拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 東洋自分なり研究所 〜 『観』の国

2022年12月29日 | 東洋自分なり研究所

  昨日のブログの最後の一節の自己への問いかけ…

 『 2500年の『般若の智慧』の集大成である『仏教』は『悟学』によって『空読』が可能となるであろうか。 』・・・は、

  一夜明けると、仏教に於いて『空』に関しては『読』はふさわしくない事に気付かせてくれた。

  『空』は『観』という次元で初めて捉えられるものであろと … 。

 

 

  日本文化を基礎づけるものの一つとして『日本語の記述法』があるのでは・・・?!と

  渡欧後の私に気付かせるものがあり、それがいつか持論『考えるな、漢字!』へと進展したのではないかと思う。

 

 

  アルファベットの世界に住んでいると、一見して瞬時にその意味がわかる『漢字』の存在はまるで、大海に浮かぶ小島を見る思いで

  これまでどんなに救われた気分になったことだろうか・・・。そして、そのことの重要さに気付いている人は案外少ないように思える。

  この一事に気付くことだけでも、私が西洋の地に住み着く意義があったのだと思いたい。

 

 

  先日珍しく、私は地元の新聞をデジタルで読んでいて、気づくのは文章が長い…という事。

  それはそうで、例えば『赤』は日本語では一文字であるが、フランス語では『Rouge』と5文字になり、

  アルファベットを最後までまさに『読む』をしなければ意味が取れないのだ。

  そういった意味で、日本語でも『ひらかな』のアルファベット如き大海に浮かぶ『漢字』は

  『観』することで意味が取れるシステムになっている。

  そういった文脈の中、読み取ることが不可能な『モノ事』 を日本人は『観』というやり方で感得す道を展開していった。

  結界を表すという『鳥居』や『注連縄』、禅の『石庭』、『俳句』や『茶道』等などは、『不立文字』の事柄を畏怖の念を持って

  『観』でしか感得できない世界観を神仏習合で盛りたて独自の文化を確立していったのではないか。

  日本に憧れる異国の人々が『アニメや漫画』が示す『観』を入り口にして、

  さらに深い『観』でしか捉えることができない『郷里』へ回帰しょうとしている。

 

  考えてみれば私自身の人生の足取りを辿れば、盲目の養母にそだてられ、写真家を志し、東洋医学や禅の修行に勤しみ・・・と、

  どれもこれも『観』の能力を養う『道』を知らずに歩んできたようなものかもしれない。

 

         

            昨日、久々にドイツ語圏の街 Solothurn へ行き、ユニークな絵画展を楽しんだ図

  約80cm四方の枡状の木箱に大小4種の作品を並びいれ約1万円〜6万円の値段に統一した約70名ほどの画家の作品群で

  目の保養をした。私の『観』に強く訴えてくる作品は残念ながらなかったが、作品の販売、展示方式、館内のスペース

  がユニークで楽しい雰囲気に溢れ、次回もまた是非見に行きたい。

    



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