拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 五月とは・・・

2016年05月30日 | 観自在
 天候不順の今年、花粉症はこないのかな?・・・と油断させておいて、たまに晴天の五月下旬のある日、花粉はしっかりとやって来た。
 しかし、昨年に比べるとずっと軽い気がする。

 4,5年前から?花粉症になって思い知らされることは、『気持と環境』のことだろうか。
 人の気持は本当にデリケートで、天気のよし悪しが気の持ちように大きく影響を与えることは、日常体験しているわけであるが、
 ボクはこれまでそういったことを無視することができていたのが、花粉症のように目鼻に対する攻撃から心理的神経系統に及ぶといろいろ愚考するものだ。

 そんな時いつも思い浮かべるのは、昔このブログにも書いたボクの中では最もエグい映画2本のうちの一つ・・・『ハプニング』だ。
 風が吹くと自殺したくなる・・・というようなストーリーで非常におぞましいシーンの連続だった。

 今考えると、これはある種の『花粉症』だったんだなぁ~と思う。(花粉症から発想されたストーリー?)
 考えてみるとあらゆる薬も植物から作られていて、抗鬱剤とか精神に影響を与えているわけであるから、鬱に作用する植物成分もあるに違いない。
 そう思ってググってみると、自殺者が一番多い月は5月と6月だそうで、単なる社会制度の歪だけではなく、こうした気候+植物+天体の位置などによる
 環境の変化が人体の心と身体に影響を与えているのだろう。

 春になると気が塞ぐひとは、その事でさらに自己嫌悪などにならず、『花粉』のせいだ・・・ぐらいに思って気に留めないことだ。と自問してみる。

 それにしても、暖かい・・・と思っていたら、急に寒い天気! やっぱ気が滅入るよね。5月30日だというのに・・・・

           
 
 

 デモクラシーの紋章『Sealds』

2016年05月29日 | マトリックス・J
 昨夜、フェスブックで見かけた動画『それでも私はデモに行く』BSテレビ朝日ザ・ドキュメンタリー(5月26日)で
 Sealdsシールズの活動のドキュメンリーを見てあらためて彼等の存在に目を見張る思いをした。
 
 ツイッターやフェスブックをやっていれば、シールズとか奥田愛基さんの事は知らない人はないだろう。
 ボク自身も彼等の活動を肌で感じるほど身近なものとしてとらえていた。
 しかし,このドキュメンタリー、昨年のシールズ活動を18分にまとめられている動画を見て、彼等がどれほどのエネルギーをこの活動に注いでいるのかを目の当たりにして
 共感とともに感謝の念にまで思いが至たる。

 そもそも Sealds (シールズ)とは Students Emergency Action for Liberal Democracy (自由と民主主義のための学生緊急行動)の略で『Sealds』。

 しかし、ダジャレ・ジィ一撮としては、このまま受け入れるわけにはいかない。 もう一捻りほしい・・・と、調べたところ

 英語で『Seal』=『アザラシ』或いは『紋章』という二つ意味がある。こりゃ~イイわ! 
 そうすると、シールズは 一撮流に言えば、『デモクラシーの紋章』を掲げたアザラシ達・・・ということになる。

 夏の参院選をひかえ、選挙権年齢の引き下げられた最初の選挙であることも何かの因縁であろう・・・若者シールズの日本平和実現への牽引力として果たす
 役割はいくばかりであろうか。BSテレビ朝日ザ・ドキュメンタリー『それでも私はデモに行く』を沢山の人に是非見てもらいたいと思う。



         
         
         本来は動画、『それでも私はデモに行く』BSテレビ朝日ザ・ドキュメンタリーをアップしたかったのだけれど
         見当たらず、この動画となったが、右翼の街宣車に邪魔されても挫けるどころか機転を効かした対応など、なかなか。

 Do it yourself!

2016年05月21日 | 観自在
 昨日、はじめて家具部品の止め金にドリルで穴をあけた。

 引越し中に部品が不足したり、壊れてしまったりということが時折あって、今回は部品を取り寄せたものの、どうしてもネジ穴のサイズが小さ過ぎて
 修復が出来ないという事態になり、ネジを買った店に相談に行くと、機械があるから、自分で穴を開けろ・・・というのだ。

 電気ドリルなんかで、壁に穴をあけることはやったことがあるが、小さな金属の部品を店の備え付けの機械で穴をあけるというのはやったことがない・・・
 髭面のオッサン店員は親切な人で、結局機械の前で穴あけ作業のギリギリまでやり方を教えてレジの方に戻っていった。

 実際にやってみると、あっけないほど簡単に金具に穴を開けて、ネジが使える状態になった。
 さっきまで、どうしたものか?と困惑していたので、彼のアドバイスは非常に有難くて、『メルシー』を心を込めて伝えて店をでた。

