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戦前も戦後も一度も憲法改正したことのない国の憲法論  (抄) Plus

2017-11-10 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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戦前も戦後も一度も憲法改正したことのない国の憲法論

 11月3日は明治天皇の誕生日である。戦前は「明治節」と呼ばれる祝日だった。戦後の11月3日は平和と文化を尊重する日本国憲法が公布されたのを記念して「文化の日」という祝日になった。

 昭和21年11月3日に昭和天皇が日本国憲法を公布したのは明治節を意識していたからである。昭和天皇は日本の民主主義の始まりを明治天皇の「五箇条の御誓文」にあると考え、大日本帝国憲法の手続きに従って帝国議会が改正した憲法を日本国民の総意に基づく民主主義的な憲法として公布した。

 我々は天皇主権の大日本帝国憲法と国民主権の日本国憲法を全く異なるものと考えているが、しかし成立の手続きを見れば新しく憲法を作った訳ではなく大日本帝国憲法を改正しただけで、しかも当時の日本には主権がなくGHQのマッカーサー司令官の指示によって政治体制が一新された。この生誕の経緯に日本国憲法の複雑さがある。

 敗戦後に幣原内閣が進めた憲法改正作業はマッカーサーによって拒否され、マッカーサー草案を下敷きにした改正案が大日本帝国憲法の手続きにより枢密院に諮問された。枢密院では「天皇機関説」で有名な憲法学者美濃部達吉が改正に反対し、帝国憲法の運用を変えれば民主主義は実現できると主張した。

 しかし多数の賛成で改正案は枢密院から帝国議会に送られ、衆議院で憲法9条に修正が加えられる。「芦田修正」と呼ばれる。この9条を巡りそれ以降の日本には様々な論争が巻き起こり戦後政治の一大テーマとなるが、それが今や「護憲か、改憲か」で国内に分断と対立をエスカレートさせている。

 自国の憲法を巡って国民の意見が真っ向から対立し、それが戦後70年間も続いている国が世界のどこにあるだろうか。フーテンは聞いたことがない。もう一つ、明治22年の大日本帝国憲法制定以来128年間、日本人は憲法を一字一句変えずにきた。憲法を全く変えない国というのが世界のどこにあるか。これもフーテンは聞いたことがない。

 一時期の安倍政権は改正の条件が厳しすぎるとして改正手続きを緩和しようとしたが、衆参両院の3分の2以上による発議という日本の条件が厳しすぎることはない。米国でもドイツでも日本と同等かそれ以上に厳しい条件が課されている。にもかかわらず米国は戦後6回、ドイツは60回もの憲法改正を行った。憲法と国民の関係に日本だけ特殊な要因があると考えざるを得ない。

 戦前も戦後も一度も憲法改正が行われてこなかった理由は信仰ともいうべき護憲運動があったからである。戦前は伊藤博文や井上毅など薩長藩閥政府の要人がドイツの憲法を真似て作ったものを天皇から与えられた欽定憲法として権威づけたため、天皇信仰の右翼や大衆が護憲運動を行った。

 戦後は非武装の思想が9条に盛り込まれたことで、戦争でつらい体験をした国民や民主主義思想を広めることで社会主義を実現しようとする左翼勢力が護憲の担い手になった。天皇に代わる平和信仰が憲法改正を阻み「改憲」は71年間手を付けられずに来た。

 非武装の思想を憲法に盛り込んだのはマッカーサーである。第一次世界大戦以来の世界は各国が「戦争放棄」を謳う「パリ不戦条約」に合意したが、しかしどの国にも自衛権はあるという考えだった。しかしマッカーサーは日本には自衛権を認めない完全非武装の憲法草案を作成する。

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別Webより  Plus

 9条2項の「戦力不保持と交戦権の否定」がそれにあたるが「芦田修正」はそれを自衛権があると読めるように修正した。一方で非武装の思想を広めたのは吉田茂である。昭和24年の施政方針演説で日本が非武装国家になることを高らかに宣言した。ところがその翌年、朝鮮戦争が勃発して米国は方針を180度転換し、日本と西ドイツに再軍備を要求する。

 西ドイツは再軍備に応じ、憲法を改正して戦前とは異なる「市民の軍隊」を作った。日本は吉田が9条を盾に再軍備を拒否し、代わりに警察予備隊という米軍の訓練を受ける実力組織を持つことになる。そこから日本では憲法を改正せずに骨抜きにする「解釈改憲」が始まった。

 憲法を改正しない「解釈改憲」は様々な混乱をもたらす。日本国憲法を字句通り読めば自衛隊は憲法違反である。ところが政府によって「合憲」と解釈されると、字句通り読むのが仕事の学者は「違憲」と言い、国民のほとんどは政府の言いなりになる。そして危機を募らす護憲勢力はとにかく「改憲」だけはさせまいと意気込む。

 自衛隊は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参戦せず、これらの戦争から日本の産業界は大もうけした。日本はウハウハである。しかしこれを米国から見ると憲法改正して自衛隊を軍隊にし参戦しろとなる。自民党は社会党に「護憲」運動を続けさせ、それを理由に米国の要求をかわし続けた。冷戦の時代はそれが可能だった。

 ところが冷戦が終わりに近づくと米国は日本が軍事的に米国に依存していることに目をつけ、軍事費の増額をこれまでになく要求してくるようになる。

 田中角栄が日中国交回復を行ったのは中国との友好だけでなく米国の軍事的要求をかわすためであった。それを角栄は「日中国交回復は裏安保である」と表現した。

 冷戦が終わると米国は中国と日本を天秤にかけ、中国と手を組むことで日本の経済成長を抑えにかかりながら、一方で中国の脅威を宣伝して日本に軍事負担の増強を要求する。すべて日本が安保体制に依存するしかないためにできることだ。つまり米国にとって日本に平和憲法を守らせることは国益なのである。

 マッカーサーは日本が二度と米国に歯向かえないようにするため非武装の思想を憲法9条に盛り込んだと言われる。

 その一方で日本の自衛隊を米軍の思惑通りに使えれば米軍の負担が減る。この目的をかなえたのが安倍政権による集団的自衛権の行使容認だ。「解釈改憲」によって地球上のどこでも自衛隊は米軍に協力することになった。

 米国はこれで満足である。もはや日本政府に「改憲」を要求する必要はない。そのため安倍政権が憲法改正と言っても大した話にはならない。3項に自衛隊を明記しようがしまいが米国の思惑通りに自衛隊は動かされる。それより思惑通りに動かされない方法を考える方が重要である。

 それは「運用」で歯止めをかけることだ。法律は条文がすべてではない。条文がどうであれ運用次第で思惑通りにさせないことが出来る。それを可能にするのは政治である。

 政治が「改憲」か「護憲」かで対立するのをフーテンはあまり意味があるとは思わない。むしろ表で対立しても運用を巡って裏で手を組むことは可能であり、それが敗戦国日本の政治が作り出した知恵だと思う。

 同じ敗戦国のドイツは憲法改正を60回も行って現在の地位を築いた。一方の日本は戦前も戦後も憲法を信仰する勢力が強く、いずれの時代も「解釈改憲」で憲法を現実に合わせる手法を採ってきた。

 そのような国柄であることを自覚すれば政治家は憲法の「運用」に注目してほしいと「文化の日」にフーテンは考えた。
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