拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  西方極楽浄土のアナタ

2024年06月07日 | 東洋自分なり研究所

  私、馬骨が生まれた所をあらためて『仏観』してみると、極東も極東・・・その名も『北見』というくらい極東に位置していた。

  この地に永住するならばとにかく、私に残された『道』は方角的には『西方』しかなかったのだ・・・。

 

  30歳になって禅修行をすることで、仏縁が出来たと思い込んでいたが、よ〜く『還暦スキャン』してみれば、

  私が2〜3歳ごろ、養母の(祖)母が『御詠歌』好きで、近所の老婆と小さな鐘を小さな槌で叩いて御詠歌を歌っていたのを覚えている 

  ところを見ると、どうやら私は知らずして『仏縁』の洗礼を受けていたようなのだ。(*御詠歌(ごえいか)〜曹洞宗の信者による和歌形式の仏歌)

 

  そのせいでもないであろうが、結果的に私は『西へ西へ・・・』と移動していたことになり

  『 北見〜東京〜神戸〜東京〜ニューヨーク〜ヨーロッパ〜東京〜スイス』といった感じで現在にいたる。

 

  そもそも道産子の私が、東京から『神戸』に行った・・・というところが『みそ』で、だいたい北海道の人間にとって移動の限界は普通『関東』までで

  知人もいないのに『関西』まで足を伸ばした私の『オッチョコチョイ』の気質が功を奏した…としか言いようのない、当時の私にとって

  『神戸』はまさに『極楽浄土』であった。

  神戸では『君・お前・あなた』に当たる言葉が『自分』・・・と言うので、最初は戸惑ったが、今思えば『自他不二』の極楽浄土なのだから

  相手のことを『自分』と言ってもなんの不思議もないわけであった。 

 

  で、昨日、インドの古い言葉サンスクリット語とパーリ語があるが、パーリ語で『無我』というのが『anattà アナタ』と言う事を知って、

  私は知らず知らず、『西へ西へと極楽浄土』をとくに目指していた訳ではないのに仏(フランス)語を話す国に到り、『仏語』を学ぶという

  光栄に浴する状況になり、つまるところ、『西方極楽浄土』とは『己の心に無我を見出す』事にほかならず

  おば〜さんが御詠歌で叩いた鐘の音は『東西南北』不問の『音』で『アナタが自分、自分がアナタ』の無我の極楽浄土であったのだ。

 

                 

                  此岸から彼岸へは、昔は大乗という大船のイメージであったが、いまや各人がそれぞれのWebの波をサーフィンして

                  渡岸するケースが増えている気がしてChat・chatとイメージしてみた図