 海外で生活していると、言葉があやふやなために面倒がられて邪険に扱われてしまうということもたまにはあるが、
 荷の配達など外で仕事をしていると、路上などでちょっした親切を受けることがよくあり、海の内外はすっかり忘れ人情を満喫する瞬間であり、この仕事の
 面白いところでもあろうか。

         

                世は丸く 助けられたり 助けたり 洋の東西 分けた人にも  :一撮

 
 

 必撮無眼流 ~ 魂源

2016年05月15日 | 必撮無眼流
 先日、コンテンポラリー写真展の話をしたけど、そもそもボクは『コンテンポラリー』について何もしらない・・・というか、知りたくて調べよう
 という気が起こらないタイプの人間であるからこそ、『写真』と関わったのであろう・・・という意味で『視覚から得る感慨』こそが『写真の本質』
 であるべき・・・と思っている人のまま、コンテンポラリーと云われている写真を見たけど、さっぱりわからないというレベルより腹が立つレベル
 であったわけだ。

 そもそも、写真に『言葉』が干渉してくるところに、写真をダメにしている現代としての『コンテンポラリー写真』の存在・・・・とかなんとか
 書いている自分にすら面倒臭くて、洒落臭くて、気が短いボクは、書くことでより一層本質から遠ざかる馬鹿さ加減に気が滅入るのだ。『喝!』

 しかし、考えてみれば人にもいろいろあるように、写真にもいろいろあるわけであるからね~、自分がわからない・・・というだけで。

 写真は、19世紀だっけ?出来たの?それも西洋で?フランス人、ニエプスとかなんとかあたり。

 だけど、ボクが思うのは(薄識であるので知らないだけ、の可能性を前提)
 視覚から得た情景『瞬景』を『五七五』調でまとめた俳句こそ写真以前の写真スピリットの原型であるのでは、、、ないだろうか。
    『古池や 蛙飛び込む 水の音』・・・例えば。

 だとしたら、日本人こそ写真魂のよりよき理解者であり、それゆえにこそ写真機の開発情熱において世界に先駆けて・・・いる理由なのだ。と思うのである。

 結論~芸術としての写真というのは、人の生き様としての魂源から発生する感慨や魂源への探求という自己の『魂源』への往復旅路・・・という所に落ち着く。


         
         写真は知り合いの子供ユイちゃんの後ろ姿だけど、三歳ぐらい?で強烈な個性の持ち主
         この子を見た時、この個性というのは何処から来るのだろうか?・・・と思ったわけだ。

 サボテンに情報文化論

2016年05月13日 | 観自在
  先日、引っ越し(来瑞)作業を終えて貰ったコーラで一服していた時の話。
  ボクと新人のあんちゃん(日本人)とチュニジア人のプチ(38歳ぐらい)とで最初の雑談は、タバコの値段から始まった。この3人中タバコを吸わないのは
  ボクだけで、新人のあんちゃんとプチは結構吸う組。どちらもまさに一服にはタバコ無しには一服もままならない様子であるから、値段の話になると結構
  切実感が漂っていた。新人はまだフランス語もたどたどしいけども、知っている単語を駆使して、オーストラリアではタバコ一箱が30フランするようですよ~
  と、嘘だかホントだがネットで嚙じり知った知識を披露したけれど、ボクはそんな高いわけ無いだろ~・・・と90%不信感を漂わせて聞いていた。
  ・・・兎に角、スイスは高いよね~・・・と税金の話に流れ、金持ちはもちろん金に困らず、なんでも好きな事ができるよね~的な話になった時、
  ボクの頭の中では昔見たSF映画(何だったか?タイトルも忘れたが、腕に埋め込まれたタイマーによって時間を金で買う世界の話)を思い浮かべていて、
  近い将来俺たちが話している言葉にも税金かけられるんじゃないか~、と言ったらプチが乗ってきて『一日三語まで無料』・・・みたいな話になって笑えた。
  ボクの貧弱な仏語で高等なジョークが成り立った様な気が一瞬して、、、、ああ、やったな~感の満足に浸ったのである。

  と云うのは、ごく最近 Podcastを散歩してたら、『猫に情報文化論』・・・っていうタイトルに出会って、なんじゃこりゃ?と聞いてみて
  あまりに会話のクダラさにビックリしたのに、懐かしい感というか、『ああ、今の俺に得られないものは、これだった』ナ~感で胸がいっぱいになったのだ。

  説明を要するが、『猫に情報文化論』・・・とかなりハイレベルな雑談は、『ねこじょ』あるいは『ピスタチオ』と呼ばれる色っぽい熟女(の声)と
  沖田某というバツ3の男との雑談なんだけど、ボクの大好きなサイボーグの話や新興宗教の話のなかに、油断していると突然『脱ぐ?』の話に5回に3回は持っていく
  あたりなども含めて、なんかほのぼのと楽しい・・・会話なのだ。・・・・これが、ボクのしたいわゆる国際結婚には出来ない話なのである。

