白川勝彦氏の「永田町徒然草」より
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辟易する情報洪水…トランプ報道と座間猟奇事件
17年11月09日
No.1944
No.1944
11月に入って初めての、永田町徒然草updateである。体調はだいぶ良くなったのであるが、この間のあまりにも偏頗な報道が私の気勢を殺(そ)いだのだ。大統領補佐官のイヴァンカ氏から始まって、トランプ大統領である。トランプ、トランプと大騒ぎするだけで、トランプ大統領が政治的に何を齎(もたら)したのか、分析や批判など全くない。
もうひとつは、神奈川県座間市の猟奇殺人事件である。この種の事件をどう報道するかは難しいところがあると思うが、もう少し考えて貰いと思う。各局とも「警視庁への取材で判明した」と前置きするが、警視庁が事実上発表しているのである。それならば、警視庁がキチンと記者発表すれば良いじゃないか。この種の事件が、政権の思惑によって利用されるのは、よくあることなのである。
11月3日は、文化の日であった。国民の祝日の中で、この日に私は、特別の想いを持っている。ポツダム宣言を受諾し、武装解除され、産業基盤も皆無となったわが国は、何によってこれから生きていくか。それは文化しかないとの決意で、この日を国民の祝日とした。それは、具体的には、日本国憲法をわが国の基軸とすることだった。日本国憲法の交付は、昭和21年11月3日であった。
“おもてなし”ということが近年、特に強調されている。例のオリンピック誘致の際に使われた、あの発言からである。“おもてなし”は、日本人の特技でもなければ、特別の技ではない。世界中の全ての人々が他人を招く際に、「おもてなしの心」をもってことに当たる。そこには習慣もあれば、文化もある。要は、その心が大事なのである。
安倍首相が見せてくれた今回の“おもてなし”は、果たしてどうだったのだろうか。俗物の来客なら、あれで良かったのかも知れない。しかし、あの程度のおもてなしが日本のおもてなしだとしたら、世界の人は笑うであろう。日本には、もっと奥ゆかしいおもてなしがあると私は思っている。そこを考え、工夫するのが、日本のおもてなしなのだ。
ここでおもてなし論をするつもりはないが、おもてなしを考える場合、相手ともてなす側の人格や人間性をどう考えるかは、必ず重要な要素になると思う。人格や人間性となると、“文化”ということになる。茶道や日本料理には、どこかに日本流の文化がある。そういうものに慣れ親しんでいる多くの日本人は、今回の安倍首相のトランプ大統領へのおもてなしは、ちょっと違うのではないかと感じた筈である。
色々な人が出ていたが、そういうことを言う人はひとりもいなかった。私は安倍首相と多少の付き合いがあるが、安倍首相には、文化とか人格などを感じさせるものは、少しもなかった。安倍信者と呼ばれる人も、そういう人々なのだろう。安倍首相が日本の総理大臣を務めているために、日本という国の文化が日々劣化しているのである。私がいちばん憂いているのは、そのことなのだ。
それでは、また
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