拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『拈華微笑』 は『 真言』最初のレッスン

2022年12月16日 | 東洋自分なり研究所

  思えば、禅入門とは『悟学留学』そのもので、禅界は日本にありながら別次元の世界への旅立ちであり、

  日常の言葉は奪いつくされ、のみならず『思考の自由』などもってのほかの、まさに『言語道断』の世界であった。

 

 

  約十年の間、居士としての禅修行は娑婆と道場の往復で『道場でせっかく温まった薬缶が、娑婆で冷めてるようじゃ… 』の揶揄も

  何回か浴びせられながら、それすら『馬耳東風』でやり過ごし、40歳を目前に修行に区切りをつけて渡欧した先はそれこそ

  言葉の通じぬスイス・フランス語圏(西瑞仏語圏)であったが、何故そこであったのか?は、宿縁のみが知っている事情。

 

 

  『語学』ならぬ『悟学』留学をさらに探究させんとする仏母心のなせる業か、結果的に『仏語』の世界で『観光ガイド』、『引越し屋』

  などに身を粉に、聾唖者の如く押し黙って三十年、65歳で定年退職を迎えた流れで、『東洋自分なり研究所』設立にいたった。

 

  我が研究所の目的は一に、『東洋思想の簡潔化と普及』にあり

  かなでも東洋思想の中心となる『仏教』は最重要項目でありながら、宗派も多く、使われている用語も複雑多岐に渡り解りにくい…

  そういったところを馬骨の独断と『遍』見で新解釈を試みようというものである。

 

 

    今日の本題であり、我がブログタイトル『拈華微笑』…とは

    『いつもは講義で始まる釈迦の教えが、その日は釈迦が『華』を拈じ示して弟子たちに無言で問いかけることで始まった…。

    一同何のことかと、ぼんやり押し黙るなか、一人摩訶迦葉だけが、微笑で応答したところ

   『私の仏法は摩訶迦葉に伝えられた』…と釈迦が宣言した。』 ・・・という有名な逸話が基となっている。

 

  そもそもこの逸話は禅の根本理念『不立文字・教外別伝・直指人心・涅槃寂静』そのものを表明したものであると考えられているが、

  私はこの話の一見『言葉の無介入』であるところの『語学=悟学』の持つ無尽の可能性に強く魅せられる一人である。

  言葉の壁のみならず、あらゆる『壁』を超える人間の在り方、その可能性を端的に表す『拈華微笑』・・・

  それこそが『仏語』で、仏教では若干別な文脈で使われる『真言(マントラ)』の起源であり根本なのだと思う。

  仏の真言は『拈華微笑』にこそ観じられるものであると思う。

 

           

  

 

  

  

  



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2 コメント

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Unknown (ZIP)
2022-12-18 10:29:10
そういう意味では拈華嘆息でも構わないと思います。
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Unknown (Zipへ)
2022-12-20 14:24:43
幸いなことに、釈迦は「微笑」にこそ「粋」を観じた•••ということ。(🙂)
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