拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

アドラーで悉皆成仏

2016年10月29日 | 色読是空
 先日、紹介したPodcast、茂木健一郎さんの『Dream heart』で最もインスパイアされたのは心理学者・哲学者の岸見一郎氏の『アドラー心理学』の話だった。
 アドラー心理学を紹介する目的で書かれた『嫌われる勇気』が百万部突破というので、早速Kindleで取り寄せて読んだ。

 読み進むごとに驚愕、そして徐々に歓喜に変わっていった。
 そこに書かれていることは『禅』そのもの・・・であるからだ。(ボクのように全てに半端な者が断定してもしょうがないが)

 というか、禅でこの本を読むとスッキリすることばかり。

 ただ不思議なのは、1870年生まれの禅の大家『鈴木大拙』と同じ年に生まれた、心理学の大家『アルフレッド・アドラー』
 この二人の接点?!・・・が無いのがどうも解せない?これはどうしても不思議だ。(鈴木大拙はユングと親交があった事実を考えると
 フロイトと決別したアドラーには会う機会がなかったのか、せめてアドラーの著作には出逢わなかったのであろうか?)

 もしこの二人が、邂逅(かいこう)していたならば『禅』、『心理学』を越えた『人間の救済』に大変異をもたらしていたに違いないのに。

 アドラー心理学は個人心理学と呼ばれていて、個人=Individual・・・人は分割できない存在・・・が前提となっているところからして『禅』だよナ。

 アドラー心理学では『人生の目的は共同体感覚』であるそうだが、それって釈迦が言った『草木国土悉皆成仏』だろう。

 この本に面白いくだりがある。
『アドラー自身、「人間を理解するのは容易ではない。個人心理学は、おそらくすべての心理学のなかで、学び実践することが、もっとも困難である」』
『アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで行きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。
 つまり、40歳から学び始めたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学びはじめた場合にはブラス10年で30歳までかかる、と。』

 禅も似たようなもんだ・・・と思うが、もっとも大事な所を『直感で一気に』・・・というのが禅のやり方のように思う。

 宗教臭い宗門派から脱却したところが『禅』の素晴らしさであるが、『端的』なだけに取り付く島もないほど戸惑う、という点ではやはり禅も『勇気』
 が必要なようだ。
 
             


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