昼間のにをいがけで
83歳で心臓の身上をいただいている方に
出会わせていただき話を聞かせていただき
こちらも聞いていただいた。
『こういうことをしている方は幸せだから出来るのよね。』
と言ってもらったのだけど、すぐに返事ができなかった。
いま主人とぎくしゃくしている自分が果たして幸せなのか?
自分のとってのしあわせってどんな形なのかな。
考えてしまった。
ようぼくとして御礼でにをいがけに出ている自分、
即答できないなんておかしいよね。
お道の信仰をしているからこその自分を見ていただきたい
という思いで人様のインターホンを押させていただかなくては
申し訳ないんだなって思わせていただく。
忙しい時間を私が割いてしまって、
相手の方は玄関に出てきて下さっているんだからね。
体調が悪いのにやっとの方も大勢いますよね。
私は自分で思っているよりもずっと
幸せものなんだと思う。
自分は幸せなのか?自分にとっての幸せとは・・?って、立ち止まって考えることが出来るのは、それなりに心に余裕がある訳だから、それ即ち幸せかも知れませんね。
幸せじゃない人は、立ち止まりも考えも出来ないと思うので。
バレーの全日本の監督の誰かが、「調子はどうですか?」と聞かれた時に、怪我をしていたり調子を落としている選手が沢山いても、コートに立てる人数が6人居たら、「ベストコンディションです」と答えていた・・と聞いたことがあります。
なんか違う話になってもたなー スミマセン
相手で見せていただいて
立ちどまることができる時間なんですよね。
気づいたりしますよね。
そうやって"喜ぶ心”をつくらせて頂くんでしょうかね。
母の病院に見舞いに行くとかならずボードに
ペンで書いてました。
「調子はどう?」と。母は自分の顔の近くで
親指と人差し指で円を作ってくれました。
今もそれやってます。調子がいいわけないんで
しょうに、、、けどそのしぐさを見ると私は
ホッとしてます。母なりの親心なんでしょうか。
今はやせちゃって、、、わたしや妹が来てくれるのを
待っているんです。この頃は看護師さんにちょっと
悪さをしてしまっているようです。寂しいんだと思うと
看護師さんは言ってくれます。
お水にもとろみをつけてスプーンでゴックンしてます。