にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

おぢばへ帰りたい

2012年01月06日 20時40分41秒 | おぢばがえり

長女もおぢばにふせこんでいるのだし、

一月団参で帰りたいと思っています。

ただ帰るのではなくて、お席を踏んでくれる方も一緒にと思うと

「帰れない」という気持ちと「なんとかみつけよう」とか「無理」という

気持ちが交差してしまう。にをいがけから与えて頂かなくてはと思うと

焦る。帰るの前提で歩かせていただき、動かせて頂かなくては、、と思う毎日。



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2 コメント

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お久しぶりです (Kです)
2012-01-08 08:48:51
お久しぶりです おぢばにいつも帰らせて頂ける私は本当に幸せ者です 改めてそう感じさせて頂きました 有難うございました
先月韓国の教会に行きました。熱心な青年が沢山おられます。しかし私達がおぢばに帰れない以上に 当然韓国の人たちの方が帰りにくいのです。韓国の青年さん達は口々にこんなこと言ってました。「あなた方はその気になればいつもおぢばに帰れる」「おぢばから近い。それだけで幸せ」「韓国も近いけど海外なんで簡単に帰れない」「物価の違いもあり費用が高すぎて簡単に帰れない」「たとえ帰参者のお与え頂いてもお金やパスポートや期間の問題で帰れない」「帰りたくても帰れない人達は山ほどいる」などなど… たくさんの声を聞かせて頂きながら、つくづく日本にいる私達は とことん幸せ者なんだなあと感じると共に、そのことに心から感謝し その感謝の心を一時も忘れてはならないなあと感じた次第です また向こうの方々は「日本の宗教だ!」と反日からくる冷たい視線を浴びる逆境の中を ただ教祖だけを信じて日々にをいがけに歩いておられます その信念たるや凄まじいものがあり、自分自身の弱い もろい 甘えた信念に嫌というほど気付かせて頂いた次第です 昨年はアメリカにも行きましたが、アメリカの信者さん方なんかは 更におぢばに帰る条件が当然厳しくなります 日本の私達を「徳がある」「幸せ者だ」「なぜもっと日本の人はそれを喜べないの?」と言っておられました。その通りですね。私達はただおぢばに近い日本にいるだけで、実はそれだけでとんでもない幸せ者なんですね その気持ちを常に忘れず持っておこうと考える今日この頃です。
しかし そうしておぢばに帰りたい 人を連れて帰りたい という思いを持たれることは素晴らしいと思います そして日々歩かれている姿勢も尊敬に値します 子供達にたっぷりとお徳が流れていっているんだなあ と思うと、親のつとめとしてはやはり子、孫へとお徳を流す伏せ込みは欠かせないなあと感じます
2~3ヶ月に一度くらいしかメールを拝見し書かせて頂くことが出来ませんが、いつも楽しみに見せさせて頂いています そして、純粋に綴っておられる言葉から 新たに私も学ばせて頂くことが多く 初心に戻ることが出来、また勇みを頂いております「あっ俺も歩かないとな!」といつも思わされます 有難うございます!
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yoshi (K先生へ)
2012-01-09 20:19:15
こんにちは。新しい一年が始まりましたね。

忙しい中なのに、たっぷりと理を頂戴しましてありがとうございます!!
日本に住まわせて頂いている私も、幸せモノですよね。もし、親神様が日本じゃなくアメリカとかにぢばを作っちゃったら、ゼッタイ一生おぢばには帰れないと思う。修養科なんてありえないかも。日本で良かったです!!なかなか帰れないような遠い場所に住む方々と行こうと思えば帰れる近さの場所に住んでいる方々、これもになにか親神様の思いがあるんでしょうかねー。
ふと考えてしまいました。

伏せ込みって自分自身のためではないですものね。子供や孫のため。親にしか出来ないことでもあるから、仰るとおり欠かせないことでしょうね。
時々、頂くコメントがとても楽しみです。読んで下さっているということが信じられないのですけどね。。電波でつながっているからこそ、隔たりを感じないで思いを共有できるのかな。私からみて面と向かってお話できる近い立場の先生ではないから、こんなふうな会話(?)は、本当に勿体なくありがたく思っています。
ちょうどいいタイミングでコメントを下さるなーって思いました。いろいろあって元気が出なかったんです。助かりました!!ありがとうございます。
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