午後から次男の高校へ行かなきゃならなかったので
近場でさせてもらってから、教会へ行くことにしました。
チャリを転がしながら移動しながら。
在宅者は少なかったけど、山椒の樹の実を摘んでいるおばちゃんの
お手伝いをしたり、施設の場所を聞かれたので一緒に考えてみたり
行ったり来たりしてました。
同じ教会の青年さんに3度も道で遭遇。
『みんな歩いてんだね』って言ってた。
手引き親にもばったり某スーパーの駐輪場で会ったし。
『今日もドタキャンされちゃった~~!!』
嘆いていました。
昨日の話だと3人連続ドタキャンだそうで
もちろん別々の方だそうで、で、今日も別な方が待ち合わせの場所に来てくれなかった、とか。
ドタキャンよりもそんなに頻繁ににをいがかかっているという事実が
あいかわらずすごいなぁぁって誰でも思うよね。
『わたしの心づかいだわーー』と、よく分かっているようでした。
で、昨日行く勇気がなかったお家へ勢いで今日はたずねることができた!!
留守だったんだけど、「留守なのかー」と思った瞬間に車で帰ってきてくれた。
本当に来たんだーーって言ってたようで、、わたしは嬉しかった。
迷惑なのかどうかそんなことは、今は考えないようにしよう。
赤ちゃんも寝ているし帰ってきて早々に、時間は使わせられないので
そんなわけで、またってことで。
めっちゃ疲れた日でした。
眠いのがまんしていると、あたまが重くなってきて
脳みその回転が鈍くなるんだね・・・・・・・・おやすみなさい。
仮住まいから始めた初心のにをいがけから、また出発がいいんだと、改めて思いました。
すてきなタイトルだなあと思いました。
きっと、笑ってくださっていると思います!
すごい意味深いコメントなので
分からないながらも想像してしまいました。
おたすけ人さんが喜べないなんて
よほどのことなんでしょうか。
にをいがけってその瞬間よりも
少し後になってからのほうが
味わい深かったりしますよね。私は、ですけど。
タイトルも重きを置いていますが、
すぐに浮かばせてもらうときと
悩んでやっと決めるときがあって。
夜、布団に入ってから、その日の自分の心使いを振り返ってみて
親神様に問いかけるんだそうです。
続けていると、見えないはずの親神様の貌の表情が見えてくるようになるって
この間の修養科で、修養科主任さんがおっしゃってました。