阪神間で暮らす-2

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「伊藤詩織は嘘をついている」と糾弾し続ける山口敬之の意図的な誤読が意味すること

2017-12-28 | いろいろ

より

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「伊藤詩織は嘘をついている」と糾弾し続ける山口敬之の意図的な誤読が意味すること

 前回、この連載原稿を、このように書き始めた。

「多くの人が、あちこちでこの事案についての記事を読んでいるはずなので『またか』との印象を与えるかもしれないが、加害者やその支援者は、この件を皆が忘れてくれるのを何より待望している。ならば、繰り返し言及するしかない」。

 今回もその書き出しをそのまま使う。繰り返し言及するしかない。

 セクハラ被害を告発する「#Me Too」の動きがようやく日本でも広がってきている。実名で表に出て、ジャーナリスト・山口敬之からのレイプ告発に踏み切ったジャーナリスト・伊藤詩織の姿勢は、日本における広がりの最初の「Me」と言える。忘れさせようとする加害者周辺の企みを放置したくない。

 事件の詳細については前回の原稿に目を通していただきたいが、少しだけまとめなおす。山口にレイプされたと告発し、レイプ被害者を取り巻く司法や捜査システムの改善、性暴力被害を語りやすくする社会の実現を訴えた伊藤詩織の著書『Black Box』の刊行を受け、山口が『月刊Hanada』(2017年12月号)で「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題した手紙風の手記で潔白を訴えた。伊藤の『Black Box』と読み比べれば、山口の弁解からは、明らかなる説明不足の点がいくつも抽出されたのだが(その旨も前回記した)、何があろうとも自分をかばってくれる右派雑誌とその読者には有効だったようだ。

 翌月号(『月刊Hanada』2018年1月号)の読者投稿欄を読むと、65歳の男性が、山口の手記について「客観的で一貫性があり、感情的な表現もなく、好感の持てるものでした」とする投稿が掲載されている。まず伊藤の著書が刊行されて、その後に山口の手記が書かれた、この順番を踏まえた上で読み比べれば、客観的で一貫性があり、感情的な表現がないものはどちらのテキストなのか、すぐに分かる。


 「伊藤氏の私を犯罪者にしようという目論見は失敗に終わったのである」

 (山口敬之「記者を名乗る活動家 金平茂紀と望月衣塑子の正体」『月刊Hanada』2018年1月号)

 このまま不十分な手記だけで逃避するのだろうと思いきや、山口は「攻撃は最大の防御」という意図なのか、翌月号では「『伊藤詩織』問題 独占スクープ第2弾! 記者を名乗る活動家 金平茂紀と望月衣塑子の正体」との原稿を発表した。TBS『報道特集』キャスター・金平茂紀と東京新聞記者・望月衣塑子が、自分への取材もなしに伊藤の見解に依拠した報道をしたことを糾弾する内容だが、この雑誌(毎号通読しております)が度々TBSの報道姿勢を批判し、菅官房長官に詰め寄る質問を繰り返す望月の存在を毛嫌いしてきた経緯を考えれば、読者の共感を呼びやすい「糾弾素材」を選び、自らの説明不足をうやむやにしたと思わざるを得ない。

 これも前回と同じ主張になるが、山口の手記は何の弁明にもなっていないのだから、伊藤がそうしたように、記者会見に臨むべきではないのか。山口は、現在も誹謗中傷のメールや書簡が続いていると訴えているが、ならばなぜ、表に出て説明しないのだろうか。今回の原稿で、メディアからの取材依頼に対して「反応する意味があると判定したものについては回答書を寄せたり、取材に応じたりした」と書いているが、ずっと自分の味方をしてくれている雑誌とネット番組のみに登場する事がその「判定」ならば、納得できるはずがない。

 そして何よりこの原稿で放置できないのが、被害者・伊藤詩織の手記に対する“意図的な誤読”を重ね、そして糾弾をいくつも盛り込んでいる事だ。その糾弾が、書き手及び編集部の総意であることは、タイトルに「『伊藤詩織』問題」とあることからも明らかである。これは「伊藤詩織問題」ではない、「山口敬之問題」である。小学校の校長先生が入学式で新入生に投げかけるような教示になるけれど、この人たちは、人の痛みが分からないのだろうか。分からないのかもしれない。

 「伊藤氏の私を犯罪者にしようという目論見は失敗に終わったのである」とする山口は、「伊藤氏の『犯罪事実があった』との主張は、『朝まで意識を失っていた』ということがすべての前提となっている。ところが、真実は違う」と書いた。