  まぁ、これくらいハイレベルの雑談は、同国人の夫婦でもやっぱり無理だろうナ~・・・とは、思うものの、
  ボクの5,6歳ぐらい(もしかしたら、4~5歳)レベルのフランス語会話能力のボクとスイス人妻との会話に、これを求めるほうが無理なのである。
  世に、国際結婚に憧れる人は多いであろうが、夫婦間でハイレベル会話を求めるのであれば、文化や語学を限界まで深めるか、さもなければ『諦めよ』・・・
  というのが、先輩としての貴重なアドバイスである。
  この『猫に情報文化論』・・(・という優れたタイトル)は年代をたどると2014年~2001年の1月1日1:00にまでさかのぼるので、これからボチボチ聞く
  というささやかな楽しみが増えた。

  それにしても、この『猫に情報文化論』といい、先日ツイッターで見つけた『捜査方法に関する法律の改正』みたいな内容の話を動画で聞いていて
  隔世の感に浸ったのであった。・・・じつに、これってわずかここ数年(5~6年)の話ですよ!!!と喜びのあまり強調したいのです、在外日本人としては。

         
              だから、ボクは視覚によるハイレベルの会話にいそしむの図
              
  ボクの愛サボテン・・・(忌み嫌っていたのに、相方は勝手に『ユキちゃん』という名前をつけやがって)・・・は、日本に帰国する客が、棄てサボにするところを
  名状しがたいピンクの鮮やかさに惹かれたボクは『ユキちゃん』を引き取ったのである。もう半年になるであろうか?
  
  

 『いつ来る?』= It’s cool!

2016年05月12日 | 還暦録
 今日、5月12日・・・世界的に言うと別にどうということのない日であるが、ボク一撮の誕生日である。しかも、第64回!
 天上天下唯我独尊的に言うとボクにとっては自分に『甘茶』をかけてやりたいくらいの日でもある。

 年を取れば取るほどいつ逝ってもいいくらいであるのだから、今年も無事自分の誕生日を迎えた!ということは案外たいした事で
 あるように思えるようになった。
 こちらヨーロッパでは習慣として誕生日を大事にしているように思う。家族や友人が『誕生日おめでとう!』の一言を伝えてくる。

 今朝は、歯医者に、歯石をとりに行ってくる。前回ちょっと痛くされたので2年近くサボっていたのが、
 相方にバレて予約を入れられてしまった。ヨーロッパでは歯の治療に保険が効かないので、ウチの相方は『歯』には非常にうるさい。
 今日の歯石除去師(?』とは初対面で強いなまりのフランス語を話す50歳前後の女性、ナニジン?と聞くとアメリカ人で
 痛みもなく非常に丁寧に歯石を取ってくれた。

 その後、街で相方と合流してウチの電話会社サンライズの店にいく。
 というのは今のウチのWifi出力が弱いので、ボクの誕生日という名目で強いヤツに交換することでボクの誕生日プレゼント
 にしてほしい・・・と決めていたのである。
 僕等夫婦を担当してくれたのは丸坊主頭のガタイのいいアラブ系のお兄さん。
 彼と色々話している内に8カ国語話せる事、お母さんが通訳だった、お父さんがろうあ者で手話もできる、等など。
 機器を設置するのに無料で人を派遣してくれる・・・という話が出たところで
 ボクが相方に『いつ来る?』と日本語で聞いた時、そのアラブのお兄さんには『It’s cool!』と聞こえたらしく、
 『Oui, It’s cool!』・・・と言ったので僕等は一旦キョトンとしたあと、お兄さんにわけを言って大笑いとなった。

 店を出て、50メートル信号のある小さな通りの横断歩道のそばに何を書いてあるのかカードを手に持ってほぼ毎日正座して
 路上に座っている若い女性の物乞いの缶の中に相方は10フラン紙幣を入れた。何時もは街角街角に物乞いの人達が座っている
 状態がイヤでイヤで遠回りしても避けて行くのに・・・。

 午後は誕生日ということで近所のタイ・マッサージに行ってきた。ここには3人の女性タイ人がいて3人とも非常に上手で何時も感心。
 ただ、今日は一番若い女性(33)しかいなくてちょっと世間話もしてきた。彼女は英語、フランス語が堪能であるから、他の仕事でも
 充分出来る人であると思うのだが、タイのマッサージがこれほどのレベルである事をボクに教えてくれた最初の人でもある。
 本格的なタイのマッサージは自分が疲れないように自己の体をうまく利用して有効的な施術(ツボをついてくる)を行う。
 そのテクニックの多彩なことに本当に感心する。
 『タイのほうが住みやすいじゃないの?』と聞くと、『スイスに比べてタイの人はキチッ・キチッとしていないところが、どうも・・・』
 との回答。へ~っ、そうなんだ、と意外感。まぁ、しかし、少しわかる気が・・・。
 ボクの誕生日と言うと、タイのお茶葉とオイルの小瓶をプレゼントしてくれた。

