻るつもりが、予定より時間がかかり、30分以上かかってしまった。
あわてて家に戻り、部屋に入ると息子の姿が無かった。何故。
こんな事はこれまで一度も無かった。
「友達に会いに出かけたとか?」いやいや、近所に仲の良いお友達はいないし、いたとしても慎重派の息子は一人で行く事はない。何より、近所であっても、これまで一人で出かけさせた事は一度も無かった。
私が出かけている間に一体何があったのか。
私は焦りだした。神隠し…まさか、そんな馬鹿な。誰かに連れ去られた?いや、鍵はかかったままだったし…。
そんな時、家の電話が鳴った。
受話器を取ると、「息子さんを預かっています。」と女性の声。
今まで一度も聞いたことの無い声。年配の女性の声だ。一瞬、息子が拉致されたのでは、と心臓が高鳴る。
えっ?、とかええっ?とか声が漏れていたかも知れない。
女性は続けて名乗った。
「〇〇と言います。」
全然知らない名前だった。益々不安がつのった。一体全体何が起きたのか?
冷静で単調な声の主は、淡々と住所を述べたので、直ぐに伺いますと伝え、住所を頼りに急いで息子を引き取りに走った。
言われた住所の辺りに着き、一軒家の表札を確認しながら、〇〇さんの家を見つけた。
チャイムを押して、扉が開くとお顔だけは2~3度拝見した事のあるご婦人だった。時折、遊歩道を犬を連れて散歩されていた方だ。
笑顔で迎えてくれたご婦人と挨拶もそこそこに、部屋の奥からゆっくりと現れた息子の顔を見て、心から安堵した。
道に迷って泣きながら歩いている息子を見つけて、保護してくださったとの事だった。
ご迷惑をかけた事を謝り、保護してくださったご親切に感謝し、息子を引き取りその家を後にした。
息子の小さな手を握りながら、叱るでもなく、こんな事態になってしまったいきさつを尋ねた。
「何でこんな事になっちゃったの?」
息子が言うには、家で私を待っていたが、すぐ帰ると言って出て行ったので、なかなか戻らない私の事が段々心配になって来たそうだ。
そんな不安な気持ちを抱えていたところ、救急車の音が近くに聞こえたので、私に何かあったのではないかと、家を出たのだと言う。
あちこち歩いている内に、道に迷ってしまい、どうして良いか分からず泣いているところに、くだんの〇〇さんが通りかかり、保護してくださったと言う事だった。
ああ、私が全て悪い。
息子に心配をかけて、不安な思いをさせて、申し訳ない気持ちが込み上げた。
慎重派の息子が、私の身を案じて大胆な行動を起こしたのだ。
これからは、気をつけよう。
それにしても、良い人に保護されて良かった。もし、運悪く悪い人に出会っていたら…と思うとゾッとする。
息子が無事で本当に良かった。
ちゃんと家の電話番号を覚えていて、伝えてくれた事が、早期に事態の解決につながった事も良かった。
こんな事態が訪れるとは考えもしなかったが、万一に備え電話番号だけは覚えておくように言っていた事、ちゃんと覚えていた。
息子の私を思う優しさと、幼いながらパニックにならずに、電話番号を伝えられた事、ありがとう、そして偉かったね、と今更ながら振り返り思う。