拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『坐』=『精神と時の部屋』

2024年06月03日 | 東洋自分なり研究所

  先日動画を見ていて、四十代後半の政治批評のユーチューバーの男が、『来週から私も「精神と時の部屋」が必要で、ちょっと休暇を取ります…』と

  話しているのを聞いて、私は『ほ〜っ』と思った。そう言えば、つい最近も新米の格闘家が『精神と時の部屋』と口にしているのを聞いたばかりだ。

 

  『精神と時の部屋』は、今年3月に68歳で亡くなった、ドラゴンボールの作者、漫画家の鳥山明氏が『道』を求めるすべての世代の人間に残してくれた

  ある意味『逆玉手箱』のような、強くなりたいと思う者であれば、誰もが憧れる『精神と時の部屋』を『マトリクス』以前に、

  漫画という仮想現実ながら人々の心に強いインパクトを与えた事象であった。

 

  『精神と時の部屋』とうのは、いったん入ればだだっ広い空間で、そこでの一日は娑婆(シャバ)での一年にあたり、重力は10倍ある。

  だから、格闘家のように身心を鍛える『場』としては、最高に苦しいが短期日で圧倒的体力と技と気力を磨くには最適な『場』である。

  映画『マトリクス』にも同様な『仮想現実道場』のシーンがあり、柔術の手ほどきを受け、短時間で達人の域に達することができた・・・。

  

  どちらも絵空事と思いながら、頭の片隅に『あり得る』事・・・として捉えている自分がいたし、それは私一人ではないからこそ

  『ドラゴンボール』も『マトリクス』も世界中で注目されたのだと思う。

 

  少年ジャンプで初めて『精神と時の部屋』を観た時、私は禅修行中・・・であったか?(多分)鍼灸見習いと週イチで居士林通いの頃。

  『坐禅』と『時間』が関係あることに気づいた頃であったからなおさら、『精神と時の部屋』については、他の人以上に身近に感じていたと思う。

 

  あの時代から40年ほど過ぎて思うのは、『坐禅』の『坐』というのは確実に『精神と時の部屋』の入口であった・・・という事。

  そして、そこで『郷里(さとり)』に至れば、出入り口の『門』は消えて『無門』を観るのだと思う。

 

               

  『坐』の門に入れば、いつしか時間が無くなる・・・だろう。その後は時間を気にせずに、時間を大切にする者となる。

  今後、我々は『デジタル界』にあって、ますます時間に追われるとき、あなたも自分の『精神と時の部屋』が必須となるだろう・・・。