主人は「これっぽちもあんなとこまで(天理)行く気はないんだ。」、と。
そうかもしれないけど、行きたくないかもしれない。
見たこともあったことも顔も知らない子のことかも知れない。だけど、
自分の子供とほとんど同じ年の子が苦しんでいるんだよ。
なにかさせてもらいたいっていう気持ちになってほしい、と私。
「自分が行ったからってなにも変わらない。」と言う。
「俺はそんなとこまで行く気持ちの余裕も暇も無い。
自分のことで精一杯なんだ。お前が精一杯やればいいだろ!
おれまで巻き込むな。」と主人。
韓国ドラマにどっぷりはまり込み、
自分だけの世界を漂っているいる主人を見ていると喜べない。
私には暇な中年男性にしか見えない。
主人の言う”暇”とはそういうことじゃなく、気持ちの余裕のことらしい。
「興味ないとか余裕がないとか、そんなこと言っているレベルの話じゃないんだよ。
余裕なんて自分で作るもんだよ。そんな爺さんみたいなこと言わないで。
なんだか寂しいよ。まだ53でしょ。若いんだからさ。」と私。
「お父さんには情ってもんがないんだね」と私。
結局・・・・・・・・
・・私にはまだ主人に聞き分けてもらえる理作りが出来ていなかった、
ってことなんでしょうかね。
数年前の今頃も、「理作り」の話を聞かせてもらったことがあるなぁぁ。
思い出したよ。主人を団参にということでだったと思う。
男の人はプレッシャーに弱いって聞かせてもらったことがあるが、
プレッシャーはかけてないけど土日の主人は、ほんとにスイッチオフ。
家族のために朝から夕方まで働いてくれる主人。
だけど、もっと視野を広くしてほしい。
自分が今日まで知らないところで、
どんだけ誰かに助けてもらってきているのかということ、気が付いてほしいのだ。
そういうものへ対しての恩返しをしてもいいんじゃないかな。
人って気がつかないことは、ほんとに見事に知らないもんね。
『夫婦のバランス』この話をしていただいた。
おみちは奥さんのほうから入ってくるのがいいとするけど、
私ももう14年聞かせてもらってきている。
主人も自分には関係ないとか言って、突っぱねている場合じゃない。
主人にも考えてほしい。
私ばかり理の話を聞いてきているから夫婦のバランスが悪くなってきているのかも。
切り替えのときに来ているんだよね、とのこと。
なんだかな~~。
もういいよって気持ちになってしまうのだよね。
自分には夫婦の信仰は無理なこと・・とかね。
主人には、また違う方向から話をしたいと思っている。
自分以外の誰かのために・・・という・・・
実家の母から電話があって、
話があるというのでちょっと行ってこようと思う。
なんだろ~~~~改まって・・・・・