私は耳の身上のせいもあってか、
けっこう自分の性格や個性に悩んでます。
身上が個性になっていると思っているのだけど、
・・・・何が言いたいのかな。
おみちの信仰で年限とともに耳の身上に感謝できるようになりたいと思っているけど、まだまだとてもとても出来ない。
人と自分のことを比べるし、
不自由な自分のことがみじめだなって思うこともある。
数人で行動しなきゃならないとき心で叫んでいるのだ。
「いやだぁぁぁぁぁ」と。
「苦しいよぉぉぉぉ」と。
しかし、自分で個性だと決めているんだから悩むこともないのかな。
今日拝殿でなにげに聞かされたこと。
「恩を忘れたら相手の粗ばっかり目に付くわよ。」
私のことじゃないのだけど、そういう人も確実にいるから。
恩を忘れないことって努力なくしては無理だと思うよ。
なにもしないで覚えていることなんか・・・・
時々思い出すことは出来てもね。
おみちの信仰でこの「恩に感じる心」ってのは、
大事なことだと思わせていただく。
恩に感じる自己表現が”ありがとう”になる。
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