 前号の山口の手記にも「『朝まで意識がなかった』のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、また眠ったのです」と書かれている。2号連続で彼の原稿を読んだ読者は、本当は意識があったのに伊藤は嘘をついていると感じるだろうが、そもそも伊藤は、手記に「朝まで意識を失っていた」などとは記していない。

 事件の当日、串焼き屋から鮨屋に移動したのが夜9時40分頃、そして3合目の日本酒を頼んだ辺りから不調を感じ、伊藤は「そこからの記憶がない」と書く。そして次に「目を覚ましたのは、激しい痛みを感じた」から。「『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった」。意識を取り戻し、痛みに耐え、「トイレに行きたい」と言うと山口はようやく体を起こした。そこで「避妊具もつけていない陰茎が目に入った」。

 なお、避妊具をつけずに性行為に及んだことを山口は、伊藤と交わしたメールの中で認めている。トイレから戻ると、ベッドに引きずり倒され、再び犯されそうになった伊藤は必死に抵抗する。何とか逃れ、「ピルを買ってあげる」「パンツくらいお土産にさせてよ」などと開き直った発言を浴びると、伊藤は「体を支えていることができ」なくなり、もう一つのベッドにもたれて、身を隠した。そうやって必死に耐える様子を見た山口は「困った子どもみたいで可愛いね」などと戯言を吐いたという。一刻も早く部屋の外に出る方法を模索した伊藤。この段階でようやく「窓の外が、次第に明るくなってきた」と書いている。意識を取り戻し、暴行や暴言に耐え続け、ようやく、これから朝を迎えようとする時間を迎えた。

 山口は、伊藤が「朝まで意識がなかった」と主張している、とする事で、記憶がなかったはずの女が今さら告発してきて迷惑している、との構図を作ろうとしているのだろうが、伊藤は記憶している限りの事を詳細に記している。「朝まで意識がなかった」を繰り返し使い、詳細が語られる機会を避けているのは、伊藤ではなく山口である。伊藤の主張が虚偽だとするならば、山口は細かくどこがどう虚偽なのかを指摘しなければいけない。「全部ウソ」で片すのはジャーナリストの仕事ではない。

  「伊藤氏は『上からの力を感じた』という表現をもって、何も具体的な問題点を示さず、『犯罪が揉み消された』と主張した」

 (山口敬之「記者を名乗る活動家 金平茂紀と望月衣塑子の正体」『月刊Hanada』2018年1月号)

 山口は、逮捕状が取り下げられ、検察が不起訴としたのに「伊藤氏は『上からの力を感じた』という表現をもって、何も具体的な問題点を示さず、『犯罪が揉み消された』と主張した。警察が上からの圧力に屈して犯罪を揉み消したなら、大変なことだ」と書いているが、「何も具体的な問題点を示さず」とはどういうことか。本をちゃんと読んだのだろうか。

 伊藤は具体的な問題点を示している。

  当時刑事部長だった中村格氏が自分の判断で逮捕を差し止めたと認めたこと、山口氏が以前から「北村氏」に私のことを相談していたこと、この2つの事実がわかったのは、本当に大きな進展だった。(『Black Box』P215)

 伊藤の著書に引用されている『週刊新潮』(2017年5月25日号)の記事によれば「北村氏」とは、安倍首相の一番近くにいる人物である内閣情報官・北村滋だとされる。『週刊新潮』からの取材依頼書をメールで受けた山口は、北村にその旨を伝えるためにメールを転送するつもりが、うっかり『週刊新潮』に返信してしまったのだ。そのメールタイトルは「北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。伊藤の件です」。記者から、いつごろより山口から相談を受けているのかと問われた北村は「いえいえ、はい。どうも」との対応で、相談を受けてきたことを否定しなかった。

 さらに伊藤は、中村に直接取材を試みたものの、中村が乗る車は猛スピードで逃げていった。「人生で警察を追いかけることがあると思わなかった」とは伊藤の弁。これらの動きを知ってなお、「何も具体的な問題点を示さず、『犯罪が揉み消された』と主張した」と言い切る山口が正しいと思う人はいるだろうか。

 今回の原稿で山口は、金平と望月を指差し、「視聴者・読者・国民に求められているのは、『エセ記者』『エセ情報』を看破し葬り去る観察眼である」と原稿を締めくくった。指差す相手は違うが、山口の見解自体には同意する。視聴者・読者・国民に求められているのは、『エセ記者』『エセ情報』を看破し葬り去る観察眼だ。双方の筆致を読み比べれば、誰が「エセ」なのかはすぐに分かる。
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