拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  悟学的『∞』考察から『謙譲の美徳』

2024年06月19日 | 東洋自分なり研究所

  禅者は必然的に『無』とか『空』とかに向き合う者とした時・・・現代風・馬骨解釈すると『無=0』、『空=∞』と観てしまう。

  だいたい、『0』が大円鏡智で『0』を自覚(観察)した姿が『∞』印・・・となったのだろう(?)と、子供の発想だとすぐ解る。

 

  自覚の在る無しに関わらず、日本(伝統)文化は『無』を志向していて、その過程で『謙譲の美徳』が出てきたと言えそうだが

  確かに、日本人が海外に出ると、人にもよるのだろうが総じて『謙譲・謙虚』の状を表す事が一般のように思う。

 

  外国人の間にあって『謙譲の美徳』など、通用しない・・・という声も聞くが、それは表層を観ただけの意見で、

  実際には『謙譲の美徳』に洋の東西は無い。 

  優れた人は常に謙虚で、なぜなら無意識に『無と無限の関係』を知っているからではないだろうか。

  『全てを知るものは、すべてを許す』という言葉があるそうだが、その『全て』には『不知の自覚』があるからこそ、全てを許せるのだろう。

 

             

           『謙譲の美徳』からは程遠い色メガネの馬骨・・・じつは花粉症対策なのだが、付けてみて解った『色』メガネの意味・・・