 ところで、これを書いている途中で、休暇中のボクに社長から突然『誕生日おめでとう!』の電話があった・・・!
 勤め始めて15年間で初めての出来事!! うれしい・・・というよりなんか、変じゃね?!の妙な気分。あしたは雪じゃろか!

 夕方、数日前にブログに書いた、16歳のジョナスがボクの誕生日の為に自作したカードをわざわざ持ってきてくれた。

 夜、僕ら夫婦共通の友人 近所に住んでいるスイス禅坊主2人を招いて 寿司と餃子と酒で『クール』な誕生日会を過ごした。

        
         《 還暦の 祝にくれた 玉手箱 開けてビックリ 齢い六十  : 一撮 》

 玉手箱に最近こだわっている。
 4年前に迎えた還暦という節目は実は『玉手箱オープン儀式』であった、と今は認識し始めている。
 侘び寂び・渋みを深めるにはどうしてもこの箱を開けなければならないのだ・なぁ~・・・と。
 

コンテンポラリーこれでいいのか?

2016年05月10日 | 必撮無眼流
 2年おき?だったか催される、『Bienne写真フェスティバル』第20回を7日(土曜)にローザンヌから電車で一時間の仏独言語境界の街『ビエンヌ』へ行って写真を見てきた。

 このフェスティバルが開催中であることを、相方ニコルの友人から聞いて知った。 おお、、よかった・・・と思っていたら、
 その友人いわく『私は写真のことよく知らないからかもしれないけど、な~んかさっぱりわからんわぁ・・・』、っと言っていたという。
 まぁ、このフェスティバルについては過去3回は見に行っていたので、この人の云うこともよくわかる気がしていた。

 ・・・・が、これほどとは! というのが、今回ボクが見て感じた感想。
 いわゆる『コンテンポラリー写真』ということであるが、なんだか見ていて『情けない』・・・気がしてきた。
 ビエンヌの街7ヶ所に会場が分散されて(といってもいつもの場所である)、次はどんな写真かな?なんて期待するだけど、その都度ガッカリ。

 『コンテンポラリー』の場合、期待してはいけない!・・・っていうのが正しい見方なんじゃろか?(今、フールーで2010年NHK朝ドラ『てっぱん』を見ているので
  語尾が自然と広島弁になってしまう)

              
              これは写真ではないけれど、同じ会場に展示してあった鏡と鉄線の作品で、今回のフェスについてどこか象徴的印象

 第20回・・・っていうと、2年おきだから40年の歴史があるのであるから、かなり力が入っていて面白い展示であろう・・・と思ったら、肩すかし。
 昔のように人々の姿を自由に撮れる環境にない現代(コンテンポラリー)・・・コンポラ写真がこうなのもこれが第一の原因じゃろか?
 とも思わせる元気の無い写真群の前でボクはうなだれたのであった。写真がつまんない現代=コンテンポラリー・・・だからそれでいいのか、なるほど。


              
              こんな普通の写真はだめなんじゃろか?コンテンポラリーの場合。じゃったら俺は普通でいいわ!・・・の図
              

 ジョナス16歳の春

2016年05月03日 | ヨーロッパの風

 この4月上旬だったか、ジョナスから電話があって、写真のプリントをさせて欲しい・・・とのこと。
 なんでも、ある学校の入学試験課題として提出するノート作品を仕上げる為にプリントが必要であるが、自宅のプリンターが故障中とのこと。

 4枚の写真は、カラス・樹木の風景・雪のうえでバク転する若者・岩登りする女性・・・で写真としてはどうというこもないへんてつもないものであった。

 あれから2週間後、ジョナスから第一試験突破の喜びのメールがきた。
 
 あの、変哲もないカラスの写真の横に、鉛筆での昆蟲の精密画が組み合わされていた。

 この写真を見て 正直、へ~っ!と思った。あのカラスにはこういう『狙い』があったのか、、、
 後で、ジョナスに会った時、試験に提出したノートを見せてもらって、それぞれの写真と組み合わされた絵やデザインが実に新鮮であった。

 30日(土)の朝、ジョナスから面接試験の合格の電話・・・それで祝杯の散歩に出かけることにした。ところでボクは彼のゴッドファーザーなのだ。

           
                         まだ、16歳のジョナス、未来への第一歩を静かに噛みしめる図