拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

太極拳考(2)

2018年09月26日 | 還暦録

1981年(当時29歳)に東洋鍼灸専門学校に入学したあたりから、一気に『東洋』に足を踏み入れることになった。

今から考えればボクの30歳代に起こったことは、インドや中国の影響のもと発展形成した東洋文化との出会であり、日本の伝統文化に生きている自分を発見した時期であった。

鍼灸学校への入学は、単に鍼灸を学ぶことにとどまらず禅者であった伊藤真愚、横田観風、両先生との出会いが禅への道を開き、同時期に横田先生の無為塾で気功体操(練功十八法)を知り、この体操に惚れ込んだボクは武田幸子先生の門を叩いて練功十八法を習得、指導資格を受け、それがまた一つのキッカケとなって太極拳を学ぶことになった。

こうした一連の流れは今思うと、よくぞここまで…と思うほど理路整然としているように見えるところが面白い気がする。

ボクの求めていた事というのは、その当時自分でもよくわからない抽象的なことに思えていたが、じつは『心の健康=身体の健康』…みたいな案外単純なものであったか。

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1991年に再びスイスにやってきた時、中国生まれの『練功十八法』を練功道と称し

禅仏教丸出しのテキストにして普及しようと意気込んでいた時期だった。

まぁ、この普及をライフワークに…というのはあったものの、才覚と根気が無いこともあって(父のフラフラするDNAも影響か)観光ガイドやら引っ越し屋などを経ながら今日に至るわけであるが、その間禅と太極拳などの修練を通してますますそれらの重要性を痛感するなか再び何ぞ出来ないであろうかと思案しているところである。

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  禅と太極拳が究極には『観音菩薩の舞い』・・・にまで進化した姿図

   (というよりも、大昔から先輩方はそれを示していたわけである… )

 


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