拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Formidable ! (フォーミダブル)

2024年06月12日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  昨日、6月11日 義父は娘である相方の腕の中で、静かに息を引き取った・・・。

  直後に私は、テラスに通じる大きなガラス戸を少し引き開けると、昼の12時を告げる村の教会の鐘が遠くから聞こえてきた。

 

  私には、育ての親と生みの親それぞれ4人の親がいたわけだが、その誰一人として『親の死に目』を眼にした事がなく

  これまでずーっと、『親不孝』のレッテルを自分に貼り付けてきたが、最期の最期・・・私と相方とで『父の死に目』に立ち会う事ができた。

  2週間ほど前、義父は室内で転倒してから様態が変わり、食事もだんだん摂らなくなり、93歳の寿命も尽きる予感はあった…。

  だから相方はしばしばホームに父の様子を観に行っていたわけだが、昨日は私も同行し、一時間ばかりの間に文字通り『息を引き取った』のだ。

 

  今思うと『義父』は私にとって、私とは真反対、ある意味『西洋』の典型のような人だったように思う。

  彼が50歳のとき、突然自分で幕を下ろした著名な『オペラ歌手』という経歴・・・からしても、娘婿、義父という間柄で垣間見た日常の

  彼の人柄は喜怒哀楽を隠せない『我思う、ゆえに我あり・・・』を生きて来た、西欧の中の『西欧』のような人であったように思う。

 

  彼と会う時がいつも、私のバカンス中であったり、クリスマスや誕生日・・・ということもあったせいか、彼との思い出は『Formidable』という

  彼の口癖と共にあった気がする。

  私は、『Formidable(素晴らしいね)』・・・というフランス語を彼から学んだ。

  義父は、それまでの私の『親不孝ぶり』をどれだけ知っていたか?どうか知らないが、自分の『親の死に目』に立ち会わせることで

  最期の『Formidable!』を身を以て東洋人の娘婿に示してくれたのだ。

 

               

               同日の夜、私達のアパートのテラスから見事な虹が観えて、私は『Formidable!』と義父に応えた。